妄想劇場・森羅万象



週刊女性は、〈逮捕で40周年に“泥を塗られた”松田聖子〉と
報じている。 聖子は40周年記念アルバムを制作中で、その
“目玉”が槇原容疑者の書き下ろしの新曲だったんだとか。
どうやら“お蔵入り”になりそうで、関係者は頭を抱えて
いるらしい。
「槇原容疑者は、リリースされた木村拓哉初のソロアルバム
にも楽曲を提供。ソロツアーの東京公演で、キムタクは
その曲を歌っていますが、すぐ(13日)に槇原容疑者が
逮捕されてしまった。
キムタクと槇原容疑者といえば、SMAP時代の大ヒット曲
『世界に一つだけの花』が思い出される。
キムタクのファンだった、槇原容疑者が作った新曲となれば、
感慨もひとしおだったはずですが……」(音楽業界関係者)
槇原容疑者は、「ファンはもちろんですが、マッキーの
家族の心情を思うと何よりつらい」と、・・・。
「20年前にマッキーが覚醒剤で逮捕された際には、
お父さんが法廷で泣きながら情状酌量を訴えていました。
今回の逮捕後も79歳と高齢ながらマスコミの取材に応じ、
『薬なんて、とうの昔にやめていると思っていました』
などと話しています。
覚醒剤は性的な快楽を求め異性と共に使用するケースが
多いという。
1999年、槇原敬之容疑者(50)が逮捕された際、同棲中
の部屋で一緒に逮捕されたのはゲイの街として知られる
新宿2丁目に出入りするKさんだった。
犯罪は時に別な一面が露呈する。
住まいや年齢詐称まで知られてしまうこともある。
槇原容疑者のゲイの恋人もしかり。 表と裏の顔が
あるのが芸能人。
不倫もその一端だろうが、どんなダメージを受けようと表の
本業が評価されれば、すべてはクリアにできる。槇原容疑者
はその最たるミュージシャンだった。
1度目の逮捕後に作った「世界に一つだけの花」など数々の
ヒット曲。才能の素晴らしさに誰もが酔いしれ、覚醒剤の
ことなど忘れさせて余りあるものだった。
歌番組だけでなくトーク番組にも出演。人懐こい笑顔で意外
にも冗舌。好感度も上がっていたが、あくまでも表の顔に
過ぎない。
2度目の逮捕になった今回も次々と裏の顔が暴かれている。
裏の話は以前から流れていた。例えば、執行猶予中の頃。
槇原容疑者は「もう二度と会うことはない」とKと決別。
東京を離れ実家のある大阪で謹慎生活を送っていた。
覚醒剤をやめる最善の方法のひとつがクスリ仲間との
交流を断ち生活環境を変えること。
元経験者からこんな話を聞いたことがある。 「再び同じ環境
で似たような人と交流すれば、フラッシュバックのように覚醒剤
の快楽が蘇り、つい誘惑に負けてしまう」
実家とはいえ槇原容疑者が選んだ大阪も東京と変わらない
誘惑の多い街。槇原容疑者も誘惑に負けたように、
「堂山(有名なゲイタウン)で見かける」という情報がもたらされ、
取材に出かけた。
仕入れた話から槇原容疑者は会員制のバーに出入り
していたという。
「ゲイの世界は彼にとって唯一、リラックスできる場所だった
と思うわ」 そんな同情的な声も聞いた。
その後、槇原容疑者は復帰を目指して上京。
憎しみ合って別れたわけではないKとの再会も自然な流れ。
同じ傷を持った男同士。同棲まで復活させた。
さらにKは槇原容疑者の事務所の取締役に就任。
公私にわたるパートナーになっていた。
覚醒剤の供給源だったKと再び手を染めるのも時間の
問題だった。今回の逮捕では所持と器具は発見されたが、
尿検査の結果はシロだったのは、槇原容疑者にとって
覚醒剤は男とセット。1人での使用はなかったのだろう。
親密さを増した2人の仲も壊れれば負の連鎖が起きる。
2年前に2人は破局。愛憎劇に会社経営を巡る金銭トラブル
まで囁かれていたなか、Kが再び覚醒剤で逮捕。
槇原容疑者も捜査対象者として浮上して不思議はない。
ミッツ・マングローブによれば「2丁目ではマッキー
(槇原容疑者)は神」という存在だったというが、
再び覚醒剤に手を出し、背景に破局と金銭問題が絡めば、
噂好きの2丁目のかっこうのネタ。ドロドロの愛憎劇が
覚醒剤の逮捕につながった。
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「かなう夢とかなわぬ夢」
夢をかなえる人と、夢がかなわない人の違いとは、
一体何なのでしょうか?
「こういう夢があります」「ああいったことを実現したい」
など、夢を語る人は多いものです。
「他人が夢をかなえるのを手伝いなさい。
そうすれば、あなた自身の夢もかなうでしょう」
そう言ったのは、アメリカの作家であり講演家の
レス・ブラウン氏です。
いまから500年ほど前、ドイツのニュルンベルグの町に
「デューラー」と「ハンス」という若者がいました。
2人とも子沢山の貧しい家に生まれ、
小さな時から画家になりたいという夢を持っていました。
2人は版画を彫る親方の元で見習いとして働いていましたが、
毎日忙しいだけで絵の勉強ができません。
思いきってそこをやめて絵の勉強に専念したいと思いましたが、
絵の具やキャンバスを買うお金もままならないほど貧しく、
働かずに勉強できるほど余裕はありませんでした。
ある時、ハンスがデューラーに1つのことを提案しました。
「このままでは2人とも画家になる夢を捨てなくてはいけない。
でも、僕にいい考えがある。2人が一緒に勉強はできないので、
1人ずつ交代で勉強しよう。
1人が働いてもう1人のためにお金を稼いで助けるんだ。
そして1人の勉強が終わったら今度は、別の1人が勉強
できるから、もう1人は働いてそれを助けるのだ」
どちらが先に勉強するのか、2人は譲り合いました。
「デューラー、君が先に勉強してほしい。君の方が僕より
絵がうまいから、きっと早く勉強が済むと思う」
ハンスの言葉に感謝してデューラーはイタリアのベネチアへ
絵の勉強に行きました。
ハンスはお金がたくさん稼げる鉄工所に勤めることになりました。
デューラーは「1日でも早く勉強を終えてハンスと代わりたい」
とハンスのことを思い、寝る時間も惜しんで絵の勉強をしました。
一方残ったハンスはデューラーのために早朝から深夜まで
重いハンマーを振り上げ、今にも倒れそうになるまで働き
お金を送りました。
1年、2年と年月は過ぎていきましたがデューラーの勉強は
終わりません。勉強すればするほど深く勉強したくなるからです。
ハンスは「自分がよいと思うまでしっかり勉強するように」との
手紙を書き、デューラーにお金を送り続けました。
数年後ようやくデューラーはベネチアでも高い評判を受ける
ようになったので、故郷に戻ることにしました。
デューラーは「よし今度はハンスの番だ」と急いでニュルンベルク
の町へ帰りました。2人は再会を手を取り合って喜びました。
ところがデューラーはハンスの手を握りしめたまま呆然としました。
そして、泣きました。
なんとハンスの両手は長い間の力仕事でごつごつになり、絵筆
がもてない手に変わってしまっていたのでした。
「僕のためにこんな手になってしまって」と言ってデューラーは
ただ頭を垂れるばかりでした。
自分の成功が友達の犠牲の上に成り立っていた。
彼の夢を奪い、僕の夢が叶った。
その罪悪感に襲われる日々を過ごしていたデューラーは、
「何か僕に出来ることはないだろうか」「少しでも彼に償いをしたい」
という気持ちになり、もう一度、ハンスの家を訪ねました。
ドアを小さくノックしましたが、応答はありません。
でも、確かに人がいる気配がします。小さな声も部屋の中から
聞こえきます。
デューラーは恐る恐るドアを開け、部屋に入りました。
するとハンスが静かに祈りを捧げている姿が目に入りました。
ハンスは歪んでしまった手を合わせ、一心に祈っていたのです。
「デューラーは私のことで傷つき、苦しんでいます。
自分を責めています。神さま、どうかデューラーがこれ以上
苦しむことがありませんように。
そして、私が果たせなかった夢も、彼が叶えてくれますように。
あなたのお守りと祝福が、いつもデューラーと共にありますように」
デューラーはその言葉を聞いて心打たれました。
デューラーの成功を妬み恨んでいるに違いないと思っていた
ハンスが、妬み恨むどころか、自分のことより、デューラーのこと
を一生懸命祈ってくれていたのです。
ハンスの祈りを静かに聞いていたデューラーは、
祈りが終わった後、彼に懇願しました。
「お願いだ。君の手を描かせてくれ。
君のこの手で僕は生かされたんだ。
君のこの手の祈りで僕は生かされているんだ!」
こうして、1508年、友情と感謝の心がこもった
「祈りの手」が生まれました。
夢を叶える人、喜ばれる人になっていきたいですね。
・・・
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この体験によって、初めて気づかされたことがある。
「目には見えない障がい」を抱えている人がいることを。
書店に行く途中、踏切を待っていると、目の前に三才ぐらい
の女の子を乗せた自転車の親子がいた。
女の子は後ろを振り返り、私を見てニコニコしながら手を
振ってきた。少し恥ずかしかったけれど、手を振り返して
あげると、逆の手に持っていた、まだ封の開いていない
ラムネ菓子を自慢気に見せてきた。
買い物袋の入った自転車の前カゴを見ながら、買って
もらったばかりのお菓子がうれしくて、誰かに伝えたいの
だと思いながら、「いいの買ってもらったね。」と声をかけ、
女の子との会話は少し続いた。
しかし、お母さんは自転車のハンドルを握った手から目を
離さずに、まったく会話に気づいていない様子だった。
踏切が開くと同時に、女の子との会話は終わった。
お母さんが自転車を引くあとを追うように踏切を渡って
いると、急に自転車が止まった。
私は、一瞬つまずきながら早足で追い越した。そのとき、
自転車の後輪が線路のレールにすっぽりとはまって
いるのが見えた。
すぐに抜けるだろうと思い、そのまま進んだが、気になって
振り返ると、「えっ、まだ!」と、思わず声に出してしまった。
自転車の位置が少しも変わっていなかったからだ。
電車が来てしまったら大変だ。私は、胸がドキドキした。
子どもを乗せている上に、電動自転車だ。
女性が持ち上げるのにはかなり重いはずなのに、
誰かに助けを求める感じもなく、ひたすら自転車を
動かそうとしていた。
なんで声をかけて、手伝ってもらわないのだろう。
踏切を渡っていく人たちは、通りすぎていくばかりだ。
私は、焦あせる思いと腹立たしい思いが入り交じっていた。
少し離れたところで、「危ないよ! 早く線路から出ないと
電車が来ちゃうぞ!」と、両手に荷物を持ちながら線路に
向かっておじさんが叫んでいた。
私は夢中でおじさんに走り寄り、「私が荷物を預かります
ので、手を貸してあげてください。」と言った。
おじさんの助けがあって、親子は無事に線路から出る
ことができた。
安心して女の子に手を振ると、「ママがありがとうって。」と、
笑顔で私とおじさんに言った。
ふとお母さんを見ると、手話をしながら何度も頭を下げていた。
お母さんは聴覚障がいを持っていたのだ。だから、
とっさに助けを求められなかったのだ。
見た目は私たちと何も変わりがない。だから手助けは
必要ないと、勝手に思ってしまった自分を情けなく思った。
杖をついているなど、目に見えるものは 労いたわりやすい。
しかし、そのとき、誰に対しても手助けは必要という気持ちが
私にあったなら、もっと早くお母さんや女の子を安心させて
あげることができたと思う。
目には見えない障がいがあることを気づかされたと同時に、
どんなときでも人への配慮が自然とできる自分でありたい
と強く思った・・・
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