妄想劇場・流れ雲のブログ

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妄想劇場・歴史への訪問







歌:清水節子
作詞:かず翼:作曲:伴謙介


たとえ時間を 戻しても
のがれられない 恋だった
私の知らない 匂いをさせて
あんたは心を つらぬいた







えんま大王は死んだ人間の罪をさばく、地獄(じごく)の
恐ろしい王さまです。


このお堂のえんま大王も、金色の目をむいて、
大きな口をクワーッと開けて、すごい顔でにらんでいます。


見ただけでも恐ろしいものだから、あまりお参りの
人も来ませんでした。


ところがこのえんま堂に、雨が降っても風が吹いても、
一日もかかさずお参りに来るおばあさんがいました。


このおばあさんは両方とも目が見えないので、
孫の小さな女の子に手を引かせて来るのでした。


お彼岸(ひがん→春分・秋分の日を中日として、
その前後7日間)のある日。お参りに来たおばあさんは、
いつもの様にえんまさまの前に座ります。


孫の女の子はえんまさまが怖いので、おばあさんの
後ろに隠れていました。


「なんまいだー。なんまいだー。おじひ深いえんまさま。
どうぞあなたさまのお力で、このババの目を治してくだされ」


おばあさんは繰り返し繰り返し、えんまさまの前で
おじぎをしました。


えんま大王も、こうして毎日毎日おがまれると、声をかけず
にいられません。


「これ、ババよ。お前の願いを聞いてとらす。信心
(神仏をしんこうすること)してくれたお礼に、わしの片目
をしんぜよう」


えんまさまが口を聞いたので、おばあさんはビックリして
上を向きました。すると、


「ありゃ! 見える、見える。あたりがよう見える!」


おばあさんの右の目が、パッと開いたのです。
おばあさんが大喜びしていると、女の子が叫びました。


「あっ、えんまさまの目が一つない」
おばあさんが見てみると、確かにえんまさまの目が
一つ潰れています。


おばあさんは、ポロポロと涙を流して言いました。
「ああ、申し訳ない。えんまさまをかたわにして、わしが
見えるようになるとは。ああ、もったいない、もったいない」


すると、片目のえんまさまが言いました。
「まあ、そう心配せんでもいい。


わしはお前たちとちごうて、別に働かなくてはならんと
いうこともない。ただここにこうしておるぶんには、
片目でもじゅうぶんじゃ」


「へえ、もったいない。
ところで何か、お礼をさせていただきとうございますが」
「お礼か。・・・いや、そんなものはいらぬ」
「いいえ、そうおっしゃらずにどうぞ。わたしに出来ます事を、
させてくださいまし」


「・・・さようか。それでは、こんにゃくを供えてくれ。
わしは、こんにゃくが大好きでな」


それからおばあさんは、毎日毎日、えんまさまに
こんにゃくをお供えしました。


その事が村で評判になって、えんまさまは『こんにゃくえんま』
と呼ばれるようになりました。


それからはお参りの人も増えて、毎月の縁日(えんにち)には
境内(けいだい→社寺のしきち)に、こんにゃくおでんの店が
ズラリと並ぶようになったのです。


おしまい










昨年の3月に教育委員会を退職した「たまちゃん」こと、
小玉宏さんは自分のことを「変態」だと思っている。


まだ40代、このご時世にわざわざ公務員を辞めるなんて
どう考えてもおかしい。しかも、退職して結婚した。


普通、逆だろう。


結婚できない理由の上位にあるのは非正規雇用などの
不安定な経済事情だ。それなのに彼女の両親にあいさつ
に行って、


「公務員を辞めました。お嬢さんと結婚させてください」
はおかしい。


たまちゃんは、全国各地で筆文字講座をやっている。
小さい頃から磨き上げた書道の腕前で生きていく、
というわけではない。


筆文字を始めたのはほんの3年前だ。生粋の素人である。
筆文字を面白がって書いていたら、だんだん個性的な字
になった。


自分で考えた詩をその字で書いて、ネットにアップしていたら、
「面白い!」「感動しました!」とファンが増えていった。


調子に乗って、「欲しい人には詩集をプレゼントします」と
書き込んだら、全国の物好きな人たちから、「欲しい」と
いうメールが殺到した。


コピーしてホッチキスで製本していたが、1000人を超えた
あたりから体力の限界を感じ、業務用の印刷機と製本機
を買った。


そして、手押しの裁断機も時間がかかると電動式裁断機に
買い替えた。部屋の中が印刷工場になった。


給料のほとんどを見知らぬ人へのプレゼントにつぎ込んだ。
結婚するとき、貯金は底をついていた。


そのうち、「筆文字を教えて」「講演して」と全国から声が
掛かるようになった。  


気が付いたら週末は1年先まで埋まってしまった。
当時は公務員だったので交通費だけもらって喜んでいた。


 一番不思議なのは、たまちゃんと出会った人がみんな元気
になることだ。たまちゃんって一体何者なのか?


教師時代、こんなエピソードがあった。


合唱コンクールなどをやっている中学校では、新年度のクラス
編成のとき、各クラスにピアノが弾ける子を入れるが、
たまちゃんがいた中学校はそういう行事をやっていな
かったので、そんなことを考慮に入れずにクラス編成
をしていた。


ところが、新しく赴任した校長が「合唱コンクールをやる」
と言い出した。


たまちゃんが受け持ったクラスにピアノが弾ける子は
いなかった。1人、小学校のときにピアノを習っていた子
がいたので、その子に伴奏をお願いした。


そしたら次の日から不登校になった。


「これはまずい」と思った。
すぐ家庭訪問して謝って、「先生がやる」と言った。


「先生、ピアノ弾けるんですか?」
「弾けるわけないやん。触ったこともないし」


帰りにキーボードを買った。
空き時間、休み時間、放課後、練習しまくった。
下手くそだったピアノが少しずつ上達していった。


そして発表の日、たまちゃんは見事にピアノ伴奏を務めた。
生徒たちは不可能に挑戦した先生の姿に感動した。


一番感動したのはクラス一のヤンキーだった。
お母さんから電話があった。
「息子がキーボードを買ってほしいと言っている」と。
嬉しそうだった。


その子は中古のキーボードを買ってもらい、毎日練習
し始めた。たまちゃんは、参観日の懇談会をクラス
コンサートにした。


そこで今まで何にもやる気のなかったヤンキーが
キーボードを演奏した。お母さんは涙が止まらなかった。


たまちゃんはやっぱり「変態」だった。


「変態」に触れると「変態」になるらしい。
「変態」は伝染するのだ。


理科の教師だったたまちゃんの話によると、「変態」とは
生物学の専門用語で、幼虫がサナギに、サナギが成虫
になることを意味する。


「態」とは「あり方」「生き方」だ。


それまで葉っぱの上でしか生きられなかった幼虫が
サナギになって、殻の中で自らの体を溶かし、
全く新しい体につくり変えていく。


全エネルギーをそれに使うのでサナギは動けない。
本人にしてみれば理不尽なことだろう。


しかし、その理不尽な苦しみを耐え抜くと、殻が割れ、
翼を手に入れ、大空に羽ばたく。
全く別の生物になる。


それが「変態」だ。「変態」を目指すなら、勇気を出して、
「変態」に近づくことである。・…







私が小学校5年生の時の6月、小雨の降る日でした。


姉と祖母の3人で京阪電車に乗っている時のこと、
重い機能障害を持って生まれた姉も14歳となって、


長年の機能訓練のおかげか、車椅子が無くてもゆっくりで
あれば、介助者といっしょに外出ができるようになっていました。


ただ、知能は3歳児位で成長が止まったままだったため、
喜怒哀楽の表現は激しく、大きな幼児であることに変わりはなく、
パニックを起こすと祖母と私の力だけでは難しいことも
多くありました。


それでも長年の家の中だけの生活から、たくさん外出できる
ようになって、私は本当に嬉しく、外出の時は、祖母が少し
綺麗になって、甘いものなども買ってくれるのが本当に
楽しみでした。


その日、京都市から宇治へ帰る電車の中で、姉が
「おしっこ」と言い始め、私達は途中下車をしてトイレを
借りようと決めたものの、


いざ下車をするとなると、本降りとなり始めた雨の中、
姉の両脇を抱え、短い停車時間でホームへ移動するには、
傘を持つ余裕などとても無く、


雨にぬれた姉がパニックを起こすのではないかと心配でした。
そんなことを祖母と話ながらドアの横で下車の準備をしていると、


近くに座っていた大学生くらいの青年が、突然
「僕、次ちょうど降りますし、傘大きいから、いっしょに
いきましょう」と私達の傍にきてくれました。


「ご迷惑はかけられません。この子(私)にも練習なので」 と
、断ろうとする祖母の言葉をさえぎるように、


「みんな手伝いたいと思っていると思いますよ。」


「大丈夫。たのんでください。手は3本ないから。
1本かりなきゃ」


その後、改札口まで見送ってくださった青年の優しい瞳を
今もはっきり思い出せます。


あれから30年、いったい何本の手をおかりしてきたことか、
勇気を出してお願いをしなくてはならないとき、いつも
思い出す私の大切な原風景です。 ・…






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