妄想劇場・流れ雲のブログ

趣味の、自己満ブログです。人生は、振り返ることは出来ても、後戻りは出来ない…掲載内容に問題がある場合は、お手数ですが ご連絡下さい。 迅速に対応させていただきます。

妄想劇場・THEライフ







歌:森山良子
作詞:作曲:井上陽水


さみしさのつれづれに手紙を
したためています あなたに
黒いインクがきれいでしょう
青いびんせんが悲しいでしょう?!










病院でレントゲンを撮ったのですが、大腿骨を骨折されて
います」 ああ、恐れていた大腿骨骨折をとうとう
やってしまった。


母は骨がもろいので、いつか骨折するかもしれないと
ひやひやしていたのだ。


状況を聞くと、尻もちというより、手すりにつかまりながら
歩いているときに手が滑って崩れ落ちたような転び方
だったらしい。


骨折しているようには見えなかったが、 大事をとって受診
したら左の大腿骨が折れていたのだった。


骨を固定する手術をしなくてはいけない。


あっという間に手術の日取りが決まった。人工骨頭に
ならずに済んだのが不幸中の幸いだった。


術後2週間ほど入院し、園に戻ってリハビリをすること
になった。 問題は費用だったが、4~5万円程度だった
ように記憶している。


後期高齢者であり、高額療養費制度が適用された
からだと思う。 その後、母はますますベッドで過ごす
時間が増えた。


まったく動かないわけではない。リハビリもあるし、トイレ
には自分で行っていたし、 気分転換で職員に付き添われ
て部屋から出ることもあった。


問題は、誰も見ていないときにベッドから降りる瞬間だった。
ベッドに柵はつけてもらったが、うっかり変な降り方をして、
落ちそうになっていたのを発見されたりしている。


そこで、ベッドの下に衝撃吸収マットが敷かれた。


母はこのマットにずいぶん助けられたはずだ。
さて、例の骨折からほぼ1年後のことである。


「申し訳ありません。お母さまがまた大腿骨骨折されました」


衝撃吸収マットの外側で転倒しているのが見つかったの
だった。今度は右だった。


1年の間に、両足の大腿骨を骨折するなんて……。
軽傷であることを祈っていたが、 検査の結果、


大腿骨の頭のほうが大きく損傷しており、人工骨頭が
必要なレベルであることがわかった。


骨盤の高齢者にはよくあるケガとはいえ、人工関節になる
というのは生易しいことではない。


回復には時間がかかるだろうし、 リハビリもつらいものに
なるだろう。そしてどんなにリハビリをしても、 歩行が100%
元通りになるとはいえない。


母はきっとがまんするだろうが、年を取ってまで辛い
リハビリをさせるのは可哀そうだった。


整形外科の病棟には、晴子叔母やいとこのユカも見舞いに
来てくれた。母は誰が来ても愚痴ひとつ言わず
横になっていた。


目を開けてじっと寝ている母を見ていて、 彼女の感情は
どこにいってしまったのだろうと思った。


喜びとか悲しみとか腹立ちが、ほとんど見えない表情の奥で、
本当は何を感じているのだろう。


今言っておかなければ、と感じて「お母さん、ごめんね」
と言った。 するとそれまでの無表情が消え、母は心底
驚いたように目を見開いた。


「今さら何を言ってるのかしら」とでも言いたげな顔だった。
しかし、彼女はひと言も返してくれなかった。


認知症であっても、私に対して言いたいことは渦巻いて
いただろうに。


「口から食べる」をあきらめる


2回の手術を経て、母はほぼ「寝たきり」になってしまった。
横になっている時間が多くなるということは、誤嚥の心配も
増えるということである。


老人ホームでは、食べ物を飲み下す力を保持するために
「嚥下体操」をやったり、食べ物の硬さや形状を工夫したり
してくれているが、 それでも唾にむせたりすることはある。


それがきっかけで「誤嚥性肺炎」になることもある。


母も、この1年ほどあとで「誤嚥性肺炎」になってしまった。
短期間の入院後、園から「胃ろう」の処置を提案された。


口から食べているうちは、 誤嚥の危険性が0にならない。
誤嚥性肺炎を予防するために、おなかに胃まで通じる
穴をあけ、チューブで直接胃に栄養を送る方法が
「胃ろう」である。


現在では内視鏡を使って孔を開けられるから体への
負担は軽い。


食べ物や飲み物、唾液でむせなくなるので安全性が
高まるのははっきりしているが、 食べ物を味わう楽しみは
奪われる。


クオリティ・オブ・ライフの面では悲しい選択と言わざる
を得ない。


「胃ろうオッケーです」と即答することはできず、いく晩か考え、
肺炎を予防するという効果を優先することにした。


孔を開ける処置をする日、病院に付き添った。


処置は短時間であっけなく終わった。 特養を訪れるとき、
途中でおいしいコーヒーを買い、みんなで飲むのが恒例
になっていたが、


母が胃ろうにしてからは、 まず伯母の部屋で飲むことにした。
母はもう以前のように飲めないのだから、彼女の前でカップ
をあおるのは残酷である。


でも、 実は母の分のコーヒーも毎回用意していた。


カップから飲むことはできなくても、小さなスプーンで
舐める程度ならいいだろう。


体を起こしてスプーンを口元にもっていくと、母はコーヒー
の香りを吸い込み、それから口に含んで味わった。


新茶の季節に、丁寧に淹れた緑茶をスプーンで飲ませた
こともあった。


むせないように気を付けていたこともあり、職員から注意
されることはなかった。


いや、もし咎められても、飲ませていただろうと思う。


安全と人生の喜び、どちらを選ぶか問われたら、
母ならきっと後者を選ぶはずだから。 ・・・












「放課後少し残っていてね」。


体育の着替えの時に体中のあざに気づいたのか。
先生に声をかけられたのは、東京で暮らしていた
小学5年の時だった。


職員室で待っていたのは知らない女性2人。児童相談所
(児相)職員という。


そのまま一時保護所に連れていかれ、大人に囲まれ
聞かれた。「お母さんがぶったりするのかな」。


服を脱がされ、写真も撮られた。


「怖い。言うことを聞いて早く帰ろう」。だが、家に帰れた
のは半年後だった。


兵庫県尼崎市の会社員、森田詩織さん(24)=仮名=は
両親が共働きで、比較的裕福な家庭に育った。


父は仕事一筋で、子育ては全て母の役割。


母は貧しい家庭からはい上がったことが誇りで、育児でも
自分自身に完璧を求めた。


そんな母に余裕がなくなったのは、森田さんが小学生になり、
妹が生まれてから。


月に数回、疲れて仕事から帰ってきたときに、ささいなことで
感情を爆発させ、森田さんの体をテレビのリモコンなどで
たたいたり、ものを投げつけたりした。


でも普段は本当に優しく、自慢の母。
幸せに暮らしていたつもりだった。


半年の別世界


そんな中で突然入った一時保護所は別世界に思えた。
4人部屋での暮らし。中学受験を目指していたのに学校や
塾に通えず、十分な勉強はできなかった。


職員は少なく、忙しそうであまり相手をしてくれず、ルール
を破れば「体育館100周」の罰もあった。


最も辛かったのは母との面会の時間。


母は「ちゃんと子育てできなくてごめんね」と涙を流した。
職員は口調こそ優しいが、皆で母を責めていると感じた。


「もう苦しめたくない」。そう思って「大丈夫だから帰りたい」
と訴えても、いつもはぐらかされた。


半年後に家に戻ると、母は積み上げてきたプライドが
崩れたのか、変わっていた。


「どうせ私が悪い」「一緒に死んだ方がいい」。
ひっきりなしに怒鳴り泣いた。


包丁を向け、「寝ている間に刺す」と脅すこともあった。
3カ月もたたず、森田さんは再び一時保護。
この時は受験を理由に約3カ月で退所した。


職員らは「いい人」だったが、生活はかき乱された。


「大人に何を言っても変わらない」。そんなあきらめばかり
が膨らんだ。


不十分な態勢


一時保護所は児相が一時保護した子供が身を寄せる施設。
全国に144カ所あり、虐待や非行などを理由に平成30年度
は約2万6千人が入所した。


大人の温かさに触れて安心し、虐待の連鎖を断つために
歩み出す場所としても期待される。


しかし、国の検討会(有識者会議)は29年、「子供の生活の
質を担保する支弁(しべん、支出)が限られ、ケアを行う
には職員の配置も不十分」と指摘。


心の傷や慣れない環境が原因で荒れる子供もいるのに
受け止める態勢は足りず、厳しいルールで押さえ込もう
とする施設も少なくない。


兵庫県明石市などが独自の予算で改善に取り組み
始めたが、全国の状況は大きくは変わっていない。


虐待を乗り越えるとは、虐待が奪った「自己肯定感」を
取り戻すこと。森田さんの場合は、一時保護などの
支援制度はそのきっかけにならなかった。


しかし、その後の人生で認めてくれる人に出会い、
大人になってから母の愛を確信できたことで、
やっと自分を信じられるようになった。


今は母との仲もよくなり心から「幸せだ」と言い切れる。


しかし、全ては偶然。「自己肯定できなければ、いつか自殺
していたかもしれない」。


人を信じられず、攻撃的な態度すら取っていた大学時代
までを振り返ると恐怖がこみ上げる。


虐待は誰もが環境次第でやってしまう可能性があると思う。


一時保護で救われる命がたくさんあることも分かっている。
だからこそ、それが本当の意味で、子供や親のためになる
制度になってほしい。


「一時保護では、家庭の問題そのものが解決する
わけじゃない。難しく、そして最も大切なのは、その後に
何をできるかだと思う」・・・









「脳は、大人になっても成長するのでしょうか?」


その答えは、「何歳になっても、脳は鍛えることができます」。
何歳になっても脳が成長するしくみは同じで、


脳は「快楽」を基準に成長します。


「これをやってよかった!」ということがあると、脳は、それを
またやりたいと思うようになるのです。


この単純さを活かしましょう。


ビールを飲んだらおいしかった。
すると「ビールをまた飲みたい!」と思う。


この人に会えたらうれしかった。
すると「この人にまた会いたい!」と思います。


人が何か行動をくり返すことができるようになるのは、
この喜びが基本なのです。


自分には無理だと思っていたことができたときや、
起こらないと思っていたことが起きたとき、


もっとも「ドーパミン」が出るそうです。


「ドーパミン」は、脳に対してやる気を出すように指示
をする物質。


一生懸命がんばって、何かを達成したときや、サプライズ
のプレゼントをもらった時などに、より多くの「ドーパミン」
が出るということです。


例えば挑戦も、簡単すぎる挑戦ばかりしていたら
「ドーパミン」は少なく、やる気もそこそこになります。


しかし、達成出来るか出来ないかの挑戦をして、
達成すれば「ドーパミン」は出て、やる気が溢れ
出してきます。


それをくり返していくと、並の人では達成出来ないことまで
余裕で達成出来るようになっていってしまうのです。


気付かぬうちにね。


だから、挑戦することが大事だといわれているんですね。
果敢にいろんなことに挑戦していこう…



時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる・…
しかし、枯れない花はないが、咲かない花はある......。





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