妄想劇場・流れ雲のブログ

趣味の、自己満ブログです。人生は、振り返ることは出来ても、後戻りは出来ない…掲載内容に問題がある場合は、お手数ですが ご連絡下さい。 迅速に対応させていただきます。

妄想劇場・特別編












地元の小学校長を退職した後、1年間だけ大阪で校長を
務めました。


そこは、大阪北部の町でした。京都や奈良の県境まで
電車か車で20分足らずです。しかし、大阪の中心部までも
電車で40分ほどでした。


郊外の町だけあって、自然豊かで山あり、川あり、野原あり、
そう学校の前には田んぼがありました。古都奈良に近く
落ち着いたたたずまい、京都弁の混じった柔らかい大阪弁、
そして人情の町大阪を体現している地域の人々でした。


短い期間ではありましたが、忘れられないいい思い出が
たくさんできました。 そんな中から、学校での出来事を
一つお話しします。


大阪に赴任して間もない土曜日でした。私は一日も早く、
学校に慣れようと、休日でしたが、出勤して学校の資料
に目を通していました。


また、年度初めは特に忙しい学校事務のユウコ先生が
職員室内で忙しそうに仕事をしていました。 お昼近くに
なった頃、校門から職員室につながるインターホンが
鳴りました。ユウコ先生が応対してくれました。


声の主は6年生の男の子でした。私は校長室に戻りました。
しばらくしてノックがあり、ドアを開けると、ユウコ先生と
6年生の男の子、そして、べそをかいている女の子
がいました。


聞くと、公園で自転車に乗って遊んでいた女の子が転んで
ケガをしたので、彼が学校に連れてきたということでした。
ユウコ先生は、ケガは擦り傷程度だから大丈夫と、土を
水道で洗い流し、これから家まで送っていくというのです。


6年生の男の子はショウという名前だと分かり、
「ショウくん、えらいね。ケガしていた子のお世話をして
あげたんだね」 とほめました。


ユウコ先生も 「そうなんよなぁ、ショウくんはやさしい子やから、
ほおっておれんかったんよなぁ」と言うと、ショウくんは照れ
笑いを浮かべていました。


ユウコ先生は女の子の手を引き、ショウくんは女の子の
自転車を引いて近くの家まで送っていきました。


6月に入ると遠足の季節です。


私は、6年生2クラスを担任の先生方と一緒に引率することに
なりました。引率と言っても、校長の役目は一番後ろから
ついていき、集団から遅れる子供たちに声をかけて急がせる
役目でした。


奈良まで行く電車の乗換駅で早速、乗り遅れそうな女の子
がいました。列車を待っている間、ミホちゃんはしゃがんだまま、
線路をまたぐ階段をずっと見ていました。


その先には、年老いた掃除のおばさんが階段を丁寧に
掃いたり、手すりを一生懸命拭いたりしていました。


電車が来たことも知らずにジーッと見つめたままなので、
私はあわてて、 「ほら、ドアが閉まっちゃうよ。はやく乗って、
乗って」 と電車に押し込みました。


そこから奈良駅まで15分、ミホちゃんのお話を聞くこと
ができました。


「どうして、掃除のおばさんを見てたの?」
「あんなぁ、校長先生…うちのおばあちゃんを思い出したんよ。


……おばあちゃんはな、校長先生よりもずっと歳とってん…
…そんでな、病院の掃除を毎日しとんねん。


お父さんとお母さんはな、おばあちゃんはもう歳なんやから、
仕事やめときっ、ていうんやけどな……


おばあちゃんはな、こりゃ仕事やないねん、
わしの生きとる証や、言うねん。


おばあちゃんがトイレ掃除した後にな、患者さんが、
とてもきれいで気持ちいい、ありがとう、って言うんやて。


病気やケガで痛いところを抱えている患者さんが、ちょっと
でも気持ちええなぁ、と思ってくれるからわしは生きとる
価値がある、そう言うねん。


……駅で掃除してた人と同じようにおばあちゃんも働いて
いるんやな、って思ってたんよ」


「ミホちゃんのおばあちゃんは、偉い人だね」
「うん、ほんまそう思うたわ」


奈良公園につきました。私ははじめて若草山に登り、
奈良や大阪の市街地を見渡せる絶景に感動しました。


午後は、興福寺の見学です。子どもたちは、千手観音像
などの宝物(ほうもつ)を予め学習しており、興味深く見て
回っていました。しかし、国内だけでなく海外からの観光客
で寺院内は予想以上の大混雑でした。


ふと気づくと、最後尾のグループの子供たちが何やら
慌てています。どうしたのかと思って聞くと、一人はぐれて
しまったというのです。それは、例のショウくんでした。


予想外の混雑で予定は大幅に遅れています。このままだと、
帰りの電車に間に合わないかもしれません。


担任の先生に、私がショウくんを探しに行くことを伝えて、
見学ルートを引き返しました。


混雑の中、ショウくんはなかなか見つからなかったのですが、
なにやら観光客の声が聞こえてきました。


「……感心な子やね」 「今どきこんな子が居(お)るんや」
もしや、と思いましたが、やはりショウくんのことでした。


自分自身がグループからはぐれていることも自覚していない
ようです。ショウくんは、自分が調べてきたメモを見ながら、
じっくりと拝み、そのあと一体一体に丁寧に合掌しながら、
回っていたのです。


私は、ショウくんに急ぐようにせかしましたが、それでも
仏像への合掌は最後まで続けました。 ショウくんと私は、
なんとかグループに追いつき、駅に急いだのでした。


帰りの電車では、ショウくんからお話を聞くことができました。


「どうして、仏像に手を合わせていたの?」
「あんな……おばあちゃんがな、仏像はな、交通事故や
病気などから家族を守ってくれとる。


そやから仏像には、必ず手を合わせて、感謝せんといかんよ、
って……」


「へえー、そうなの。本当に仏像がショウくんや家族を
守ってくれてるのかな?」
「そうや。校長先生、そんなことも知らんの?」
「……あ、はい……」


「おばあちゃんの言うことは、いつも間違っとらんし、
おばあちゃんの言うことをボクは信じとる。


天才はどんだけいるか知らんけど、ボクはおばあちゃんが
一番の天才だと思うとる」 おばあちゃんは天才か……


確かに。私も小さい頃、おばあさんから大事なことを
たくさん教えられたし、いろいろと助けてもらった。


社会でよりよく生きる姿をミホちゃんに見せている
おばあちゃん、目には見えないもの中にこそ大切なもの
があることを教えてくれるショウくんのおばあちゃん、


大阪の子供たちも大阪のおばあちゃんたちがしっかりと
見守り、育てているんだなぁ、と思ったのでした。


大阪のおばあちゃんも、東北のおばあちゃんも、
全国のおばあちゃんもみんな、おばあちゃんは天才です!











いじめを受けた子供が、その苦しみに耐え切れず、自らの
手で「命」を絶つという事件には、本当にやりきれない思いが
いたします。


マザーテレサは、「人間にとってもっとも悲惨なことは飢餓でも
病気でもない。自分が誰からも見捨てられていると感じる
ことです」と語っていますが、いじめはまさに、その代表的な
ものだと思います。


誰でもいいんです、その子供の苦しみを分かってあげる人が
一人でもいれば、決して死を選ぶことはありません。


その悲痛な心の叫びが誰の心にも届かないと知った時、
子供は「誰も分かってくれないなぁ。つらいなぁ、苦しいなぁ」
という深い絶望の中で、最後に選択するのが「もう生きて
いたくないなぁ」という死への道なのです。


私たちは人間の存在意義を有用性(役に立つかどうか)
という観点だけで測ってきました。
そこでは、役に立つ者は必要な人材として大切にされますが、
役に立たない者は無視され排除され、その存在さえも
否定されてきたのです。


無視された者は、誰からも必要とされていないことを強く感じ、
次第に生きる意欲を失くしていくのです。


ここ数年の統計を見ますと、日本の自殺者は毎年三万二千人
を超えており、世界でも有数の自殺多発国です。


これは交通事故で亡くなる人の実に4倍にもなり、単純に
計算しただけでも、毎日九十人近くの人が自ら命を絶って
いることになります。


新型コロナウイルス感染症死亡者数4/19日現在 9,682人


今、日本は、かつてないほど豊かで快適で便利な社会を
実現しましたが、その一方で、こうした自殺者が後を
絶たない、生きる希望を見出せないような社会をも
創ってしまったのです。


その原因は何かと言えば、それは私たちが有用価値
(どのくらい役に立つか)という「ものさし」で人間を色分け
してきたということもあると思います。


「命はものさしでは測れません。そこに存在している
だけで等しく尊いのです」仏伝には、お釈迦さまが誕生
されてすぐに「天上天下唯我独尊」と唱えたということが
記されています。


言葉の意味は、「自分(釈迦)一人がこの世の中で尊いんだ」
ということではなく、私たち一人一人が、誰に代わることも
ないかけがえのない尊いいのちをいただいているという
事を教えているのです。


現在、地球上に六十億人以上の人が住んでいますが、
何人たりとも私に代わることは出来ません。まさに
私たち一人一人は時間的にも空間的にも絶対的存在です。
つまり誰もが「唯我独尊」なのです。


十人いれば十人十色、百人いれば百人百色、私たちは
それぞれ「自分色」を持っています。その自分色を照らし
あうことによって初めてこの世界が光り輝いてくるのです。
無駄な色、役に立たない色など一つもありません。


全国紙に公共広告機構から次のような広告文が
掲載されました。


命は大切だ 命を大切に そんなこと
何千回何万回言われるより
「あなたが大切だ」誰かがそう言ってくれたら
それだけで生きていける


「私のことを大切に思ってくれてる人がいる」・・・
これが生きる大きな力になるのです。・・・・・






アジアの国をいろいろ旅した。
それぞれの国にそれぞれの魅力がある。
でも一番刺激的だった国といえばそれはインドだ。


野良牛が闊歩するインドでは、今まで見たことのない
ようなものや会ったことのない種類の人間に毎日
出くわした。


インドは街中にあからさまな欲望が渦巻いており、
その喧騒の中にいると自分の価値観が崩壊していくの
が分かった。


それがなんだか心地良いのだが、油断していると危うい
雰囲気に飲まれそうになる。


行く度に「もう二度と来ない」と思うのだがなぜかまた
行ってしまうのがインドだ。得体の知れない魅力が
あるのだ。


三度目のインドの旅の出来事である。
ネパールからインドまでオンボロバスに乗り一日かけて
ガンジス川の沐浴で有名なバラナシという街に着いた。


くたくただった僕は適当な安宿を見つけ、丸太のように
眠り続けた。


翌日の昼、宿のベッドからなかなか起きられず、
ぼんやりする頭でこの街の次はお釈迦様が悟りを
開いた街「ブッダガヤ」にでも行こうかなと漠然と
考えていた。


夕方になっても疲れは取れなかったが、外の空気
を吸おうと思いふらっと宿を出た。


「ミルダケOKデス」、「ヤスイ、ヤスイ!」といろんな
物売りが変な日本語で話しかけてくる。


疲労困憊の僕は彼らとのやり取りを楽しむ余裕もなく、
日本語も英語も一切通じない国の人間を装い歩き続けた。


訝し気な眼差しで物売りたちが去っていく中、一人の
少年が付いてきた。


“You must be Japanese.“(おまえは日本人に違いない)
十五歳くらいの彼はそう言って妙に楽しげにずっと
僕に話し掛けてきた。


それでも僕は無言を貫いていた。
すると彼は僕の前に立ち、突然こう言ったのだ。
「世田谷、阿佐ヶ谷、ブッダガヤ!」


僕は声を上げて笑った。完全に負けた。
観念した僕は彼から絵葉書を数枚買い、
屋台で彼にコーラを奢った。


少年と川辺に座りガンジス川に沈む夕陽を一緒に
見ていたら不思議とそれまでの疲れが消えていった。
インドは心も体も掻き乱されるがまた訪れたい。
あの国には何かがある。・・・






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