妄想劇場・流れ雲のブログ

趣味の、自己満ブログです。人生は、振り返ることは出来ても、後戻りは出来ない…掲載内容に問題がある場合は、お手数ですが ご連絡下さい。 迅速に対応させていただきます。

妄想劇場・特別編














支援学級の担任、レイ子先生は50代も半ばを過ぎた
ベテラン教師です。


以前は、学年を問わず40名を超える普通学級を指導
していたということでしたが、ここ十数年は障がいのある
子どもたちの学習指導にあたっていました。  


昔気質の先生で、朝早く出勤し、日課のように、その日の
学習の準備や教室、職員玄関を掃除していました。
放課後も次の日の準備を欠かさず、遅くまで残って仕事
をしていました。  


ある日の職員会議で、教職員の日直が話題になりました。  


日直当番の先生は30、40分ほど早めに出勤し、職員室の
机を拭いたり、お湯を沸かしたり、児童昇降口を開けたり
するのです。  


先生方が話すには、家庭をもつ先生にとって朝は家事で
忙しいこと、特に幼い子どものいる先生は、保育園に連れて
行かなくてはならず、日直は免除してほしいということでした。


また昨今、話題になっている教員の過重勤務ということからも、
改善してほしい、ということでした。  


全体は、勤務時間外の日直業務については、考え直さ
なければならないという方向でまとまりかけていました。


私も日直が当たり前という時代とは違うし、働きやすい職場
づくりに管理職も努めなければならないのだから、日直当番
の勤務については考え直さなければならないな、という思い
に傾いていました。  


その時、ふとレイ子先生がお話したのです。  


「反対するわけではありません。全てのことを勤務時間内に
終えることができればそれが一番いいことでしょう。ただ、
日直当番は、せいぜい月1、2回です。


いろんな先生が代わるがわる昇降口を開ける、
それだけで待っていた子どもの一日が新鮮に始まるのでは
ないか、と思っています。


職員室の机拭きにしても、きれいな机を前にすると、
先生方もさわやかに勤務のスタートを切れると思います。
日直当番は、そんな少しばかりの奉仕です。


地域のごみ拾いなど、奉仕活動は自分の時間を費やして
行うものだということを、ふだん子どもたちに教えて
いませんか。


自分たちの学校、自分たちの職員室じゃないですか、
月1、2回、30分程度の早出なら、奉仕でもいいのでは
ないかな、と私は思います」  


そんなレイ子先生のお話でしたが、日直当番の先生は、
早く出勤した分だけ、その週のいずれかの日に早めに
退勤してよいことになったのでした。  


こんなこともありました。  


卒業式を前に、卒業証書に大きな校印とそれより一回り
小さな職印を押す作業があります。それは緊張を強いられる
作業です。


わずかでも曲がっていたり、濃淡など印影にムラが
あったりする卒業証書を渡すことはできません。
担当者は丁寧に、一枚一枚緊張しながら、時間をかけて
押印するのです。  


誰かが、こんな話を持ち出しました。今は本文だけでなく、
校印や職印も朱肉で押したように印刷ができるように
なっている。


そのように印刷所に依頼すればいいのではないか。それで
時間も短縮できるし、何より緊張や疲れから解放される、
とそういう話でした。  


しかし、ここでもレイ子先生は穏やかに話されたのです。  
「私はいつも押印する係です。正直に言うと、神経を使い
ますし、体全体で押印するのですから、疲れます。


でも、卒業生にとっては、かけがえのない証書です。
疲れるくらい心と体を使って押印して作成するのが卒業証書
だと思っています。


古い人間の言うことと笑われると思いますが、出来上がりが
同じなら、合理的に楽にやりましょう、ということには何か
抵抗があります。目には見えないし、誰もわからないことかも
しれませんが、手間と暇をかけて押印した卒業証書に私たち
の心が込められるのではないかと思っています」  


黙々と押印されるレイ子先生に影響され、私も下手な字で
申し訳ないと思いながら、一枚一枚毛筆で記名
してきたのでした。  


気丈なレイ子先生でしたが、春の健康診断で、要再検査と
判断され、夏休み中に精密検査を受けたのです。


結果の報告に来たレイ子先生は、落ち着いて話し始めました。
「体内に腫瘍があり、早期の手術が必要ということでした。


ご迷惑をおかけしますが、手術は10月下旬ということで、
中旬にはお休みをもらって入院しなければなりません。


これまで34年間の教員生活で、病気休暇を取得したことは
ありませんでした。ということは、そろそろ潮時かな、
と思います。


もし手術後、復職できたとしても、今年度限りで退職させて
いただきたいと思います。入院の日まで子どもたちを指導し、
代わりの先生にしっかりと引継ぎをいたしますから、
よろしくお願いします」  


いつも信念をもって言葉を発するレイ子先生でしたから、
その意思は固いと思いました。  


レイ子先生は10月15日から病気休暇に入ることが決まり
ました。その前日が、最後の勤務日だということを他の
先生方は知る由もありませんでした。  


最後の勤務日には、ゆっくりと子どもたちと過ごしてほしい
と思っていましたが、4年生の新任教員の学級で、地区内
の新任教員を対象にした研修授業が行われることに
なっていたのです。


レイ子先生が受けもつ支援学級の子どもも一緒に授業を
受けるので、その子のサポートのために授業に参加しな
ければなりません。  


予期せぬことは起こるものです。


研修授業の前日、授業者に持病のぜんそくの発作が起こり、
急遽入院することになったのです。私は、授業者が病気入院
ということを主催者の教育委員会に伝え、研修授業は取り
やめにしてもらおうと思いました。  


その時、レイ子先生が校長室にきたのです。 「明日の研修
授業ですが、取りやめですか。他校の新任教員は、
よい勉強の機会と期待していたことでしょうね。せっかくの
研修の機会を奪いたくはないものです。


差し出がましいことですが、もしよければ私に授業させて
くれませんか」  不意の申し出に、とても驚きました。  


しかし、明後日には病休に入る身であることを考えると、
とても任せるわけにはいかない、と話しました。


しかし、レイ子先生は、 「いえ、主治医からは明日まで出勤
が許されています。ということは、明日までは学校の業務を
行ってよいということです。


私は大丈夫です。研修授業の教材ごんぎつねは、若い頃
から何度も授業をしてきましたから、教科書がなくても頭に
入っています。私に授業させてください。


拙い(つたない)授業にはなりますが、研修の材料になる
ならば、中止にするよりはいいと思いまして・・・」  


私は、これもレイ子先生の強い意思によるものと思い、
主催者の教育委員会に確認をとり、授業者をレイ子先生
に代えることにしたのです。


放課後、校内の先生方に授業者が代わったことを話し、
特に若い先生には是非レイ子先生の授業を参観する
ようにと伝えたのです。  


予定通り、3校時に授業が始まりました。


いつもは初任の先生が手を焼くほどにぎやかな学級なの
ですが、まるでレイ子先生の魔法にでもかかったかのように
集中して学習し、よく発言し、満足感いっぱいの笑顔で授業
を終えたのでした。


レイ子先生が30名の子どもを前に授業するのは十数年ぶり
のことだったのでしょう。しかしその長い空白を全く感じさせ
ないほど、しっとりとした、涙が出そうなくらい感動的な
授業でした。  


参観に来た新任の先生方も、校内の若い先生方も、
レイ子先生から授業の本質を学んだように思いました。


そして、レイ子先生が時々、つぶやくように話していたことが、
校内の先生方の胸に甦ってきたのでした。  


「子どもは何でも知りたがる、できないことができるように
なりたいと思っている。それに応えられるように準備して
いないと、とても子どもの前には立てないわ。


みなさんは教師の仕事は楽しいとか、面白いとかいうけれど、
私はそんなことを思ったことはなかった。どうしたら、
子どもの強い欲求に応えられるか、それだけを
考えているわ・・・・」 ・・・・












薬の時間(息子=陽への)が終わり、一息ついていると、
「お母さん、薬どうでした? 


できた?」と声をかけながら、担当の先生方が現れ、
「なんとか無事に終わりました!」そう答えると、
なぜか先生方が顔を合わせ、頷いている。


そして「薬飲ませていくのは問題なさそうですね!」
「お母さん、陽くんは、私たちの最初の予想よりも、遥かに
良い状態です」


「正直に言うと、どんどん運ばれてくる赤ちゃんの受け入れが
難しくなってきています」


「陽くんは、もうここでしかできない治療というのはほとんど
ありません」


「そろそろ退院に向けての準備をしていきたいと思います」
「退院までに2回、小児病棟で母子同室を行って頂きたいので、
ご家族で話し合って、日にち決めてもらえますか?」


「その時に、薬の調合も覚えてもらいますね」


・・・退院!? えっ? もう退院!?!? できるの?? 嬉しい! 
嬉しいけれど、不安・・・。


大丈夫? 陽は、大丈夫? 私は、できる? 
そう戸惑っている私を察して、


「大丈夫。退院までに分からないことは、何でも聞いて下さい。
退院後もずっと、サポートさせて下さい」と先生が力強く
おっしゃって下さり、少し安心するとともに、


「サポートしてあげる」ではなくて「サポートさせて下さい」という、
言葉を選んでくれた先生の優しさが嬉しく、頑張ろう、
きっと大丈夫、と思うことができた。


陽、もうすぐお家に帰れるよ。ずっと一緒にいられるね。
陽のベッドはアンパンマンで可愛いんだよ。
もう少し、もう少し頑張ろうね。一緒に帰ろうね。





初めて陽(我が子)と、24時間ずっと一緒に過ごせる。
嬉しすぎて、前日の夜、同室中はきっと寝れないだろうからと、
いつもより早く布団に入った。


しかし眠れるはずがなく、どんどん目が冴えてきてしまう。
まるで遠足の前のワクワク感、懐かしい感覚。


そして少し寝不足のまま、病院に到着し、GCU(回復治療室)
にいる陽のもとへ向かう。自然といつもより、少し早歩きで向かう。


途中、すれ違う看護師さんに、「今日から母子同室ですね!」
「陽ちゃんとの時間、楽しんでね〜!」と声を掛けて頂き、
さらに気持ちが高鳴る。


こんなに早く、我が子とゆっくりと過ごせる日が来るなんて、
嬉しくて嬉しくてたまらない。「陽、お待たせ」カーテンを開き、
すぐに声をかけた。


そして予定通り、まずは沐浴。


母親教室で体験した沐浴とは、まるで違う。痛がらないかと
心配していたが、陽はとても気持ち良さそうにしていた。


「もう痛がることはないですよ〜」
「陽ちゃんはお風呂大好きですよ!」


「なるべく、皮膚のためにも清潔にしないとね〜」
看護士さんの言葉に、少しホッとし、沐浴の様子を見守る。


今回は看護師さんのやり方を見て覚え、2回目の母子
同室では、私がすることとなった。


陽、お風呂の時間が気持ち良くて、楽しい時間になるよう、
母ちゃん頑張るね。


沐浴を終え、全身にワセリンを塗り、服を着せて、しばらく
ゆっくりしていると、担当の先生方や看護師さんが陽のもと
に集まり、「時々、様子見に行きますね」


「陽ちゃん、いよいよやねえ〜!」
「陽ちゃん、いっぱいお母さんに甘えておいで〜!」
と次々に声をかけて下さり、まだ退院する訳でもないのに、
涙が出そうになる。


そして皆に見送られ、小児病棟へ抱っこで移動する。
抱っこしてこんなに歩くのは初めてで、一歩、また一歩と
進むたびに、熱いものが胸に込み上げてくる。


目に溜まる涙をこぼさないよう、上を向きたくても、足下に
気を付けて歩くため、下を確認するたびに涙がこぼれ落ちた。


さぁ、今から24時間、たっぷり親子の時間を楽しもうね。


author:『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』より






「かみさま おうちにあかちゃんを ありがとう」


長女4歳、次女1歳の夏、思いがけず妊娠。
予定外の出来事にうれしい反面、戸惑いも。


マイホーム購入を考えていた時期でもあり、3人の子供の
将来に経済的な不安がありました。


そんなとき、長女が紙切れに私のお腹のなかに赤ちゃんが
寝ている絵を書き、それに「かみさま おうちにあかちゃんを 
ありがとう」という言葉を添えてもってきました。


4歳の娘に背中を押されたのです。
私の心の迷いはすーっと消えました。


お腹の子は、今では1歳のやんちゃな男の子に成長しました。
あの時の素敵な紙は、末っ子の母子手帳に大切に
しまってあります。 ・・・






×

非ログインユーザーとして返信する