妄想劇場・流れ雲のブログ

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妄想劇場・歴史への訪問







歌:浜田省吾
作詞:作曲:浜田省吾


どれ程泣いたなら
あなたを諦められる
どれだけ遠くへ
行けば忘れられる


他の誰かを好きに
なろうとしたけど いつも
あなたとの眩しい時が
蘇えるだけ
手紙も想い出の
指輪も捨てた今ても







むかしむかし、越中の国(富山県)には、長棟(ながと)の鉛山
(えんざん)と呼ばれる鉱山(こうざん)がありました。


毎日たくさんの鉛(なまり)が掘り出されて、それを富山
(とやま)まで運ぶウシの行列(ぎょうれつ)がどこまでも続いた
と言われています。


何しろここで取れた鉛は江戸(えど)へ送られて色々な物に
使われるので、いくら掘ってもすぐに売れてしまうのです。


ですから鉛山の町では毎晩のように宴会(えんかい)が開かれて、
飲めや歌えの大騒ぎです。


ある晩も、鉱山で働く人たちの親方が集まって、料理屋で
宴会を開いていました。


宴会には三味線に合わせて踊ったり歌ったりする女の人や、
お酌をする女の人もたくさんいて、いよいよにぎやかに
なっていきました。


するとそこへ美しい三人の娘が現れて、ゆっくりと踊り
始めました。


一番年上らしい娘はまっ白な着物を着て、
それより三つばかり若い娘は薄紫の着物をきています。
一番年下らしい娘はあわい紅色の着物を着ており、
広間はまるで三つの美しい花が咲いた様です。


娘たちは自分たちで歌を歌いながら、まるでチョウチョが
飛び交う様に舞い続けます。


その美しさに、酒に酔っぱらって大声を騒いでいた男たちも、
みんな黙って見とれてしまいました。


(なんて、きれいな娘たちだ)
(あの踊りの素晴らしい事。まるで風に舞う花びらだ)


やがて親方の一人が、料理屋のおかみさんに尋ねました。
「田舎の山の中に、こんなきれいな娘がいるなんて信じられん。
どこの娘たちだ?」


「はあ、それが・・・」
不思議な事におかみさんは、娘たちを知らないと言うのです。


やがて娘たちの歌う歌に合わせて、三味線がひかれました。
三人の娘たちは一段と輝いて、だれ一人席を立つ者
がいません。


ところがさっきまで酔い潰れてねむっていた男が、ふと目
を覚ましました。男はふいに立ち上がると、娘の手をつかん
で言いました。


「おれのさかずきに、酒をついでくれ」
びっくりした娘はその手をさっと離しましたが、男はなおも
娘のそばへ行き、今度は両手で娘を抱きかかえました。


「こら、何をする!」
お客の一人が怒鳴りましたが、それでも男は手を離しません。


するとその時、まっ白な着物を着て踊っていた娘が、
持っていた扇をさっと男に投げました。


バチン!
「いてえ、何をする!」
男は娘を離して、扇を投げた娘の方に向き直りました。


そのとたん、三人の娘の姿がフッと消えたのです。
「・・・あれ?」
「おい。今の娘たちは、どこへ消えたんだ?」


客の何人かがあわてて外へ出てみましたが、どこへ
消えたのか娘たちの姿はありません。


後になって土地の言い伝えを調べてみると、この三人の
娘は山神さまにささげる三薬草(さんやくそう)の化身
(けしん→神さまが化けたもの)で、


水芭蕉(みずばしょう)、柳蘭(やなぎらん)、くがい草の
精だと言うことでした。


三人の精たちは町がにぎやかになったので、つい人間の
娘になって姿を現したと言う事です。


でも、あの酔っぱらいのせいで、それからは二度と
現れなかったと言うことです。・…


おしまい











大学病院で教授と言えば、大企業の重役並みの権力者だ。
いや、人の命を救う仕事をしているのだから、それ以上の
存在だろう。


そんな偉ーい教授が、まだ若輩者だった次郎先生の
診察室にこっそりやってきたという。


どんな偉い人にも、弱点はあるというお話です。


教授はこっそり言った「ちょっとケガしちゃってさ」
「無理ならいいんだよ」
「いいえ、教授外来へどうぞ」
「それはちょっと困るんだ」


受付で何やら患者さんと看護師がもめている。
「おーい、次郎ちゃん、いるかい?」


その患者さんが、診察室の入口のあたりから、押し殺した
声で私を呼んでいる。外来診察室から外へ出ると、
年配の男性が立っていた。


「A教授じゃないですか!」
その男性は基礎研究所のA教授だった。


A教授はとても優しい先生で、授業中、学生に対して怒鳴った
ことなど一度もなかった。大変腰が低く、元々出世の野心
もお持ちではなかった。


だから大学でも講師のままジーっとしていた。たぶん、
何も起こらなければ、准教授になることもなく講師のまま
定年を迎えたことだろう。


ところが、ある年のこと。別棟にある基礎研究所の教授の
ポストに空席が生じたのだが、適任者がいなかった。
巡り巡ってA先生にお鉢が回り、とんとん拍子に話が進み、
A先生は講師から准教授を飛び越え2階級特進で、
教授に就任されたのだった。


私は学生時代からA教授にお世話になりっぱなしだった。
研究の真似事もさせていただいた。


A教授の昇進は、いわくつきのものだった。
教授のポストが空いたら、適任者がいないなどということ
はまずない。


普通は講師や准教授が教授選に立候補して、華々しく
新教授が誕生する。


ところが今回は立候補者がいなかった。つまり人気のない
研究室のポストだったのである。


A教授は自分の専門があったのだが、大学側の意向で
専門外の分野の教授にさせられたのだった。


傍から見れば教授に御栄転だが、本人にとっては心の重荷
だったことは想像に難くない。


あまり成績の良くなかった私は、折にふれ教授室に呼ばれた。
しかしA教授は怒ることもなく、優しく諭してくださった。


「なぁ、次郎、もうち~っとだけ頑張れ」
「はい、頑張ります!」
「じゃ、一杯飲むか!」


A教授は冷蔵庫からビールを出してきて、私のグラスに
注いで下さった。


「この研究室の予算、バカみてぇに少ないんだぜ」
「前の研究室に比べて地味ですね」
「ビールも満足に買えねぇから、俺がバイトして医局員に
ビール飲ませてるんだ」


そしてA教授は酔いが回るといつも同じ話をした。


「俺は根がスケベでさぁ、医学部を卒業したら、女の股ぐら
ばっかり見て医者やっていきてぇなぁ、と思ってたんだ」


「ということは、女性の診療科の……」
「で、そっちの道に進んだんだけど……」
「なぜ研究者になろうと?」
「俺は結局、女の命さえ救えなかったんだ。だから研究の
道に進んだってわけさ」


いくら教授になったとはいえ、A教授にとって専門外の分野
での研究生活は、茨の道だったに違いない。


あれから数年経って、A教授がこっそり人目を忍ぶように
私の外来を訪れたのだ。当時、私はまだ、大学を卒業して
3年目の新米だった。


「ちょっと、ケガしちゃってさ。次郎ちゃん、診てくれる?」
「私が、ですか?」
「うん……」
「新米の私でよろしいのでしょうか?」


どうしたのだろう? さきほどからA教授はしきりに右の
手首をかばって、左の手の平でさすっている。


見るとそこには白い湿布が貼ってあった。ツーンとメンソール
の匂いが鼻をついた。サロンパスだ。市販薬を使うとは、
私の外来を受診するまで、A教授はよほど躊躇された
のだろうか?


「今日はうちの教授も別のブースに来ております。
そちらに御案内いたしますが……」


教授という雲の上の方には、自分の科の教授外来に
御案内するのが礼儀だ。


「君でいいんだ……いや、ごめん。君がいいんだ」
「私ではお役に立つかどうか……」
「お宅の教授に知られたら、みっともなくて……」


がっくりとうなだれるA教授。


教授は寂しげに言った「家に戻ったらこのザマさ」
お話をうかがったところ、A教授は私たちの前ではあれほど
優しい教授なのに、家庭では厳しい人だったようだ。
息子さんが言うことを聞かないと、すぐに手を挙げる
父親だったという。


「息子が高校生なんだけどさ、反抗期なのかな。
最近、俺に向かって口答えなんかするようになってね」
「息子さんのことはかねがね……」


「昔から、ガツンと一発頭をブン殴ったら、親の言うことを
聞く子だったんだよ」


「教授が手を挙げるなんて、想像もつきませんが」
「俺、本当は短気なんだよ。昨日は息子のヤツ、
勉強もしないでゲームなんかやってて」
「親としては心配ですよね」


「だから、アイツからゲームを取り上げて、その手を捻り
上げようとしたら……」
「したら……?」
「逆に……捻り上げられてしまったんだ」


人に知られたくない事情とはこのことだったのだ。


診察してみると、手首の皮膚のしわがなくなるほど腫れ、
熱を持っていた。私がその関節に触れ、ちょっと曲げ
伸ばししただけで、教授は「痛っ」と声をお漏らしになった。


「どんな風にやられたんですか?」
「次郎ちゃん、手を貸して」と言って、


A教授はケガしていない左手で私の右手を取り、時計回り
に強く回した。さらに上方に吊り上げ、私の手首をらせん状
に捻り上げた。


「あの野郎、ガッチリつかんでグイグイっと」
「痛たたた。教授、痛いです!」
「今までの俺だったら、こんな風にアイツのことを! 
こうやって!」


「教授! 私の骨が折れそうです!」
「いつもはあんな無様じゃないんだ! 
俺だってまだまだ……」


溜まったストレスが発散できたのか、A教授は私の
手首を捻りあげて少し満足した様子だった。


「息子さんも息子さんです。父親に向かって何てことを!」
「アイツ『力だったら、もう親父に負けないぜ』なんて
ぬかしやがって」


「教授……」
「世の中じゃさぁ、俺を偉い人だと思ってるみたいだけど、
家に戻ったらこのザマさ」
「そんなこと……」
「俺も焼きが回ったのかなぁ」


レントゲンを撮ったところ、幸い骨折はなく、A教授の手首は
捻挫で済んでいた。湿布を交換し、包帯で固定して
差し上げた。


「次郎ちゃん、ありがとよ。君は僕みたいになっちゃダメだよ」
「教授、おだいじになさってください」……


A教授は、とぼとぼとお帰りになった。私はA教授の背中を
見送ったが、その寂しげな後ろ姿は、ほどなく外来の
雑踏の中に見えなくなってしまった。


あれから幾星霜。私は民間の病院にいた。
うちの院長が朝からカリカリ怒っていた。
ツルツルの頭が紅潮し、まるでゆでダコのようだ。


「あのバカ息子、ゲームばかりして!」
「医学部志望でしたね」


「もう2浪だよ。このままだとイカ太郎(医科多浪)に
なっちゃうよ」
「予備校の授業料も大変ですね」
「今日こそアイツを締め上げてやる!」


「やめた方がいいですよ。実は……」


院長がA教授の二の舞になるのは火を見るより明らか
だった。院長の息子さんはおとなしく優しい男の子だった。


だが2浪といえば20歳。相当腕力がある年齢だ。
しかもその息子さんは高校の時ゴルフ部に所属し、
ドライバーで300ヤードは飛ばす選手だった。


「息子さんが反抗心さえ持てば、院長といえども……」
「何だというんだね?」
「ひと捻りかもしれません」


タコおやじとイカ息子の結末やイカに?・……







2年前に浪費家でサイマーで浮気した旦那と離婚し
て息子二人を引き取った。


離婚して1ヶ月過ぎた頃、ありがたいことに運よく保育園
も決まり、いざ職探しをするも当たり前のように見つからない。


最終学歴は田舎の商業高校、
この前まで専業主婦だった人間だった私は門前払いを
くらうこと十数回。それでもめげてる暇はないから
求人を見る。


時給もいいし土日祝日は休み、
勤務時間も希望通りの理想の会社を見つけた。


とりあえず応募して面接を受けることになるんだけど、
いざ面接に行ったら希望者が20人以上いた。


こんなに条件いいなら当然だよな、絶対落ちる、
早く帰んなきゃってなって適当に面接してさっさと帰った。


それからちょうど1週間後に連絡があって「採用です」と。
「はぃぃ?」・・・と間抜けな返事をしたのは覚えてる。


とりあえず仕事覚えなきゃって必死に頑張った。
でもなぜシングルマザーの私を採用してくれたのかが
ずっと気になってた。


だから先週の飲み会の時に思いきって面接してくれた
部長に私を採用した理由を聞いてみた。


そしたら「みんな口を揃えて言うのは子供に何か
あっても実家にお願いできる」だの
「もう子育ても終わって時間もあります」


というアピールだけ。でも私さんだけは
「実家の親は定年前でまだ働いてるから頼れません、
熱のある子を放置して仕事はできません」
とハッキリ言った。


最初から誰かをアテにして働こうとする人は仕事でも
その甘えを出す、


子供には自分しかいないんだという私生活に重大な
責任を抱えてる人は仕事でもしっかり責任を持ってくれる
と思ったから。と言われた。


子持ちの仕事探しはすぐ実家に頼れる人のほうが
絶対に有利だと思ってたから衝撃だった。…


どうせ落ちるだろうから取り繕わずに 正直に言った
というのはこれからも内緒にしてようと思う。・…






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