妄想劇場・流れ雲のブログ

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妄想劇場・特別編

流れ雲のブログ













私たちは中学3年生になりました。


ヤクモ中学校3年4組には、今でもリーダーとして活躍している
サキや背丈がぐんと伸びたトモ子など6、7名のマツダ学級の
クラスメートがおりました。


いよいよ高校受験モードに入ろうとする11月のことでした。
クラスメートは、それぞれ希望する高校に入学するため、
家でも学校でも受験勉強に没頭していました。


息抜きはお弁当の時間と休み時間です。


お弁当を食べ終えたクラスメートは全員、昼休みのベルと
同時に教室を飛び出し、バレーボールやバスケットボール
に興じて頭と体をリフレッシュさせるのでした。


アツシは遅れていた集金袋を職員室の担任に届けてから
外に出ようと、カバンから集金袋を取り出し、机の上に
置いていました。


休み時間のベルが鳴る少し前に、トイレに行きました。
トイレから教室に戻ろうとした時、ベルが鳴りました。
教室からはクラスメートが飛び出して行きました。


教室は、あっという間に空っぽになっていました。アツシも
集金袋を届けて、すぐに校庭に出ようと急ぎました。
しかし、4000円の入った集金袋がないのです。


(あれっ、確かに机の上においたはずなのに……)
床にも落ちていません、机の中、カバンの中にもありません。
アツシは、青くなって職員室に行き、担任の先生に集金袋が
なくなっていたことを話しました。


アツシは担任と昼休み中、教室や廊下、トイレまでも探し
ましたが集金袋は見つかりませんでした。


アツシがトイレに行ったほんの2、3分の出来事でした。
休み時間になる前は、みんなは教室でお弁当を食べ終え、
ワイワイと雑談していました。


ベルが鳴ったと同時に全員が教室に出だのですから、
それは本当に短い時間の出来事だったのです。


5時間目は急遽、集金袋探しの時間となりました。
学級全員で教室内、廊下など教室周辺をくまなく探しました。
しかし、出て来ません。


各自が自分のカバンなどの持ち物を確認しました。やはり、
ありません。 教室でなくなったので、教室内のどこかにある
はずですが、担任は生徒一人ひとりの持ち物を点検する
ようなことはしませんでした。


6時間目は、広い教室に3年生4クラス全員が集められました。
3年生だけが2年前に新築された新校舎で学習しています。
授業や昼食時間に1、2年生が新校舎に来ることは考え
られないのです。


床に座った180名の3年生を前に担任が話し始めました。


「今日、昼休みが始まる直前、3年4組の教室から4000円が
入っていた集金袋がなくなった。5時間目、3年4組全員で
教室や廊下、新校舎内を探したのだけれど集金袋は
見つかっていない。


昼食中のことだから旧校舎にいる1、2年生は関係して
いないだろう。4000円は大金だ、このまま放っておく
わけにはいかない………


だれか、4000円入りの集金袋を知らないか………
だれか、4000円入りの集金袋を見なかったか………
だれか、4000円入りの集金袋を間違って手にしなかったか……」


私は小学校4年生の時のマツダ先生を思い出しました。
マツダ先生と同じように中学校の担任も言いました。
それ以上のことは言いませんでした。いや、それ以上の
ことは何も言えなかったのかもしれません。


長い沈黙が続きました。もう15分は経過しています。
再び担任が話し始めました。


「……6時間目の授業があるから、これで終わりにするけど、
もし間違って自分の持ち物の中に集金袋が入っていたら、
そっと申し出てくれないか3年生の先生ならだれでもいい……
責めたり、公表したりしないから……」


マツダ先生と全く同じだなぁ……と思いながら聞いていると、
サキがスッと手を挙げたのです。 先生方は驚いたようでした。
担任は思わず、 「サキ……おまえ」 と声が出てしまいました。


サキは、立ち上がりました。 「いえ、私が集金袋をとったのでは
ありません。私にも少し話しをさせてほしいんです……」
担任は、サキの申し出を受け入れました。


「ありがとうございます。みんな聞いてください。
先生方は、学年全体に呼びかけるような問いかけしかしません。
それは私たち一人ひとりのことを尊重しているからだと思います。


でも、みんなも思ってるでしょうが、どう考えてもこの3学年の
だれかがアツシくんの集金袋を持っているに違いありません。


……実は、私は小学校4年生の時に、いたずらされたように
見せかけて自分の靴や絵具箱を自分自身で隠したことが
あるんです。


それだけでなく、トモ子の体操着まで」 そこまで言うと、
トモ子が声をあげました。 「サっちゃん、それは小学校の頃の
ことだから、言わないで!私なんともないから……」


「いや、でもごめんトモ子、言わせて」 トモ子は首を縦に
振りました。 「私は自分の体操着をトモ子の服袋に入れて
、トモ子が私の体操着を隠したように見せかけたの。


一週間、先生や学級のみんなを困らせてしまったわ。
でも、結局、私がやったことだということは担任のマツダ先生
は分かっていた。先生は、家に来てすべて事情を話した。


私は深く反省して、お母さんと一緒にトモ子の家に行って
謝ったの。担任の先生は、私がしたということを一切言わず、
誰かが間違ってしたことにしてくれた。……


でもね……そのことは今までずっと忘れることはできないの。
私がしたこととトモ子へのお詫びの気持ちは、今でも心から
消えないの。……


みんなに言いたいことは、今なら間に合うってこと。……
集金袋がなくなってまだ2時間も経っていない。


私のように一週間も黙っていたら、みんなの心に中学校時代
の嫌な思い出として残ってしまう。でも今なら誰も問題にしないし、
すぐに忘れてしまう……今なら間に合うから………


誰かもし、失敗してしまった人がいたら、どこかにそっと
置いといて、今なら取り返しがつくから……」


サキは言い終えると黙って座りました。 3年生全員、
重い心を引きずりながらクラスごと教室に戻りました。


3年4組のクラスメートも教室に入りました。
入って間もなく、声が上がりました。


「なにこれ?アツシの集金袋じゃない?」
不思議なことでした。黒板の前にある教卓の上に、
アツシの集金袋が乗っていたのです。


その集金袋には誰も触れず、誰かが担任を呼びに走りました。
担任は驚き、集金袋を手に取ると中身を確かめました。
確かに4000円入っていました。


そして 「すみませんでした」 と一言書かれた小さなメモが
同封されていたのでした。 ・・・・・・」












【最終回】成人式では大人気 


その日は曇り空だった。紺のジャケットに青いネクタイをした
洋介を真ん中にし、玄関先で写真を撮った。


家族写真というのはいつ以来だろうか。こうしたことを嫌がる
年頃の次男も、まもなく要らなくなる高校の制服を着て
加わった。


1993年、信州の天竜川に近い病院で洋介が生れてから
20年がたち、成人式の日が来たのだ。 ・・・


居酒屋、洋ちゃんも来ませんか?  


会場となる体育館に行くと、すでに晴れ着とスーツ姿で
あふれていた。同窓の若者たちが、それぞれに集まり、
話が盛り上がっていたが、洋介は中学から隣村(当時)の
特別支援学校に進んだから、クラスメートはいなかった。


それでも、僕ら家族にとっては特別な日であり、通過点ながら、
何か「達成」のような感覚もあった。  


そんなとき、一人の晴れ着の子が声をかけてきた。
「洋ちゃん!ですよね」。


洋介の幼なじみで、最初の幼稚園で洋介がつらい仕打ちを
受けていると「告発」してくれた女の子だった。  


見違えるようなお嬢さんに成長していたその子に呼ばれ、
小学校で同学年だった女の子たちも集まってきた。
昔の友だちはみな、すっかり大人の女性に変わっていたが、


洋介は面影をおぼえているようで、緊張することもなく、
うれしそうな顔をしていた。  


それを控えめに遠くから見ていた男の子は、一団が
去ってから、「一緒に写真を撮ろうよ」と言ってきた。


「今日、居酒屋でお祝いの会を開くんだけど、洋ちゃんも
来ませんか?」と誘ってくれた(親同伴の会になっては
興ざめかと思い、辞退したが・・・)。


20年の重み、にわかに実感  


なかなか生まれず、医師から「胎児の突然死もありうる」と
言われ、生まれてからもしばらく保育器から出られなかった
20年前、洋介が自閉症だと告げられた17年前……。
この日が来ることを想像すらできなかった。


いや、成人式の前日まで、その実感はなかった。  
だが、会場で仲間に囲まれている洋介を見ていると、
彼が生きてきた20年の重みが、いつの間にか僕ら夫婦の
上に降り積もっているのを感じた。曇り空から舞い落ちる
雪のように。 ・・・


“財産”は障害のある子にも周囲の子にも


障害のあるお子さんを育てている女優さんにインタビュー
をしたときのこと。


小学校入学にあたり、迷った末、特別支援学級ではなく、
普通学級を選んだばかりだった。


有名人ともあれば、そんな一つ一つの選択さえも、注目され、
時には批判されもするだろう。彼女は、「私たち夫婦の夢は、
成人式の会場で、息子が同級生たちとハイタッチするのを
見ることです」と明かした。


僕は「きっと、かないますよ」と言った。  
すべての子にとって、地元の小学校や普通学級に通うことが
いいわけではないだろう。通いたくても、望みがかなわない
ケースもある。


洋介の場合も、小学校高学年になって課題が高度化して
くるにつれ、他の子どもたちと一緒に活動する機会が少なくなり、
本人にもストレスになってきたことから、


中学からは特別支援学校を選んだ。正解がどこにあるかは
わからないが、少なくとも、幼い頃にともに過ごした経験は、
障害がある子にとっても、その周囲にいた子にとっても
財産であることは間違いない。


今、こうして在宅勤務で書いていると、洋介(仮名)が静かに
近づいて隣の椅子に座り、僕が原稿を書く時のくせである
貧乏ゆすりをまね、右足を動かしている。


こんな日々を、いつまで続けられるのだろうかと思い、
ふと天井を見上げた。……


author:(ヨミドクター編集長 梅崎正直)






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