妄想劇場・流れ雲のブログ

趣味の、自己満ブログです。人生は、振り返ることは出来ても、後戻りは出来ない…掲載内容に問題がある場合は、お手数ですが ご連絡下さい。 迅速に対応させていただきます。

妄想劇場・歌物語









歌:鶴岡雅義と東京ロマンチカ
作詞:池田 充男:作曲:鶴岡雅義


いまごろ君は 夜明けの船か
迎えにゆくのを 待ちきれないで
はるばる女の ひとり旅
ああ 愛する言葉の 手紙さえ



《蛇足》


昭和43年(1968)7月リリース。 前年に大ヒットした
『小樽のひとよ』の続編として、同じメンバーで
制作されました。


『小樽のひとよ』とよく似たメロディラインを使い、
間奏にもそのメロディを取り込んでいるのは、
まだ続いていた前作の勢いに乗ろうという作戦
だったのでしょう。  


2匹目のドジョウを狙ったわけですが、鶴岡雅義のレキント
・ギターと三条正人の裏声は相変わらず味があり、
前作に劣らずこの歌を好む人は少なくありません。  


歌詞の主体は、『小樽のひとよ』と同じく男の「私」です。
その「私」が前作のラストで「かならず行くよ、待ってておくれ」


といっていたのに、小樽に残してきた彼女に1年も手紙を
書きません。「途絶えてた」のではなく、自分が途絶えさせ
ていたのですが。  


1年も連絡しなかったのは、田舎の純朴な彼女を忘れて
しまったからではないようです。


仕事が思うようにいかないか何かの理由で、彼女を迎え
に行ける状況になかったからでしょう。  


待ちきれなくなった彼女は、意を決して東京へ彼を訪ねて
いくことにします。  


しかし、これは今の人たちが考えるほど容易なことでは
ありません。


現代なら、列車と飛行機を使えば、小樽から東京駅まで
4時間3,40分で着きます。  


しかし、この歌がリリースされた昭和40年代前半、すなわち
1960年代の終わり頃には、飛行機を使えない大部分の
庶民にとっては大旅行でした。  


データは少し古くなりますが、昭和36年(1961)10月に改正
された国鉄のダイヤで見ると、札幌・上野間は、特急
『おおぞら』→青函連絡船→特急『はつかり』を乗り継いで
20時間かかりました。  


これに小樽・札幌間の所要時間と待ち時間を加えると、
優に21時間はかかっていたことになります。


お金も体力も必要でした。  


さて、逢いに行くという連絡をもらった男の「私」は、
上野駅のホームで彼女に逢ったら、抱きしめて熱い
口づけをしようなどと考えています。


そのあとは、たぶん、下宿だかアパートだかに連れて帰り、
行く末のことなどを語り合ったことでしょう。  


このドラマはまだ終わりません。翌昭和44年(1969)6月、
『旅路のひとよ』と同じメンバーで続編『星空のひとよ』が
作られました。  


ただし、こんどは前2作とは曲調が変わっており、ヴォーカル
も、あとから東京ロマンチカに加わった浜名ヒロシが
三条正人に替わって務めました。  


では、第3編では2人の関係はどうなったでしょう。
大方の想像どおり、彼女は小樽に帰って亡くなって
しまいます。


「私」はオタモイ岬に立って、幸薄かった彼女を偲び、
星空に向かって祈るのです。  


これにて『小樽のひとよ』3部作全巻の終わりとなります。


やっぱり恋は悲劇で終わらない。
幸せな結婚しておしまいでは別の歌になってしまいます。


author:二木紘三










男に頼らずとも、女が一人で生きていくことは、十代の頃に
自分が夢見た姿だ。夢が現実になったけれど、現実はそう

甘いものではない。


家族を持つことに絶望した理由


私が幼い頃、父は母に暴力を振るっていた。夜になると、
寝室の襖の向こうで両親の怒鳴り合う声が聞こえて、
私は落ち着いて眠ることができない。


私の兄は兄妹喧嘩といえないほど、ひどく私を殴り、
冬の日に裸足のまま家の外に締め出した。


その時、母は助けてくれず、布団にずっと横になっていた。
そういう家庭で育ったせいか、私には家族を持ちたいという
願望が生まれなかった。
むしろ、「絶対に結婚するものか」という気持ちが強く、
たくさん稼いで一人で生きていくのだと10代の頃に決めた。


しかし、希望していた美術の大学へは両親の強い反対
にあい、行くことができなかった。不本意な短大へ進学を
したが、卒業後は就職氷河期のため就職先が決まらない。


「たくさん稼いで一人で生きていく」ことができなくなり、
実家で引きこもっていた時期、母に当たったことがある。
「なんで希望の大学へ行かせてくれなかったのか」


母は泣きながら言った。


「普通に就職して、普通に結婚して欲しかったのよ」
その言葉を聞いた時、目の前が真っ暗になった気がした。


夫に殴られながら無償労働の家事をして、幸福とはいえない
家庭を築いた母が自分と同じ道を歩ませようとしていたこと
が信じられなかったのだ。


「それは、お母さんの幸せであって、私の幸せじゃない!」
私は半ば絶叫するように言った。


それから20年近く経った。


私はいまだに独身であり、子供もいない。 子供が欲しいと
言われて戸惑う 30代半ばの頃に付き合った彼氏がいた。


彼は付き合って3ヶ月という速さで同棲をしたいと言ってきた。
私は彼のことが好きだったので、まだ早いと思いながらも
一緒に住む住居を探した。


しかし、ある日、彼が口にしたのは「エリコの子供が欲しい」
という言葉だった。


私の年齢のことを考えて、同居を急いだというのだ。
私はその時、「子供は欲しくない」と泣いてしまった。


長い間、女として生きているのに「子供を産みたい」という
感情が全く出てこない。


多分、それは自分が幸せな子供時代を送っていないのと、
今現在が幸せでないからだと思う。それが正直な理由だ。


しかし、その時の彼氏に「子供が欲しい」と言われて、
気持ちが揺れたのは確かだ。


結局、その彼氏とは別れたが、「結婚したら子供を産むのが
当たり前」という世の中の規範に襲われて、 そうしないと
いけないのではないか、と悩んだ時期もある。


しかし、子供を産んでしまったら、自分の人生がガラリと
変わる。もしかしたら、母と同じ轍を踏むかも知れないのだ。
それだったら産まない方が良いと考えてしまう。


結婚を機に、自分の名字を失う女性は多い。
子供ができたら仕事を失うかもしれない。


家事を分担してくれる優しい夫なら良いが、大半は妻に
家事を任せきりにする人が多いと思う。


そして、夫に経済的に依存した場合自分の立場が弱くなり、
夫の振る舞いに耐えられなくなった時がきても、離婚に
踏み切ることができない。


歳を重ねて経験することで、意識が変わる
しかし、歳を重ねて働き始めて気がついたことは、
女はそれほど稼げないということだ。


良い大学に行き、良い会社に入った人は違うかもしれないが、
世の中の大半を占める同年代の女性たちは非正規で働き、
安い給料でなんとか生きている。


その一人である私は「結婚したほうが良かったのでは」
と考えてしまう。


40代でパートとして働きながら生計を立てるというのは意外
にハードで、欲しいものがあっても躊躇することが多い。


結婚している友人とスーパーに行った時、たいして値段も
見ずに豚バラ肉やカット野菜をカゴに入れる姿を見ると
「羨ましい」という感情が頭をもたげてくる。


私が短大を卒業した時は就職氷河期のため、新卒なのに
どこの会社にも受からなかった。その後、中途採用で編集
プロダクションに入社したが、社会保険も残業代もない会社
で手取り12万だった。


生活がままならない絶望感から自殺未遂をし、精神病院に
入院した後は実家で10年近く引きこもっていた。


その後、生活保護を受けながら仕事を探して、やっとパート
の職を得たが最低賃金に近い値段で働いている。


思い返すと、短大時代、周りの女の子たちは必死に良い
大学に通っている男性と付き合おうとしていた。


私は当時、自分の力で稼がないで、 生活を男性に頼ろう
とする彼女たちを情けないと思っていたが、今思うと、
自分の方が愚かであった。


彼女たちは収入が良い男性と結婚をするために努力した。
それが間違っているとは言い切れない。


職に就くことができず、生活保護まで受けた自分だから
そう思う。


そして、子供を持ちたくないと思っていた自分だったけれど、
友人の子供と遊ぶようになって、少し意識が変わってきた。


子供といるのは面白くて楽しい。欲しいものを欲しいと言い、
嫌なことがあると泣きながら嫌だという。


その姿を見ていると、私はホッとする。


自分が子供の頃、欲求を表に出すことができない
子供だったので、感情を表出する様を見ていると自分が
癒されるのだ。


それに、自分が大人になってもアニメやゲームが好きな
せいか、子供に変に気に入られてしまう。


友達は「プリキュアの映画に1900円も出す気がしない」と
言うが、私は全く構わないので、友人の子供と一緒に
プリキュアの映画を観に行かせてもらった。


むしろ、大人だと入りにくい場所に入れるので、子供が
いるのはありがたい。 そして、子供と行動するようになって
気がついたのだが、子供といると周りの大人が優しくして
くれることが多いので、世の中は意外と良いものなのかも
知れないと思い始めた。


今現在、付き合っている人がいるのだが、その人は子供を
持つ気もなく、結婚もする気がないと言っている。


私の条件に合っていると思う。しかし、 最近、自分の中で
気持ちのブレが生じてきた。


子供を持つこと、結婚をすることが本当に不幸なのか
ということだ。


年齢的に子供を持つのは無理だろうけれど、その人と一緒に
暮らすくらいは良いのではないだろうか。


私の家は親戚づきあいをしないので「結婚はしないの?」
などと聞かれることもない。それは本当にありがたいと思う。


結婚をしない方が良いと頭ではわかっているのに、
感情では結婚に憧れている自分がいる。


子供を持たなかったこと、結婚をしなかったことは、
自分の意思によるところも大きい。


そして、私の頭の中には、夫に殴られながらも結婚生活を
続けた母の姿がある。


私の母の時代では、結婚をしないで自立して生きている
女性がほとんどいなかったし、離婚をして元気に働いている
母親の姿もあまり見なかった。


私は今、男に頼らずとも、 女が一人で生きていけること
を実践している。それは十代の頃に自分が夢見た姿だ。


夢が現実になったけれど、現実はそう甘いものではない。


一人暮らしをはじめて十年以上が経った
付き合っている人がいても予定が何もない金曜日の夜は
いたたまれなくなり、一人で安い居酒屋で酒を飲んだり、
映画館に行って映画を観て過ごしている。


一人で寝ていると猛烈に孤独が襲ってきて、不安で胸が
かきむしられる。子供はいなくてもいい、 だけど、誰かと
寝食を共にしたい。


若い頃は一人で生きていけると思ったが、人間は一人で
生きてはいけないのだと、今更ながら理解した。


結婚をする気がなく、今のところ同棲も考えていない彼氏と
付き合いながら不安な日常を生きている。



愛されないということは不運であり、
 愛さないということは不幸である。
時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる・・・・





×

非ログインユーザーとして返信する