妄想劇場・流れ雲のブログ

趣味の、自己満ブログです。人生は、振り返ることは出来ても、後戻りは出来ない…掲載内容に問題がある場合は、お手数ですが ご連絡下さい。 迅速に対応させていただきます。

妄想劇場・森羅万象









歌:市川由紀乃
作詞:小椋佳:作曲:堀内孝雄


風の流れの 激しさに
告げる想いも 揺れ惑う
かたくなまでの ひとすじの道
愚か者だと 笑いますか
もう少し時が ゆるやかであったなら








「拒食症」と「過食症」。


両極端の症状が認められる摂食障害は、男性よりも女性
に多く発症します。自分の外見を気にし始める思春期の
女の子にも多く見られます。


「やせたい願望」が高まって、過剰なダイエットや運動に
走ってしまう拒食症は、結果的に体重が極端に減り、
生理がこなくなるなど、様々な身体面の不調をきたすよう
になります。


一方の過食症は、極端に大量に食べ、いったん食べ始める
とやめられず、過食と嘔吐おうとを繰り返す症状になります。


拒食症から、過食症へと転じるケースもあるので、注意が
必要です。


摂食障害の患者は、自分が病気であると認識していない
場合が多い。


低栄養・低体重による危険性だけでなく、下剤や利尿剤など
の乱用の影響から、様々な体の不調が起きて、死に至る
こともある。親は注意が必要だ。


患者の頭の中は食べ物のことでいっぱいで、話を聞いて
いても体重やカロリーの話ばかりになるが、本質は隠れて
いる心の悩みにある。その解決こそが最大の課題となる。


「足、太いね」の友達の一言から


A子さんは都内の中学2年生です。母親の勧めで、母が
卒業した私立の女子校に進学しました。


一人娘のために、両親からとても大切に育てられてきたこと
が一目でわかりました。


温厚な性格の父親は、いつも仕事が忙しいため、A子さんの
教育方針など家庭内のことは、母親が祖母と相談して決め
ていました。


生活態度はいたって真面目。勉強熱心で成績もよく、先生
にも気に入られている優等生でした。


部活は英語演劇部で、それも母親が勧めたことが理由
だったようです。


そんな彼女が大きく変わったのは中学1年の冬。
友達に何げなく「足、太いね」と言われ、それがショック
だったようでした。


実際のA子さんは、決して太っているわけではなく、
標準体重の範囲内です。にもかかわらず、極端な
ダイエットをするようになりました。


体重が増えることばかりを気にするあまり、口にするのは、
野菜やカロリーゼロのゼリーばかり。通学時には電車に
乗らず、2時間以上もかけて歩くようにもなりました。


半年後には、体重が10キロ近く減り、生理まで止まって
しまいました。急激に変わっていく娘の姿に、心配した
母親がクリニックに連れて来ました。


診察の時、私がA子さんに問いかけても、母親が代わり
に答えてしまいます。本人に向けて質問すると、いちいち
母親の顔色を見ながら「合っているかな」と確認しながら
返答していました。


そこで母親には退室してもらい、二人だけで話をすること
にしました。


やっと自分の考えで話すようになったA子さんは、
「本当は体重やカロリーなんか気にせずに生活したい。
でもこれ以上太って醜くなるのが怖いので食べられない。
食べた後には罪悪感がある」と話し始めました。


「男の子やアイドルなんて、ばかばかしくて・・・・・・」


治療のためには、A子さんについてもっと詳しく知る必要が
あります。まず、A子さんに自分自身についてじっくり話して
もらうことにしました。


しばらくは、自分自身が悩んでいる体重やカロリーの話が
続きましたが、次第に話題は母親と自分の関係に移って
いきました。


しつけに厳しい母親は、日常生活全般にわたって細かい
「家のルール」を決めています。A子さんは、常にそれに
従って生活しているようでした。


例えば、A子さんの学校の校則では髪の長さは自由です。
にもかかわらず「家のルール」では肩に髪の毛がついては
いけないことになっています。


下校途中、友達が本屋さんや文房具屋さんに立ち寄っても、
母親から禁止されているため、自分だけはお店に入らずに、
前で待っているそうです。


朝は6時起床、夜は22時就寝で休日も同じです。
ニュース以外のテレビ番組は禁止。


クラブ活動、学習塾通いに加え、ピアノや日本舞踊の稽古
もあり、両立は本当に大変そうでした。


それでも、A子さんは疑問をもつ様子もなく、「母親の言う
とおりにしないと。親の言うことは正しい」ときっぱり。


学校の話になると、「忙しくて、みんなみたいに遊びに
出かける時間はありません。


いずれにしても、他の子とは話が合わない。男の子が
どうだとか,アイドルの誰々が格好いいとか、お化粧が
どうだとか・・・・・・、ばかばかしくて。


正直に言うと学校なんかつまらないし、行きたくない」と
話しました。


A子さんは、母親の言いつけをきちんと守るいわゆる
「良い子」ではありましたが、学校では、同世代の友達とは
話題も合わずにクラスで浮いた存在であることが
わかりました。


そこで、A子さんとは週1回のカウンセリングをおこなって
いくことになりました。


幼い頃から子どもは、親からのしつけを通して、価値観や
規範を自分の内部に取り入れながら成長していく。


これは「~すべき」「~しなければならない」といった理想的
で厳しい価値観である。


しかし、思春期に親離れが始まると、同年代の同性との
親密な交流が始まるので、子どもは親以外からの新しい
価値観を取り入れるようになる。


親からの厳しい価値観は、自分の内面からわき出る、
時代に即したものへと変化していく。


A子さん母娘では、それぞれの「親離れ」「子離れ」が
進んでいませんでした。


心を許せる親しい友達はいないため、母親に秘密を持つ
こともなく、悩みを全て相談してきたことで、A子さんの
価値観や規範は、依然として変わることが
ありませんでした。


そのため、すでに親離れが進み、価値観や規範が変化して
きている友人とは、どうしても話が合わなくなります。


A子さんの発達課題の停滞が、拒食症の病気の背景に
隠れている心の問題として存在していることが、徐々に
はっきりしてきました。


「あなたの中にはお母さんのそっくりさんがいるみたいね。
お母さんの言うとおりにすることが悪いわけじゃない。


でも、周りの友達は、親からの教えを尊重しながらも、
自分なりに変えてきているんじゃないかな」


私がそう言うと、A子さんははっとした様子で、
「みんなそうかもしれません」と答えました。・…


author:関谷秀子 (精神科医) (つづく)









「・・・そろそろ、オラ帰らないと……」


時計を見たオラは、荷物をまとめ始める。
それを見たまさおくんは、残念そうに言ってきた。
「ええ?もう帰っちゃうの?」
「うん。ひまわりのごはん、作らないといけないし」


「あ……そっか、しんちゃんっちって……」
ねねちゃんの呟きで、その場が暗い空気に包まれ始めた。


「別に気にしないでよ。ひまわりと、賑やかに暮らしてるしさ」
「そっか……うん、そうだよな」 「幸せで、何より」


「途中だけどごめんね。風間くん、仕事頑張ってね。じゃ」
そしてテーブル席を離れる。


「何かあったら、すぐ言えよ!僕らに出来ることがあるなら、
何とかするからさ!」


最後に風間くんが声をかけてきた。
そんな彼らに手を振り、オラは家路についた。


……しかし、順調に見えたオラにも、不景気のあおりが
来ることになった。


それから数日後の会社。オフィス内は、ざわついていた。
「……おい、これって……」 「……嘘、だろ……」
皆一様に、掲示板に張り出された通知を凝視する。


そこに記載されていたのは、従業員削減の通知
――つまりは、リストラ予告だった。


今のところは小規模のようだ。


各課1~3名が選ばれる。そしてオラがいる部署は、
たった一人だ。しかし、オラの部署には家族持ち世帯が
大多数だ。


最近結婚した者、子供が生まれたばかりの者、
子供が小学生に入学したばかりの者……それぞれに、
それぞれの暮らしがある。


「……課長……」
「……ああ、野原か……」
廊下のソファーに、課長が項垂れて座っていた。
オラはその隣に座る。


「……課長、リストラって……」
「……ああ。私に、一人選ぶように言われたよ。まったく、
部長も酷なことを言ってくれる。


私に、選べるはずもないじゃないか……みんな、可愛い
部下なのに………」「………」


課長は、目頭を押さえていた。目の下にはクマも見え、
頬もやつれているように見える。課長も、かなり
悩んでいるようだ。


「……いざとなれば、私が……」


「でも課長、先日お子さんが私立の中学校に入学した
ばかりじゃないですか……」


「……野原、家庭の事情は、人それぞれだ。
誰も辞めたくないに決まってる。それでもな、
誰かを選ばないといけない。それならば、いっそ……」


課長は、語尾を弱める。覚悟と迷い……その両方が、
課長の中に混在しているようだ。


そうだ。誰でも、家庭がある。日常がある。その誰かが
辞めなければならないなら……それなら……


「……課長……」「……?」
「……オラが、辞めます」
「な、何を言ってるんだ野原!」


「誰か辞めないといけないなら、オラが辞めます。
オラは、まだ結婚していませんし」


「し、しかし!妹さんがいるだろう!?」
「妹は働いていますし、何とかなりますよ。それに、
オラまだ若いので、次の仕事も見つけやすいですよ」


「……だ、だが……!!」
「――課長、ここは、オラにカッコつけさせてくださいよ」
「……」


「……」課長は一度オラの顔を見て、もう一度項垂れた。
そして……「……すまない、野原……すまない……」
課長の声は、震えていた。


オラは分かってる。一番辛いのは、誰かを選ばなければならない
課長自身であることを……
だからオラは、あえて笑顔で答えた。


「……いいんですよ、課長。これまで、お世話になりました」
課長は、何も答えなかった。
誰もいない廊下には、課長の涙をこらえる声が聞こえていた。


そしてオラは、無職になった・・・
「――あれ?」仕事を出る前のひまわりが、オラの様子を
見て疑問符を投げかける。


「お兄ちゃん、今日はかなりゆっくりだね。
まだスーツじゃないなんて……」


「え?あ、ああ……すぐ着替えるよ。――それより、
急がないとまた遅刻するぞ?」
「――あ!うん!」


ひまわりは食パンを片手に、玄関を飛び出していった。
彼女を見送った後で、オラは仏壇の前に座る。


「……父ちゃん、母ちゃん。オラ、会社辞めちゃったよ。
小さい頃、父ちゃんにリストラリストラって冗談で言ってたけど、
実際そうなると笑えないね」


仏壇に向け、苦笑いが零れた。


「今日から仕事を探してみるよ。……分かってる。
ひまわりには気付かれないようにするから。
あいつ、ああ見えて心配性だし……」


そして立ち上がり、いつもよりもゆっくりとスーツを着る。
とにかく、片っ端から面接を受けるしかない。そのどれかが
当たれば、それに越したことはない。


大丈夫。きっと、大丈夫だ……
オラは、自分にそう言い聞かせながら、家を出た。


午前中から、色んな企業を周った。求人案内が出てるところ
をはじめ、とにかく、直談判した。会社、工場……場所を
問わず、とにかく足を運んだ。


……だが、現実は甘くない。


そもそも春先でもない今の時期に、求人があること自体
が稀であった。そしてどこも、簡単にはいかない。


どこも同じなんだろう。余裕がないのだ。それに、オラも
27歳。うまくいくことの方が、難しかった。


(やっぱり、どこも難しいな。でも、まだ始めたばかりだ……)
そして、オラは街を歩く。仕事を求めるため、乾いた風が
吹くビルの隙間を、縫うように歩いて行った。


それから2週間経った。


オラがようやく見つけたのは、小さな工場の作業員だった。
正直、手取りはほんのわずかだ。それでも、働けるだけ
運がよかったと言えるのかもしれない。


……しかし、この工場の勤務時間は以前の職場よりも長い。
これまで夜7時くらいには家に帰れていたが、帰宅するの
はいつも夜11時過ぎなった。当然、夜ご飯など作る
時間はない。


「……お兄ちゃん、最近帰るの遅いね……」
オラにご飯を持って来ながら、ひまわりは呟く。
「……ちょっと、な。働く部署が変わったんだ」
「そうなんだ……なんか、毎日クタクタになってるね」
「まあ、慣れるまでは時間かかるかな……」


ご飯は、ひまわりが作っている。と言っても、冷凍食品
が主ではあるが。それでも作ってくれるだけありがたい。
ご飯は水が少なくて固いが、それでも暖かい。


ひまわりに悟られないように、スーツで出勤する。
そして仕事場で作業着に着替えるという毎日だ。
はじめ工場長も不思議がっていたが、密かに事情を
説明すると、それ以降は何も言わなくなった。


仕事は、かなり労力を使う。
単純な作業ではあるが、一日中立ちっぱなしだ。
そこそこパソコンを使えるが、使う機会はほぼない。


流れ作業であるために、オラが遅れれば、後の作業に
影響が出る。だから一切気が抜けない。
慣れない作業に、肉体と精神力を酷使し続ける日々は、
とてもキツかった。


それでも、今は働くしかない。・・・








2007年、公立校の教員採用試験の合格発表の日。


『ついにやった…』とひときわ深い感慨をかみしめた
一人の青年がいた。


それは、日本で初めて両手のない中学校教師が誕生した
瞬間だった。小島裕治さん(28歳)。


彼がここに至るまでの道のりは簡単なものではなかった。
4歳の時、横断歩道を渡る途中、ダンプカーにはねられて
意識不明。


気が付いて包帯をとると、自分の両腕がなかった。
その日から彼の生きる闘いが始まった。


両親の励ましに支えられて、努力の末、食器を足で
持って食べ、泳ぐこともできるようになった。


しかし、小学生の頃は「手なし人間」とからかわれたり、
遊具に一緒に乗れなくて親友から『遊んでもおもしろくない』
と突き放されたりした。悲しかった。・・・


次第に自分を冷めた目で見るようになって、高校時代には
友達を作ろうとも、学校を楽しもうとも考えなかった。


ある日、入部していた国際協力クラブの顧問教諭から、
『殻を破れ、バカになれ』と声をかけられた。


そして、2年生のクリスマス。


留学生を囲む会で、他の部員達がみな尻込みするのを
見ていて、『ハッ』とその言葉が頭によぎった。


彼自身を変えるターニングポイントの瞬間が訪れた
意を決して留学生に歩み寄り、


『Hi! How are you?』と片っ端から声をかけて回った。


「笑いたいやつは笑え。どうとでもなれ」という気持ちだった。
その瞬間、彼の中で未来の扉が音を立てて開き始めた。


大学時代はニュージーランドに留学。
ある日、訪問した小学校で、右足でペンを持って名前
を書いた。


一瞬シーンとしたが、次の瞬間、『信じられない!』
という子供達の大歓声が起こった。


この時の経験から、彼は『教師になりたい』という
夢を持つようになった。そして、教師になるための
闘いが始まった。


今まで『前例がない』という理由で、普通学校への入学
は渋られ、アルバイトも断られたが、やはり就職も同じだった。


公立校の教員採用試験には二度挑戦したが不合格とされ、
私立校も軒並み不合格だった。それでも彼は夢
を捨てなかった。


そして、三度目の挑戦で、ついに合格を勝ち取ったのである。
彼は今、愛知県西尾市で中学校の英語教師として教壇に
立っている(2009年時点)。


黒板の前で高いイスに乗って、右足を顔の高さまで上げて、
足の親指と人差し指の間にチョークを挟んで、文字を
書いている。


だからこそ彼は、世の中で両手を使った陰惨な事件が
起きるたび、『どうして?』と感じる。


母校の高校で教育実習をしたとき、
最後の授業で、みんなにこう言った。
「両手を開いてごらん」


そして、こみ上げる思いを抑えながら訴えた。


『みんなには両手がある。人を傷つけたり、
不幸にしたりするためではなく、夢を叶えるために
使ってほしい』・…


author:日経新聞の記事より






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