妄想劇場・流れ雲のブログ

趣味の、自己満ブログです。人生は、振り返ることは出来ても、後戻りは出来ない…掲載内容に問題がある場合は、お手数ですが ご連絡下さい。 迅速に対応させていただきます。

妄想劇場・森羅万象









歌:前川清
作詞:千家和也:作曲:伊藤薫


盛り場地図で 場末のはずれ
見落としそうな ちいさな店よ
港で暮らす 荒くれたちを
なじみの客に かれこれ四年








ぼくの人生で唯一輝いてたあのころ。


キラキラしてた20代前半。ぼくの人生で唯一輝いてたあのころ。
あのころのぼくは、アラフィフになったとき、街金ではたらいてる
なんてこれっぽっちも想像してなかった。


当時はたらいていた会社の都合で独立を迫られ、右も左も
経営が何なのかもわからない、


東京の池袋で24歳が社長になってしまったんです。


資金繰りの知識もなく、周りの大人たちに助けられ(カモられ)。
世間をまったく理解してなかった20代前半に、


保証協会に申込んだら300万って言われたんです。
知り合いのおじさんが、都議にこんにちはしてきなさいって
いう指示に従ったら1000万に増えたんです。


もっと借りたいっておじさんに話したら代々木のお爺さん
紹介してくれたんです。そしたら3000万枠ができたんです。


雰囲気だけでなんとか経営を続けていました。
西麻布のアムリタとか、麻布十番のルネスが東京だ
と思ってました。


ちょう杜撰な経営ですから、すぐお金が底をつきます。


飲み友だちに資金繰りを相談したところ、
「福岡の知り合いが貸金業を営んでいるので、話してみる」
と、その場で電話してくれました。


「明後日東京に来る予定あるみたいだから、そのとき
会おうだって」 とんとん拍子で進んでいきます。


朝9時にウエスティンホテルに呼び出されました。
1階のラウンジには、モロやくざなおじさんが3人
座ってました。


待ち合わせの相手が違う人であることを祈りつつ、
飲み友だちに教えてもらった携帯番号に電話すると、


3人のうちダントツでガラの悪いおじさんが
「はいー」と甲高い声で出たんです。


ちょう怖い。このままバックれてしまおうか。
ぐるぐる空回りしてる脳と体が別行動をして、
おじさんに向かって右手を上げて合図してしまったんです。


その後のことはほとんど記憶がありません。


意識が戻るとおじさんたちは帰っていて、テーブルには
10万円ごとに輪ゴムで束ねられた100万円と、バカ高い
コーヒー代の伝票が置かれていました。


おじさんたちは、朝食も食べてました。
すぐ飲み友だちに電話しました。


「借りられたよ、ありがとう」
「利息、大丈夫? 払っていける?」
「利息? 何も言われなかったよ?」


「まぢで? トイチだよ?」


終わりました。僕は20代半ばにして10日おきに10万円
払わなければいけない奴隷になったんです。


「たぶん大丈夫……」電話を切り、脳死状態の頭を殴り
必死に考えました。


1週間後に入金があったはず。それで返済すれば
なんとかなる。はい、多重債務者脳の典型です。


入金予定があっても、その間に生じる支出を全無視した
計算を脳がはじめるんです。


当然1週間後に完済できるわけがなく、10日おきに
おじさんに指定された口座に10万円を振込み続けました。


なぜか口座名義はおばあちゃんみたいな名前でした。
そんなことも長くは続かず、「よし、もう無理だ。


福岡まで行って謝ったら許してくれるかも。
もう200万くらい振込んでるし」


はじめての福岡が、行き先は金貸しの事務所


飛行機に飛び乗りました。脳内シミュレーションしました。
こう言ってきたらこう返す、で、こう来たらこうかわす。


ザ・雑居ビルに入り、会社名も書いてないドアをノック
すると、「はいー」女の人の声がしました。


気が緩みました。シミュレーション通りいけるかも。


でもドアを開けたのは、東京では会ったことがない
レベルの強面お兄ちゃんでした。
「どうぞ」中に入るよう促され、奥の部屋に通されました。


奥の部屋では、ウエスティンホテルで会ったおじさんが
ニコニコ迎えてくれました。


「わざわざ来てくれてありがとな、今日はどした?」
「はい、実はですね、お金が尽きまして、利息の支払い
がキツくなりまして……」


「んやとぉ!・・・
はじめて博多弁で怒鳴られたので、何を言ってるのか
まったく理解できませんでしたが、


ゴミ箱の裏から日本刀が出てきたり、淹れたてコーヒーが
降ってきたり、まぁ散々です。ちょう怖かったです。


冷静になったおじさん、「じゃおまえ働いて返せ」
ぼくのズブズブ奴隷生活のはじまりです。…


次回・ぼくに待っていた「奴隷生活」という代償










それから、数週間が経過した。


ひまわりと風間くんは、清い交際を続けているようだ。
それは兄としては微笑ましいことではあるが、


極度のお母さんっ子である風間くんが、ひまわりとお母さん
の板挟みにならないかが少しだけ不安だったりする。


しかしまあ、ひまわりのことだ。持ち前のど根性スキルと
負けん気で、難なく色々やってみせるだろう。


今日のごはんはハンバーグにしようと思う。


我が家のハンバーグは、中にチーズを入れる。
ハンバーグを開けた時に、トロッと出てくるチーズは、
ひまわりが絶叫する程美味なのだ。


「……ん?」
買い物の帰り道、ふと曲がり角にいる不審な人物を
発見した。


周りを気にしながら、曲がり角の先をチラチラと覗いている
ではないか。完璧に、誰が何と言おうと不審者だ。


オラが携帯を手に持ち、ダイヤル110番を押下しようと
した直前、その人物に見覚えがあることに気付いた。


(あれは……)


ゆるりと近付き、声をかけてみる。
「・・・まさおくん?」
「・・・ィヒイイィイイッ!?」


あれだけ周りを気にしていたのに、背後に近付くオラに
全く気付かなかったのだろうか。


付近に響き渡るほど、まさおくんは絶叫した。
振り向いたまさおくんは、オラの顔を見て胸を撫で下ろす。


「……なんだ、しんちゃんか…もう、脅かさないでよ…」
「いやいや、驚いたのはこっちの方だぞ。ていうか、
何してるの?」


その問いに、まさおくんは少しだけ躊躇した。そして、
曲がり角の先を顎で示す。「……あれだよ」


「あれ?」まさおくんに指示されるがまま、オラはその
方向を注視した。


「……あれは……ねねちゃん?」
その先にいたのは、ねねちゃんだった。
そして彼女の隣には、見覚えのないイケメンが。


二人は、談笑しながら歩いていた。
「……まさおくん。これって……」
「………」


まさおくんの顔は、この世の終わりのように沈んでいた。
オラとまさおくんは、近くの喫茶店に移動していた。
まさおくんは、テーブル上に項垂れていた。


「……まさおくん、大丈夫?」
「うん……なんとか……」
よほどショックだったのだろうか。声に全く生気を感じない。


「あの人、ねねちゃんの仕事場の保育士さんなんだ…」
「ねねちゃんの職場って……フタバ幼稚園?」


「うん……。前に、見たことがある……」
「保育士さんねぇ……」
突如、まさおくんはテーブルをバンと叩き立ち上がった。


「しんちゃんも見たでしょ!?あんだけイケメンなんだ!
絶対に、何か狙いがあるんだよ!


あんなイケメンが、ねねちゃんを相手にするはずないし!!」
まさおくんは、見ていて清々しいほど、はっきりと断言したっ!!


「きっと、ねねちゃんの気持ちを弄んでるんだよ!!
許せない!!絶対に許せない!!
……僕が、ねねちゃんを助けるんだ!!!」


まさおくんはさっきまでの屍のような雰囲気を一変させていた。
そこにいるのは、まさに愛の戦士だった。背後に燃え盛る
炎が見える。・・・


……言ってることは滅茶苦茶だが。
「……ていうかまさおくん。まさおくんって、
ねねちゃんが好きなんだね……」


「当たり前だよ!!!」
「ねねちゃんは、ずっと僕と遊んで来たんだ!!
それをポッと出の腹黒野郎に、盗られてたまるかってんだ


(まさおくん、キャラ変わってるよ。あと、言ってること
やっぱり無茶苦茶……)


そしてまさおくんは喫茶店を飛び出していった!!
「あ!ちょっと!まさおくん!!」


オラの呼び掛けに一切答えることなく、愛の戦士は
出ていった。「……会計、忘れてるよ……」



それにしても、もし仮にライバル(?)だとするなら、
まさおくんには悪いが、かなり分が悪い気がする。
何せ、相手は超絶イケメンだし。


(……居酒屋、予約しておくかな……)


オラは頭の中で、まさおくんを元気づける会の計画
を立て始めていた。


と、その時。
ドン~曲がり角を曲がったところで、オラは人とぶつかった。
「うわっと……す、すみません。考え事をしていたもので……」
「い、いえ、こちらこそすみません……」


「……ん?」オラは、その人物を見て驚いた。
そこにいたのは、例のイケメンだった。 ………



危機に瀕した企業を見事再建した経営者として、
村井さんを知る人は少なくないだろう。


村井さんが住友銀行常務から東洋工業(現マツダ)
副社長に転じたのは昭和五十一年、五十七歳の時だった。


初めて出社した村井さんを迎えたのは、約一万人の
労組員が叫ぶ「銀行屋が何しにきた」「帰れ!」
のシュプレヒコールだったという。


村井さんは現場主義である。


現場を回って虚心に従業員と話し合い、人心掌握に努めた。
製造部門の五千人をセールスに回すという改革も断行した。


その中から醸成された社員のやる気が、ファミリア
というヒットの誕生に結びついた。
東洋工業が甦ったのは四年後のことである。


その二年後の昭和五十七年、今度はアサヒビール
社長に就任する。


当時のアサヒビールは三十六%あったシェアを
十%近くまで落とし、どん底にあった。


開発は営業の努力不足を、営業は開発の商品開発力
のなさを互いに責めなじり合う空気が蔓延していた。


ここでも村井さんは現場主義を貫く。


約八百店ある特約店を残らず訪問した。
社内では開発と営業の垣根を取り払って
開発プロジェクトを結成。


またミドルクラスの社員を対象に読書会を開いた。
そこで村井さんが説き続けたのは、


「企業は常勝集団たれ」
「情熱を持ち続けよ」
「努力は必ず誰かが見ている」
の三点だった。


感奮した社員の活力が空前のヒットとなる
アサヒスーパードライを生み出す。


だが、開発済みのこの商品を村井さんは、
後を継いだ同じ住友銀行出身の樋口廣太郎さん
の登場に合わせて発売、


新社長誕生と共に上昇の軌道に乗せる路線を
敷いたのである。


その二か月後の昭和六十二年、村井さんは民営化
したばかりのJR西日本会長に就く。


ここでも現場主義だった。


駅々を巡り、汚れたトイレや接客業とは思えない駅員
の態度など旧弊に染まった状態に接し、村井さんは


「私たち全員が新入社員である。過去を断ち切って
新しい社風をつくろう」と全社に呼びかけ、
企業理念の策定に全力を傾ける。


「運輸業ではなく総合サービス業」
「お客様と感動を共有する企業」
への脱皮である。


ここでもミドルクラスを対象に読書会を開き、
それを軸に企業理念の浸透を図る。


数字に表れる業績の向上に社内は活力に溢れていった。


企業再建を果たした名経営者は多い。
しかし三社ともなると、稀有と言う外はない。


村井さんは活力づくりの名手というべきだろう。


1、起業家精神を持たせる。
2、情報に対する鋭い感性を涵養する。
3、自分は企業躍進の原動力という自覚を持たせる。


この三点を核にして三十五歳を中心とした
ミドルクラスをチェンジリーダーへ変えていくのが
活性化のポイントだった、と村井さんは言う。


同時に、自らに向かって問い続けたともいう。


「いまという環境をあなたは一所懸命に生きているか」
「あなたはどれだけの情熱を持って生きているか」…と。


このシンプルな言葉にこそ、活力創造の源泉があることを
私たちは胆に銘じなければならない。・・・






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