妄想劇場・流れ雲のブログ

趣味の、自己満ブログです。人生は、振り返ることは出来ても、後戻りは出来ない…掲載内容に問題がある場合は、お手数ですが ご連絡下さい。 迅速に対応させていただきます。

妄想劇場・妄想物語







歌:坂本冬美
作詞:荒木とよひさ:作曲:堀内孝雄


涙まじりの 恋唄は
胸の痛さか 想い出か
それとも幼い あの頃の
母に抱かれた 子守唄










今の住居に暮らして5年になりますが、駅からほど近い場所
にある店が気になっています。場所も、日当たりも悪くない。


今回は揚げ物屋さんで、開店の日には1品サービスの
おまけ付き。私も並びました。


「今度はどれくらいもつかなぁ。」
夫は店をみて呟きます。


そう、この場所にある店は長くて1年、早ければ2ヶ月と経たず
に閉店してしまいます。


町に活気がある方が暮らしやすいですから、お店の
新規オープンは嬉しいニュースです。


ところがその店は、気がつくと閉店していました。


私が暇な時間を埋めるように、スマホを眺めていた
時の事です。


見るともなしに町の情報を拾い読みしていると
「あの場所に出る幽霊の情報を教えて下さい!」
と書き込まれていました。


見える人には見えるのでしょう。路地に佇む白い
ワンピースの人だそうです。


文脈から判断するに、私が気になっているあの場所です。
それから通る度に路地の奥を覗いてみますが、そんな
人の姿を見ることはありません。


その後には居酒屋ができました。


カウンター8席とテーブル席が4つ。ランチと、夜は6時から
11時まで。なかなか洒落た店です。


夫と2人で通ううちに、店主の夫婦と仲良くなりました。
「この店、もう無理かも…。」ある夜、お店のママが壁を
見つめながら言いました。


平日の夜8時、客は私たち夫婦だけ。
「なに言ってんの!ちょっと聞いてよ~こいつさぁ、
あの壁のシミが取れないと毎晩狂ったように
掃除するんだよ~。」


そう言われて見た壁には、テーブル席に隠されて薄っすら
としたシミ…のようなものがあります。


「あのシミ、人の形に見える?
俺わかんないや!」
ご主人は笑っていましたが、奥さんは曇った表情。


「マスター、たまには休みなよ。3ヶ月休みなしでしょ。
疲れたんだよ。」そんな会話をした翌週に、
店は閉まっていました。


次は美容院が入り、シミがあった壁は鮮やかな
グリーンになっていました。


「あの幽霊の噂、本当かもね。」
「あなた、知ってるの?」
「この町じゃ有名な話だろ。


20年くらい前に、あそこにあったラーメン屋から火が出て、
娘さんが亡くなったんだって。」


それはきっと白いワンピースの幽霊かも。
じゃあ、あの壁のシミは?


最近、美容室を覗いてもほとんどお客はいません。
「あと1週間位で閉めるんじゃない?」
夫はそう予想しています。


私は気味が悪いので、道路の反対側を歩くようにしています。










腰塚さんは大学卒業後、天職と思えた中学校の体育教師
になり、学級担任やバスケット部顧問として充実した
教員生活を送っておりました。


一生、寝たきりか、よくて車イスの生活


2002年3月1日。人生を大きく変える出来事がありました
それはスキーで転んで「首の骨」を折ったことです


救急車で病院に運ばれました
そのとき、お医者さんは奥さんに「たぶん、一生、
寝たきりか、よくて車イスの生活になるでしょう」と
言いました


手術は成功しました
しかし・・・、1週間たっても首から下の「手足」は、
まったく動きませんでした


毎日、「どうやったら死ねるか・・・・・・」
そればかり考えていました


絶望の余り腰塚さんは、舌を噛んで自殺を図りますが、
あまりの痛さに未遂に終わります。


本当は、生きていたかった・・・・・・
でも、「生き方」がわからなかった・・・・・・


そんな死ぬことばかりを考えていた腰塚さんに、
生きる勇気を与えてくれたのは、周りの人々の
温かい応援と励ましでした。


「何があってもずーっと一緒にいるから」と
言ってくれる奥さん…


「代われるものなら代わってあげたい」と
言うお母さん…


「腰塚さんの辛さは本当には分ってあげられないけど、
私に出来ることは何でもしますから、我慢しないで
言ってくださいね…」と声をかけてくれた看護師さん…


「先生、待ってるから!」


回復をひたすら信じ、心温まる激励を送り続けてくれた
学校の生徒や同僚の先生たちでした。


その後、厳しい困難なリハビリに取り組んだ結果、
ついに4ヵ月後、現場復帰を果たすまでに回復するのです。


主治医の先生も、「首の骨を折ってここまで回復した
患者は腰塚さんが初めてです」と驚嘆するほどの
回復振りでした。


まるで奇跡のような出来事でしたが、腰塚さんは、
自らも驚きとともに、その理由についてこう語っています


腰塚さんには、色んな人たちからの応援の声に、自分の
心の変化を感じたそうです。


事故で死んだ教え子の存在、病気で死んだ友達の存在。
生きてる人たちからも、亡くなった人たちからも勇気と優しさを
実感としていただいた瞬間がありました。


「ああ自分は一人じゃない」生きなきゃ・・・」
「助けて」って言っていいんだって気がつきました。


動けなくても「花」のように生きることは、出来るかも
知れない。腰塚さんはいつも「笑顔」でいることに
決めました。どんなことにも「ありがとう」を言おうと
決めました。


腰塚さんは人々の深い愛情に包まれながら、「これからは、
今のすべてを受け入れ、そのすべてに自分が責任を負い、
すべてに感謝をしていこう」と心に誓います。


そうしたら、いつしか手足が動き始めてくれたそうです。
そして、必ず学校へ戻ると決めました。


現場復帰に当たって、腰塚さんは次のような「五つの誓い」
を立てます。


「口」は…、人を励ます言葉や感謝の言葉を言うために使おう
「耳」は…、人の言葉を最後まで聴いてあげるために使おう
「目」は…、人の良いところを見るために使おう
「手足」は…、人を助けるために使おう
「心」は…、人の痛みがわかるために使おう


この「誓い」は自分を助けてくれた人たちがしてくれたことを、
今度は自分がしようという思いから生まれたものです。 


念願の現場復帰を遂げた腰塚さんは、今回の体験を
「命の授業」と名づけ、6分ほどの「ムービー(動画)」
にして、インターネット上に公開しました。


そうしたら、たちまち多くの人々の知るところとなり、
さらには学校関係者などから講演の依頼が相次いで
寄せられるようになりました。 


命の尊さ、生きていることの素晴らしさ、仲間の大切さなど
を訴える腰塚さんの講演は、特に子供たちにとって
素晴らしい「命の授業」になりました。


この活動(「命の授業」の講演)を自分の使命にして
生きていこうと決意しました。


そうして、2010年3月、22年間の教員生活を退き、
現在は、全国の小学校、中学校、高校を始め一般企業の
方々に、講演活動を続けておられます。 


腰塚さんは今回の事故を振り返り、次のように語っています。
(一部抜粋)


……私は首の骨を折るという大きな失敗をしました。
しかし失敗したことによって、私の命が周りの人々、
あらゆる命によって生かされ、支えられていることを
知りました。


失敗は決して悪いことではありません。
本当に悪いことは、他人のせいや環境のせいなどの
言い訳をして何もしなくなることです。


この人生はすべて自分が源で作られています。
だからそのすべてに責任を負い、今のすべてを受け入れ、
すべてに感謝していくことが大事なことです。


どんな出来事も、すべて必要があって起こっているのです。
何事も自分が成長し幸せになるための「学び」になるのです。
私は今でも下半身から下は余り感覚がありません。


しかし、そのことがいつも私に「手足が当たり前に動くこと
の幸せ」を教え続けてくれています。


だから麻痺して余り動かない右半身と下半身は、
私にとって「宝物」です。


「いつも笑顔でいよう」
「いつも感謝しよう」
「周りの人々の幸せを願おう」


これが私の原点です……






祖母が要介護3の認定を受け,入所できる介護施設が
見つかり,8月12日に入所しました。


大好きな祖母だけに,施設への入所には,複雑な思いが
ありましたが,介護で疲れ果てた母親の姿を見ていたら,
仕方ないことだと諦めました。


施設入所の為に,祖母の家の荷物を整理したら,
軽トラック2台分あり,我が家の駐車場で保管しました。


祖母は大分の資産家の娘だと聞いていたので,荷物から
お宝が出てこないかと興味本意で探ってみました。


残念ながら,私が期待した宝物は出てきませんでした。


しかし,荷物の中から,祖父が祖母に当てた手紙が100通
ぐらい出てきました。


読んでいいものなのかと躊躇しながら,自分が生まれる
前に亡くなった祖父がどのような人だったか興味がわいて
きたので,どんなことが書かれているのか読んで
しまいました。


なんと手紙は,祖父が祖母への熱い思いを綴った
恋文でした。


読んでいくうちに,祖父と祖母は親に結婚を反対され,
駆け落ちをして一緒になったことが分かりました。


厳しい環境の中で,祖父母の強い愛情や互いの絆の強さ
が書き記され,当時の様子を想像しながら読んでいくうちに,
胸が熱くなりました。


手紙の中に仕事のことや,祖母に贈った詩などがあり,
祖父は誠実でロマンチストだったのだと嬉しくなりました。
まるで,朝ドラになりそうな内容でした。


祖母は,その手紙を全て大切に保管していたのです。


今は,メールで気軽に相手に思いを伝え,簡単に削除
しています。


祖父の一文字一文字に込めた祖母への強い愛情を今でも
大切にしている祖母の思いを考えながら,


私自身の生活を振り返り,「もっと頑張らないといけないなあ」
と自分自身が情けなくなりました。


興味本意で探したお宝でしたが,私の心に素晴らしい宝物が
届けられました。


お盆の祖父の墓参りで,宝物への感謝とともに,祖母を
見守り続けるから安心してほしいこと,そして,
祖父母に恥じない生き方をすることを誓いました。…






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