妄想劇場・流れ雲のブログ

趣味の、自己満ブログです。人生は、振り返ることは出来ても、後戻りは出来ない…掲載内容に問題がある場合は、お手数ですが ご連絡下さい。 迅速に対応させていただきます。

妄想劇場・一考編







歌:小田純平
作詞:石森ひろゆき:作曲:小田純平


毘沙門天の おみくじを
坂の途中で 引いたのは
待ち人はもう いないけど
恋の証しを 結ぶだけ


お世話になった 店に寄り
挨拶済ませ 坂道を
鞄ひとつで 下りてゆく
何年過ぎた 夏の雲








キムチ溶岩


日曜日のお昼は、舅と二人きりだった。
子供たちは友達と遊びに出かけて留守だった。
姑は、行く先は聞かなかったがお洒落をして出かけて行った。


伯父は、居間の定位置にいつも通り座り静かに一人で
食事をする。


台所は、十六畳ほどの空間を所有していた。
システムキッチンも広く、大人三人が一緒に立っても楽に
調理ができた。


冷蔵庫は二台あり、一つは、舅の専用の冷蔵庫。
食べることが趣味のような人だから、大好物の肉や魚・
野菜は自分で買い物へ行き、吟味して選択し長い時間
かけて購入してくるのを知っている。


一度だけ、スーパーへ一緒に買い物に行った時、食材を
一つ一つ手に取り品定めをする姿を後ろから見ながら、
時間がもったいないなぁと思ったことがあった。


食べることに対して、非常にこだわりのある人だった。
だから、冷蔵庫はいつも食材でいっぱいになっていた。
舅は、自分で調理もした。お世辞ではなく、上手だ。


多少、塩味が濃いと思う時もあるのだが総体的に点数を
つけると八十点くらいか、 それ以上の出来ばえだった。


もう一つの冷蔵庫は、子供たちと私専用だった。
私の母が嫁入り道具の一つとして送ってくれたのだ。
三段式で、一番上は、冷凍庫になっていてアイスクリーム
が常時入っていた。


中段は、冷蔵庫になっており、ゼリー、プリン、牛乳、
スポーツドリンクなどが入っていた。下段は、野菜室で、
だいたい決まった種類の野菜が入っていた。


昨夜の季節外れのキムチ鍋に、ネギと豆腐を新たに足して、
キムチの素を入れ、


卓上カセットコンロをテーブルの中央に置いて温めた。
土鍋のためなかなか温まるまで時間を要した。 他
には、ほうれん草のゴマ和えときゅうりとナスの即席漬け、
ご飯、みそ汁を準備した。


昼食の準備が整ったので、二階の居間にいる舅を呼びに
行った。舅は、普段通りテレビを見ていた。テレビの
ボリュームが大きかった。長年の仕事と加齢で聞こえが
遠くなったらしい。


いつも大声で怒鳴っているのは、 そのせいかもしれないと、
ふと情けを感じた。がすぐに取り消した。


「お昼ができました」と声をかけた。 台所へゆっくりとした
足どりでノシノシと入り、いつものポジションにドカッと座った。


そう、舅は肥満の体型なのだ。九十キロと記憶にある。
美味しい物はお腹一杯食べて動かない生活を繰り返して
いれば、 そうなるのは当然だ。言わば自業自得である。


スーツやジャケットは全てオーダーしていた。既製品は
合うサイズがないのだ。


ご飯とみそ汁をよそった。舅の第一声が発せられた。
「何だ、具が足りないな。肉がないな」


ネギと豆腐は足したが、豚肉は入れていなかった。
キムチ鍋を真ん中に挟んで、対面での絶妙な配置が吉と
出るか凶と出るかは、これからの舅次第。


予想は決して裏切らなかった。
私は、 一口も食べずに次の瞬間レディゴーのゴングが
鳴ったのを聞いた。カーン‼


相手は、目の前にいる一人しかいなかった。
いつもマイナスの言葉しか発しない天才。
人を承認など全くしない。


たとえ会社では社長と呼ばれる立場にあったとしても、
人としての最低限のマナーと品格は備えて欲しいものだ。
しかし、その願いは虚しく打ち砕かれていった。


「息子は、お前と知り合ってからダメになった。
お前が全部悪いんだからな」


確かに、音声は耳の手前まで来ていた。しかし、
耳の奥へは入って来なかった。意味不明、しかも
心当たりもなかった。


違和感が私の気持ちを支配した。


この「お前」とは、一体誰を指しているのだろうか? 
今現在、台所には二人しか存在していない。
相手から見ての「お前」は、残り一人しか当てはまらない
のである。


私の右手人差し指は自分に向いていた。 いろいろな
迷路を辿ってやっと私のところに着いた。


思考回路が繋がったところで返した。
「あの、お言葉を返すようですがそれは違うと思います。


結婚してから、夫として父として、会社の立ち場ある人として
の行ないは、始めから悪かったので。


父親としての責任はもとより、 会社における立ち場にも
責任を果たさず従業員も大変迷惑しております。


一番の原因は、貴方との父子関係、すなわち信頼関係の
崩壊にあると思います。


会社の社長は貴方です。 社長が何とかして下さい。
社内もバラバラでまとまりません。よろしくお願いします」
はっきりとした口調で言った。


人から言われることがいっさい嫌いな性格であるから、
ここから先はどう展開していくかは想定内であった。


食べることを忘れられた、キムチ鍋は赤くグツグツ煮えたぎり
溶岩と化していた。それは今にも噴火しそうな気配であった。
天井へ上昇していく蒸気がさらに感情を応援した。


昼食とは、本来ゆったり寛ぎ料理の味を楽しむべき時間
なのであろうに、それはとうてい許されなかった。


売られた喧嘩は買うのが私流である。


「お前は頭が変だな。まともではないな」 私は今まで生きて
きた中で、一番の称賛の言葉を聞いた。


称賛の凶器は私の脳をデカいハンマーで叩き割った。
脳ミソは台所の床に飛び散った。破壊されたのは脳ミソ
だけである。心は無傷であった。


私の正義は勝っている。心に乱れはない。反対に
「ヤッター。ヨッシ」とガッツポーズをした。
歓喜の叫びであった。


逆境で生きるために私に与えられた強い力を自覚した。
後のバトルは支離滅裂ぐちゃぐちゃだった。
人としての理性のかけらもなく、言いたい放題。


どれくらいの時間が経過したのだろう。バトル開始から
三十分経過した頃、血圧の高い舅は、急に「ふぅーっ」
と息を吐き、殺気を失った。


「えっ、もう終わり?」 心の中で、私は、つまらないと呟いた。
最後のクライマックスからフィナーレの幕が下りるまで、
演じきりたかったのだが、途中で終了したことに少々物足り
なさを感じていた。


視界を下げ、キムチ鍋を見ると、スープはなくなり土鍋のへり
に赤黒くこびりついていた。 舅は、そのキムチ溶岩を一口
体内にドロッと流し込んだ。 ・…


author:風間 恵子










「手をつないで見上げた空は」
  
幼い頃 手をつないで見上げると母がいた
青空は母よりもっと遠くにあって 大きな白い雲が一つ
流れていた幸せのことなんて考えたことなかった


私がつまずき失敗をすると 私の手を両手で優しく包んで
母はいつも青空の話をした 雲が流れ雲に覆われ
青空は見えなくなり 時には雨が降るから
青空を待ちこがれて 青空の美しさに
心打たれるんだと


何度失敗して何度つまずいたことか
そして何度この話を聞いたことか


認知症の母との日々の中で 苛立ちという雲が出て
悲しみという雨が降った 私は何度も失敗してつまずいても
母は何も言ってくれなくなったが 手をつないで散歩をすると
いつも母は静かに空を見上げていた


青空がただ頭上に広がっている 幸せもまたただあるもの
求めるものではなく 気づくものなんだ と母と手をつないで
空を見上げるといつもいつも思う





母が認知症になって、 こんな毎日がいつまで続くのだろうか
と思っていた。こんな毎日に幸せなんてないと思った。
そう思って、幸せとは何なんだろうと反芻した。


結局なんにも分からずに空を仰いだら、ふと母が幼い頃から
私に言っていた言葉を思い出した。


「青空を待ちこがれて、青空の美しさに心打たれるんだ」
と母が言っていたことを。


そう言っていた母がわけの分からないことを口走り困惑
する日々や私のイメージ通りに動かない母に苛立つ日々、


肺炎で死にそうな母の姿を見て死なないでくれと天に懇願
した日々もまた幸せに続く道なんだと思いこもうとしても、
なかなか私は納得できなかった。  


執着の「執」は、「丸」に似た旁(つくり)が人で、偏の「幸」が
手枷(てかせ)の象形を組み合わせた漢字。


手枷(てかせ)でとらえられた人の形を表しているらしい。
これに対し、 「幸」という単独の漢字は人にはめられて
いない手枷の象形。


手枷にはめられるのを免れて、幸せであることを意味する。
人から自由を奪う刑の道具が「幸(しあわせ)」とは面白い。


私を思い悩ませ自由を奪っていたそんな日々こそが、
幸せなんだとこの漢字は教えてくれる。


雨が降り、空は雲で覆われるからこそ、青い空がさらに
美しく見える。  また、幸せは「仕合わせ」とも書き、
めぐり合わせや運命のことをも言う。


母が認知症になり、認知症という病気に出会い、
考えもしなかった認知症の母にめぐり合った。


それまでの母とは、全く違う母だった。でも、そういう母に
めぐり会い、私は私の中から母を思いやる気持ちが引き
出されていくのを感じた。


この母を見つめ、寄り添い、 幾編の詩が生まれたことか。
母が詩を書かせてくれた。母が私を通して詩を書いている
と言っても言い過ぎではない。


母が認知症になる前の詩集はたったの一冊。数千冊売れた
だけだった。 教師を続けながらでしか。詩人や作家では
暮らしていけなかった。  


しかし、母が認知症になって母のことを詩に書き、もう何冊も
詩集を出した。母が認知症になって、 私の好きな道で暮ら
していけるようになった。


母に導かれて、私は私の歩むべき道を歩いているような
気がする。これが幸せなのかもしれないと、ふと私は気が
ついたのだ。


そして、これも母が認知症になってからの苦悩の日々が
あったからかもしれないと思う。


私の好きなジャズのベーシスト、リチャードボナの曲の中で、
ボナは日本語で歌う。


「虹が架かる地平線に/まっすぐに続いている道/どんなに
遠くても歩いていくのは/そこに希望の歌があるから」と。


希望の歌とは、地平線のもっと遠くに広がる青空なのだ。
私たちの一番奥には、いつも希望のように青空があるのだ。


幸せに執着せず、幸せになりたいという手枷から自由に
なって初めて、幸せに気がつくことができるんだ
とつくづく思う。 ・…







誰かがリーダーシップを取ろうとするとき、そのリーダーに
反対の意見を持っている人がいるかもしれません。


ところが私たちは対立が嫌いなので、「安易な合意」や
「偽の合意」に走ったりします。  


これを「アビリーノ症候群」といいます。


組織学者のハービーさんという人が、ある日、妻の実家に
遊びに行きました。


実家はテキサス州にある小さな町です。8月の暑い日でした。  
実家のお父さんが「今からアビリーノにドライブに行こう」と
言い出しました。  


それを聞いたハービーさん、「何てことを言うんだ!」と
思いました。アビリーノというところはその家から180キロ
も離れていて、しかも砂漠です。


車にはエアコンが付いていません。 「この暑い日に今から
アビリーノに行くなんてとんでもない」と思ったのです。  


ところが横にいたハービーさんの妻が「あら、お父さん、
それいいんじゃない。ねぇあなた」とハービーさんに
言うわけです。  


咄嗟にハービーさん、「僕はいいけど、お義母さんが何て
言うかね?」と、お義母さんが否定してくれることを期待したら、
お義母さんも「あら、いいわよ」ということになって、


みんなの合意の上でアビリーノに行くことになりました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~  


すると想像した通り、窓を開けて走るからほこりまみれ、
汗まみれ。  途中、食事をしようと思っていたレストランが
休みだったので、すごくまずいお店で食べ、また
片道180キロの道を帰っていきました。  


家に入ったらみんなバラバラに座り、一言も口をきき
ませんでした。  


しばらくしてお義母さんが「実は私は家にいたかったのよ。
でもみんな行きたそうだったからお付き合いしたのよ」
と言ったんです。  


それを聞いたハービーさんの妻は、「私だってあの暑さ、
想像しただけで行きたくはなかったけど、あなたが行きたい
と言ったから…」とハービーさんに言うわけです。  


彼は咄嗟に「僕は自分から行きたいと言った覚えはないよ。
同意しただけだよ」と言ってしまったのです。  


そしたらお義父さんが「せっかくおまえたちが遊びに来て
くれたのに晩ご飯が冷凍食品じゃ気の毒だから、僕は
行きたくなかったけど君たちのために誘ったんだ」と
言ったのです。  


この話でハービーさんは何を言いたかったかというと、
家族という最も気楽で親しい関係であっても本当のことが
ストレートに言えない。それで「偽の合意」が起きてしまう
ということです。


そこでハービーさんは、「自分たちにとって結果的に破壊的
なマイナスの行動を組織が取ってしまう合意」を
「アビリーノ症候群」と名付けました。


これは組織や会社でも起きるんですね。  
「なんでこんな企画が誰の反対もなく通ってしまったのか」と。  


みんな「自分さえ我慢すればいい」「反対意見が言えない
雰囲気がある」ということで「偽の合意」をしてしまうんですね。  


これを避けるには組織の中で合意をするときに、リーダー
と違う意見を持っている人がいたら、その人が意見を言える
環境をつくることができます。


これを「包囲環境」といいます。「包み込む」環境です。  
「本物の合意」をしていくためには対立が避けられない
ときもあります。でもそれが破壊的な対立意見でなければ、
「本物の合意」をつくるための摩擦はかえって
ヘルシーだということです。  ・…






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