妄想劇場・流れ雲のブログ

趣味の、自己満ブログです。人生は、振り返ることは出来ても、後戻りは出来ない…掲載内容に問題がある場合は、お手数ですが ご連絡下さい。 迅速に対応させていただきます。

妄想劇場・歌物語












地上波ゴールデンタイム初のゾンビアクションドラマ


竹内涼真と中条あやみらの共演で、生ける屍=ゴーレムに
占拠された、死と隣り合わせの終末世界を舞台にした
極限のゾンビサバイバル



本作は、地上波ゴールデン帯の連続ドラマとしては日本初
となる本格ゾンビサバイバル。


“生ける屍”が街にあふれ、突如として死と隣り合わせの
世界へと変わり果てた現代を舞台に、生き残りをかけて
戦う人々の姿を描く。


竹内涼真が主人公の自動車整備工・響を、恋人の来美役
を中条あやみが演じ、混乱のさなか離れ離れになった
ふたりのラブストーリーも展開。


なぜゾンビは現れたのか、世界はどうなってしまったのか、
謎が謎を呼ぶ物語。


そんなドラマの挿入歌が今話題になっている。


この挿入歌の安田レイ「Not the End」が毎回、各話の
クライマックスに流れ、シーンを盛り上げるのに一役
買っている。


楽曲はドラマのための書き下ろされた曲で安田自身が作詞
を手がけた曲。


制作にあたって安田は「日常を奪われた私たちの今の毎日は、
不安で、孤独で、悪夢のよう」と、コロナ禍で生活が一変した
現在に触れ、


「その感情は、このドラマの物語ともとてもリンクする部分が
多いと思います」とコメント。


登場人物たちの過酷な運命と終わりの見えない感染拡大の
中を生きる私たちの姿を重ねて書いたことを明かした。


その上で、「たくさんのものを奪われて、色んな物の本質が
見えてきました。


素敵なお家がなくても、この仕事がなくても、私たちは生きて
いけるけど、大切な存在がいなくなったら、私はどう生きて
いけばいいかわかりません。


それこそが本当の悪夢」と語り、「怖いけど、大切な人と共に
生きていきたい。そんな強いメッセージを届けたいです」と
熱い決意をにじませる。


数年前には想像もつかなかったような事態が世界中で
起こっている今と、ドラマの中の終末的な世界観が不思議な
シンクロを生み、楽曲の強度を高めたかたちだ。


〈Tell me this is Not the End〉という歌い出しからすでに、
緊張感に満ちたハスキーボイスが耳を貫く。


印象的なストリングスの旋律が導くメロディは、時に静かに
時に激しく緩急を伴って展開し、その歌声を一層印象的な
ものにしている。


安田レイの歌声というと、躍動感と生命力にあふれたパワフル
さがひとつの魅力だが、本作ではそれに加え


シリアスさが増し、孤独な世界で大切な人を思って叫んで
いるかのような切実さに満ちている。


そしてそれは、極限の状況下に置かれた登場人物たちの
心情にも重なる。


中でも〈願いが一つだけ 叶うなら 怖くても守りたいよ 
君との優しい明日を〉というサビの歌詞は、


響と来美の葛藤そのものだろう。しかも、楽曲に表れている
のは決して絶望だけではない。


安田が語るように、かすかな希望を手に力強く明日に進もう
とする決意もしっかりと込められている。


それは楽曲が終盤に差し掛かるにつれ高まり、聴く者の
胸にも迫ってくるかのようだ。


ひとつの曲の中で揺れ動く感情を見事に表現し、物語の
世界観を表現した「Not the End」は安田レイというシンガー
の真骨頂とも言える。





MVは楽曲にあわせ、孤独感や寂しさをイメージした作品に。


またアーティスト写真やジャケット写真も、「壊れてしまった
物の中からでも大切な物を大事にしていきたい」という
安田自身のアイデアによりスクラップ工場で撮影された
という


ゴーレムの謎を解き平和な世界は訪れる日は来るのか、
また響と来美は再び出会うことができるのか。


ますます混沌を極める物語の中で「Not the End」が果たす
役割は、一層明確になってくるだろう。


なぜならどんなに辛くても苦しくても、まだ〈終わりじゃない〉
と歌っているから。…


本作は絶望の先に希望があると信じて戦う人間たちへ
の応援歌でもあるのだ。・…










2025年には、高齢者の5人に1人が認知症になると
言われている(2015年厚生労働省発表)。


・・・・(続 き)



いや、私の気持ちは甥に頼まれた時に決まっていたのだ、
きっと。 妹との最後の旅に出ようと。


明るくおしゃべりだった妹に笑顔がない


これまでは旅の行き先を決める時、不思議と揉めること
はなかった。2人の好みが似ていて、城下町や異国情緒
の漂う街、神社仏閣巡りなど、


順番に行き先の希望を言うと、即そこに決まった。
今回はどこにしようかと妹に聞くと、意見や提案もなく、
「お姉ちゃんの行きたいところでいいよ」と言う。


前回旅の帰途で「次は馬籠に行きたいね」と話したのを
思い出し、岐阜県の郡上八幡から中山道の馬籠へ回る
ことにした。


いつもは妹が手配してくれる飛行機のチケットとホテルは
私が予約した。こういう時でも旅の形は今まで通りにしよう
と思った。


ただ最初から心配だったのは、妹が千歳から名古屋の空港
まで来られるだろうかということだ。


私が函館から乗る飛行機の到着時間が遅いので、先に
着いた妹が私を探して待ち合わせの場所を離れたらどうしよう。


見知らぬ場所で不安な気持ちになるのではと想像するだけ
で切なくなる。不安に押しつぶされそうになりながら当日
を迎えた。


妹が飛行機に乗ったと甥からメールが入り、私も名古屋行き
の便に乗ったが、機内では「無事会えますように」と祈る
ばかりだった。


名古屋の空港に到着すると、待ち合わせ場所まで走って
向かう。見回すと出口の傍らの椅子にポツンと座っている
妹を見つけた。


しばらく会っていなかったので、その痩せた姿を見た時、
安堵の気持ちと同時に頼りなげな様子がたまらなく
愛おしく思える。


「待たせたね」と肩を抱いたまま、こみ上げてくる思いを
こらえる。すぐに無事会えたことを甥に報告し、いよいよ
2人の旅が始まった。


甥からは、妹が自分の病状をどこまで把握しているかは
わからないと言われている。だからこの旅行中はいつも
通りにしようと決めていたが、


電話で話す時はあまり違和感のなかった会話も、一緒に
いるとあれっ? と思うことがある。


これまでのように、見たものをなるべく残そうと写真を
撮ったり、名所や旧跡に言及したりはしない。


私について歩くだけだ。何より明るくおしゃべりだった妹から
表情が消え、話をすることはなくなっていた。


カメラを向けても笑顔はない。それが病気によるものだ
と理解していても、逆に哀れさを誘ってつらい。


「最後の旅はお姉ちゃんと行こうと思ってた」 ただただ
楽しかった今までの旅と違い、妹の体調も心配だったし、
無事に自宅に帰すまで緊張感もあった。


郡上八幡と馬籠の3泊4日の記憶はあまりない。
たった一つの場面を除いて。


旅の最終日は暑い日だった。馬籠に向かうバスを待つ間、
近くの土産店でアイスクリームを買い、店先のベンチに
並んで座った。


「暑いね」と言いながら食べ始めると、妹が突然、お姉ちゃん、
と話しかけてきた。


「私ね、最後の旅はお姉ちゃんと行こうと思っていたんだよ」
その言葉を聞いて、今まで我慢していた思いが堰を切った
ようにあふれた。


「どうして最後だなんて言うの? またどこかへ行こうよ」
そう言わずにはいられなかった。


「わからないけど、もう旅行はできないような気がするの。
だから今回、お姉ちゃんと旅行できて本当にうれしかった」



妹はどんな思いで言ったのだろう。
どこまで自分のことをわかっていたのだろう。


2人とももう涙があふれて止まらず、バスが来るまで人目も
はばからず泣いた。


たった一枚のツーショット写真


結局、あの日は溶けかかったアイスクリームを急いで
食べてバスに乗り、馬籠の宿場町を散策した。


昔ながらの街並みを歩き、土産店を覗きながら、でも私は
気もそぞろだった。妹の言ったことが頭から離れ
なかったからだ。


旅の間、やはり以前の妹とは明らかに違うと感じることが
いくつもあった。それなのにどうしてあの時だけ昔の妹に
戻ったのだろう。


不思議だけれど確かめる術もない。でも、あの旅が妹との
最後の旅になるのは間違いないだろう。


妹が「最後の旅はお姉ちゃんと」と言ってくれたことが
すべてで、 寂しい私の心を慰め癒やしてくれている。


この先ずっと、 妹のあの言葉は私の胸に残り、支えて
くれるに違いない。


今は、国内でも自由に旅行できなくなってしまった。
でも妹との旅は二度とないのだと思うと、旅行に
行けないことなど、どうでもよいような気もする。


テレビの旅番組も、 妹と行った場所が出てくると、切なさが
先に立って見ることができない。そして妹と「テレビ、見た? 
次はそこへ行こうね」と相談することも、もうないのだ。


わが家のリビングには、妹と私が2人で写った写真が飾って
ある。馬籠で外国の旅行者に身振り手振りでお願いして
撮ってもらった。


妹はやっぱり笑っていないけれど、今まであんなに一緒に
旅行したのに、唯一のツーショットだ。


掃除していてもテレビを見ていても、写真が目につき、
そのたびに思いは妹に向かう。


この時間、何をしているだろう。夫や娘が仕事に出かけた後、
留守番で寂しくしていないだろうか。


病状は進んでいないだろうか。そう考えると、 あの溶け
かかったアイスクリームを持ちながら泣くばかりだった
バス停の場面が脳裏に蘇り、いつの間にか泣いている
自分がいる。


電話口の筆者


この旅を終えた後、コロナ禍の影響もあり、川奈さんは
妹さんと会っていません。


現在、妹さんはご家族に支えられ、ご自宅で療養中です。
「薬の効果もあり、小康状態を保っている」とのこと。


同じ市内に住む甥御さんも母親の様子を見によく立ち
寄るそうです。


「なかなか妹に会いに行けない状態が続きもどかしいですが、
電話だけは頻繁にしています。


こみ入った会話はできなくなっても、私の声を聞くと、
『お姉ちゃん』と呼んでくれることにホッとします」と落ち
着いた声で話してくれました。・…








「動物実験でわかったことがあります。


生き残りたい、安心・安全が欲しいと思うと、脳は苦痛な
記憶ばかりを保存したがるのです」


生き残りたいと考えることで、「生き残りたいと言い続け
たいんですね。


だったら、死を意識する記憶が必要ですね」と脳は動き
始めます。 脳は全てを肯定的に取り、逆に動きます。


これが、苦痛な記憶ばかりを保存したがる原理です。


生の対比として死を意識する記憶が必要なのです。
死を意識するから「生き残りたい」と言い続けられます。


そして、「死を意識する記憶をつくるためには、それに
見合う現実を集めなければいけないですね」と、…


病気になってみたり、事故に遭ってみたり、自然災害や
有名人が亡くなるニュースを見てみたりして、死を意識
する記憶を集め始めたりするのです。


安心・安全が欲しいと思うと、思うのだったら、反対である
苦痛なことや危険なことを集めないといけないですね」と
脳は動きます。


だから、苦痛 な記憶、危険な記憶をつくるために、苦痛で
危険な現実を集め始めてしまうのです。


つまり、強い生存欲求がある限り、生き残りたいと思うので、
死を意識する出来事ばかりが集まってしまうわけです。


命を大事にするので、生きることに固執し、死が悪いもの
として扱われていきます。


仕事が終わった後に嫌なことが待っていると思うと、仕事が
憂鬱になってきます。 それに対して仕事が終わった後に
楽しいことが待っていると思ったら、仕事もはかどり、早く
仕事を終わらせようと生産性が高まることさえあります。


それと同じで、死を悪いものとして捉えていると、誰もが
死に向かって生きているにもかかわらず「嫌なことが
近づいてくる」と、生きることが苦痛になってくるわけです。


そして、目いっぱい生きることが不可能になっていきます。


このように、生きることが目的になっていると、人生はうまく
いきません。


何のために生きるのですか。
何のためにその命を使うのですか。
命は生きる目的を全うする道具にすぎません。


命を大事にすると、「死にたくない、生きたい」と思うようになり、
命に固執し始めます。 すると、悪循環にはまってしまうのです。


出来事があったから信じ込みが芽生えるわけではありません。
もともと信じ込みがあるから、 避けたいことが引き起こされる
のです。


脳は逆に動きます。


たとえば病気をして、やりたいことがやれなかったという影響
が出てきた場合、実は「やりたいことをやらないために病気
になった」という流れがあります。 脳は逆に動くからです。


つまり、「何のために、やりたいことをやらないことが必要
だったか」ということです。


よくある間違った動機付けが、「過去のこんなダメな自分
を何とかしたいから」「バカにしてきた連中を見返して
やりたいから」「貧乏な自分を何とかしたいから」。


ダメな自分を何とかしようという目的でやると、体を壊して
しまいます。


「ダメな自分」と「理想の自分」を同時に想像している
二重拘束状態にはまっているのが原因なのです。


目的と脳の動かし方を間違えていると教えるために
「考え直しなさい」「生き方を考えなさい」 「世の中の捉え方
を変えなさい」とブレーキをかけ、
やりたいことをやらせ
ないように脳は動くのです。


「心の裏の言葉」


『ある女性が、ステージ4の舌がんになり、手術を受けること
になりました。 私は彼女のブログを読み、ピンときたのです。


舌がんの手術をすると言葉が不明瞭になり、意思疎通が
以前より難しくなります。 私は、それが彼女の本当の目的
なのではないかと思いました。


さらにブログを読み進めると、やはり「私は理解されない人」
という前提で文章を書いていることがわかったのです。


ステージ4の舌がんだと知ってまず夫に報告し、夫から子ども
たちには説明してもらったと書 いてありました。


つまり「自分は理解されない」という前提であることが
わかりました。 理解されないことを証明するために舌がん
になり、「理解されない人」の仕上げをしようとしている
のではないか。


この場合、「理解されない人になるために手術をするの
ではなく、理解される人になるためにこの手術をするんだ」
と手術前につぶやくかつぶやかないかで、術後の人生は
まったく違ってきます。


心の裏にある言葉が現実化する。


これが脳のメカニズムなのです。 こうした事例から私たちは
何を学ぶべきでしょうか。 それは、心の裏の言葉を変える
ことです。


たとえば、「私には価値がない」から「私はもともと価値がある」
と変えます。


価値がある自分は気持ちがいいですから、価値のある自分
を表現しようとします。


そして、価値を周りに分け与えるようになり、「〇〇さんって
とてもいい人ですね、価値がある人ですね」と認識され
始めます。


「私は価値がある人」と決めているから、自分を認めて
くれる人、価値を高めてくれる人を周りに集めたり、自分の
価値を表現できるような仕事に就いたりするのです。


そうすることで、さらに「この人は価値がある人だ」と周囲に
認識されていきます。


心の裏にある言葉に合うように現実が用意されるのです。


起こった現実しか見ていない人は、記憶が放置されたまま
になり、1つのストーリー になっていません。 だから、人生
が思い通りにいかないのです。』


「他者基準」と「自分基準」


他者基準とは、たとえば、「私は人の喜びのために仕事を
しています」ということだ。


一見すばらしい基準のように思えるが、「人が喜ばなければ
自分は価値がない」と思い込んでいる。


反対に「自分基準」とは、「人の喜び」はひとつの情報であって、
それに左右されず「自分には価値がある」と思うことができる
考え方だ。


いくら、人が喜ぶためにやったとしても、それを喜ばない人も
いれば、中には逆に、迷惑だと言う人もいる。


そんなことで、一喜一憂していたら自分の気持ちがズタズタ
になってしまう。 幸せな人は、今、目の前にある幸せに
気づける人だ。


どこか幸せが遠くにあるのではなく、この瞬間にある。
それに、気づけるかどうか、だ。


今の自分に価値があると気づけること。 そして、今、この
瞬間を楽しめているか、面白がっているか、だ。


心の底で「自分は価値がない」と思っていれば、いくら表面
ではポジティブなことを言っていても、脳は価値がない自分
であろうとする。


つまり、「脳は逆に動く」 人生を楽しめる人でありたい。 ・…


author:梯谷幸司(はしがいこうじ)






×

非ログインユーザーとして返信する