妄想劇場・流れ雲のブログ

趣味の、自己満ブログです。人生は、振り返ることは出来ても、後戻りは出来ない…掲載内容に問題がある場合は、お手数ですが ご連絡下さい。 迅速に対応させていただきます。

妄想劇場・森羅万象














藤田さんはテレビでナントカ大臣が、とある小学校を視察
しているニュースを見ていた。


一人の児童がその大臣に「何のために勉強するんですか?」
と質問していた。


大臣は「う~ん、難しい質問だなぁ。おじさんにも分からないよ」
と答えた。  確かに唐突にそう問われても、短い言葉で小学生
に分かりやすく説明するのは容易ではないだろう。  


ある日、藤田さんは小学2年生の娘さんの宿題に付き合う
ことになった。子どもが道徳の教科書を声を上げて読む。
それを横で聞いてあげるのだ。  


娘さんが読み始めたのは、詩人まど・みちおさんの
『朝がくると』という詩だった。



朝がくると とび起きて ぼくが作ったものでもない
水道で 顔をあらうと
ぼくが作ったものでもない 洋服を きて
ぼくが作ったものでもない ごはんを むしゃむしゃたべる


それから ぼくが作ったものでもない 本やノートを
ぼくが作ったものでもない ランドセルに つめて
せなかに しょって


さて ぼくが作ったものでもない 靴を はくと
たったか たったか でかけていく
ぼくが作ったものでもない 道路を


ぼくが作ったものでもない 学校へと
ああ なんのために


いまに おとなになったら ぼくだって ぼくたって
なにかを 作ることが できるように なるために
・・・・


藤田さんは言う。
「これを聞いたとき、目からウロコが落ちる音が聞こえた」


何のために勉強するのかを考えたとき、この詩は大きな
光を与えてくれるだろう。  


では、なぜ学校に行かねばならないのか。勉強なら自分
のやりたいことを好きなところでやればいいではないか。  


佐久間勝彦著『学びつづける教師に』の中に、ノーベル
賞作家・大江健三郎さんの話が載っていた。  


大江さんの長男・光(ひかり)さんには知的な障害があった。
光さんは音に非常に敏感な少年だった。
7歳になって小学校の特殊学級に入学した。  


ある日、大江さんは息子の教室を覗いた。
光さんは両手で耳をふさいで、体を固くして過ごしていた。


大江さんは思った。「光はなぜ学校に行かねばならないのか。
障害は一生治らないのだ。


野鳥の声を聞き分け、鳥の名前を親に教えるのが好きなの
だから、自然の中で親子3人、暮らせばいいではないか」   


しばらくして光さんは、自分と同じように騒がしい音を嫌う
生徒を教室の中に見つけた。光さんはその子に寄り添う
ようになった。


休み時間には一緒に耳をふさいだ。運動能力が自分より
低いその子のためにトイレに付き添ってあげるようになった。  


「自分が友達のために役立っている。それまで母に頼って
過ごしてきた彼にとって『新鮮な喜び』として感じられたの
だろう」と佐久間さんは綴っている。  


その後、光さんは音楽と出会い、13歳のときから作曲を
はじめ、作曲家になっていくのだが、その音楽のことを
大江さんは《言葉》と表現している。  


「光にとって音楽は…自分が社会につながっていくための、
一番役に立つ言葉です。


国語も理科も算数も体育も、自分をしっかり理解し、
他の人たちとつながってゆくための言葉です。


そのことを習うために、いつの世の中でも子供は学校へ
行くのだ、と私は思います」と。  


勉強するのは当たり前、学校に行くのも当たり前、
多くの人はそう思っているが、その当たり前のことを
ちょっと疑ってみると、実に奥深い言葉に出合える。











小学校教員夫婦の妻。ただでさえ忙しい小学校の教員だが、
それに拍車をかけているのは夫の部活。


「学校の働き方改革」が進められる中で、土日も休めず“
100日連勤”したという時代に逆行する教員の実情とは。


帰宅は22~23時、朝は5時半起床


教員同士の結婚は多い。忙しいのはもとより、異業種と
交流する機会が少なく出会いの場が限られるということも
あるだろうが、


価値観が合いやすく、仕事の何が大変でどこに苦労している
のかが互いに理解しやすいのも大きい
といわれる。


同じ小学校の教員として夫と出会い、結婚した東村由香里
さんもそう考えていた。


仕事には全力で打ち込み、週末の休日はゆっくり休む。
その傍らに、気持ちをわかってくれるパートナーがいてほしい、
人としてごく当たり前の心情だろう。


「交際中は、そういう週末を過ごすことができていました。
2人ともお酒が好きで、飲みながらスマホでイントロゲームを
するのが金曜の夜の定番だったんです。


『寝落ち』するまでそうやって笑い合って、土曜の朝は
10時ぐらいまでのんびりと寝るのが楽しみでした」 しかし、
こんなささやかな楽しみも味わえなくなってしまった。


理由は、夫が運動部の顧問になったからだ。


小学校で部活動を実施しているところは少なくない。
スポーツ庁の「令和元年度全国体力・運動能力調査」によれば、
小学5年生の男子のうち運動部に所属しているのは29.6%、
女子は19.8%。ある程度の小学校で部活動が行われている
と思われる。


もちろん、部活動そのものに問題はない。体力向上のほか、
異年齢との交流の中で人間関係を構築する経験は有効であり、
自己肯定感や連帯感を高めることにもつながる。


しかし、社会が急速に変化する中で、学校教育に求められる
役割は拡大する一方だ。教員の負担も増える中、これまでと
同じ運営体制で部活動を維持することが難しくなっている。


文部科学省もそのことは把握しており、2017年の中央教育
審議会「学校における働き方改革推進本部」で「部活動は
必ずしも教師が担う必要のない業務」と報告書に明記。


20年9月の会合では、23年度以降の休日の部活動を段階的
に地域へ移行する方針を打ち出している。主に中学校、
高校の部活動に言及したものだが、同様の課題から小学校
の部活動を廃止、民間に委託した自治体もある。


実際、東村さんの夫の部活動による負担は大きなものだった。
「朝は5時半に起床し、6時半には家を出て7時過ぎには働き
はじめています。


部活動は週3回あって、帰宅するのは22時から23時くらい。
週末もほとんど部活があります。ひどいときは3カ月以上、
100日連続出勤ということもありました」


雨が降れば土日の試合は中止になるため、毎週降雨を
祈り続けていると東村さんは自嘲気味に笑う。


夫が望んで顧問を務めているならまだしも、学生時代は
文化部一辺倒で、顧問になってからそのスポーツを学んだ
という。


「子どもたちのために」公認の審判資格まで取得したにも
かかわらず、エキサイトした保護者から「審判どこ見てんだ、
素人か!」となじられたり、


保護者同士のいさかいに巻き込まれていわれのない非難を
受けたりしているのがかわいそうだと話す。


部活動のない日も、決して暇というわけではない。東村さん
自身の出勤時間も夫とほぼ同じ朝7時だが、学校を退勤する
のは19時くらいと多忙だ。


残業時間が1カ月100時間を超えることもあり、平日は本当に
時間がないという。「ただでさえ忙しい」とは教員を表現する
ときの定番の枕詞だが、大げさな話ではないのだ。


ちなみに、厚生労働省が定めた残業時間の過労死ラインは、
1カ月当たり80時間である。


顧問を断ると“爪弾き”になる現実


厳密に言えば、部活動の顧問はボランティアではない。
文部科学省は、2時間以上4時間未満の場合1800円、
土日4時間以上で3600円としている。


この金額をどう捉えるかは人によって違うだろうが、
東村さんは「そんなお金はいらないからすぐにでも辞めて
ほしい」と訴える。


「結婚してから、夫はほとんど家におらず、いるときは疲れて
ぐったりしているだけ。お酒が好きなのに、最近は飲むと
してもビール1杯のみです。


翌日が休み、ということがないからです。
新婚のときも、結婚式を挙げてからその年の年末まで9カ月
間、一切デートをしませんでした。


年末にレストランで食事して『あれ、こんなちゃんと外食した
のはいつだったかな』と振り返ったら結婚式以来だったんです。
無理すればデートの時間ぐらいは確保できますけど、夫は
十分に睡眠も取れない日が続いているわけですから、
ゆっくりさせてあげたいですよね」


そんな心身ともに疲弊してまで、望まない部活の顧問をなぜ
引き受けるのか。そう問うと、東村さんはこう打ち明けた。


「私自身は、顧問を打診されても全て断ってきました。


でも、それが可能なのは女性教員だからです。男性教員の
場合、顧問の打診を断るのは相当の勇気と、居場所を失う
覚悟が必要です。


以前、同僚の男性教員が断ったのですが、そのことが
“ニュース”となってすぐさま内外まで知れ渡りました。
隣の学校の先生から『あの人、断ったらしいね』と連絡が
来ましたし、


異動すれば『顧問を断ったのが来るぞ』という話が起こります」
「つまらない風習」と東村さんは一刀両断するが、一方で、
教員の狭い世界で生きていくには、「受け入れざるを得ない
現実」だとも話す。


「男性教員は、部活の顧問をしていないと、管理職からの
信頼を得られないのが現実です。


夫の学校の校長は運動部の顧問を持っていましたし、夫も
将来は校長になりたいと思っています。ですから、当時まだ
交際中だった夫から『打診を受けた』と相談されたとき、
断ってくれとはいえませんでした」


東村さんは心情的には夫に理解を示しながらも、現実の
理不尽さには納得できないという。


切実だと打ち明けるのが妊活の問題。それはそうだろう、
このままでは妊娠から出産、育児まで“ワンオペ”になる
ことは確定的だ。


「子どものため」のやりがい搾取が横行


夫を苦しめる部活、妊活にも自由に取り組めない現状。
理不尽なことばかりで、「学校には歪んだ常識がある」とまで
言い放つ東村さんだが、教員の仕事にはやりがいを感じて
いるとも語る。


どうやら、そこに問題の本質はあるようだ。
「子どもと一緒に勉強するのは本当に楽しいです。できなかった
問題ができるようになったり、意地悪ばかりしていた子が優しい
言葉をかけられるようになったりと、成長が目に見えるのが
教員の醍醐味ですし、何物にも代えがたいと思っています。


子どもたちのことを考えると『こうしてあげたい、ああして
あげたい』といろいろなアイデアが浮かんできます。でも、
それをすべて実行できるかどうかは、別の話です。


年配の先生に多いんですが、『子どものため』を免罪符に
仕事をどんどん増やしてしまうんです。この言葉を盾に
仕事が増える風潮はもう終わりにすべきですし、結局
部活もそういう考え方の延長にあると思っています」


部活で「100日連勤」はどう見ても異常であり、前出のように
文部科学省も部活から教員を切り離そうとしている。
それでもその動きは遅々として進まない。


「私は、そんなに大それたことを求めているつもりはなくて、
プライベートを少し充実させたいだけです。私はもう半分
諦めましたけど、このままでは教員のなり手がいなくなって
しまうのではないかという危機感があります」


プライベートに不安を抱え、連日の激務に疲れ果てた教員が、
子どもたちの健やかな成長を支えるという構造には
無理がある。


「部活の顧問」という存在は過剰なサービスで成り立ち、
そのことで先生の心身がむしばまれている


そんな状態は、子どもたち自身も決して望んでいないの
ではないか。 ・・・・






小学校4年生の春、複雑骨折をして、手術をするために
入院をした。


私は病院のご飯が嫌いだった。
大好きなデザートもおいしく感じなかった。


退院して学校に行くと、一人の友達が「入院、どうだった?」
と聞いてきたので「ご飯がおいしく感じなかった。」と答えた。


冬になって、足首に入れたボルトを取るためにもう
一度入院した。やっぱりご飯はおいしくなかった。


数日後、友達が学校のプリントを持ってきてくれた。
その中に小さなメモが入っていた。



お昼のチャイムが学校の給食の時間のあいずだよ。」
はっとした。ご飯がおいしくないのは一人で食べて
いたからだと。


次の日、チャイムが鳴ったので手を合わせて
「おいしい給食をいただきます。」とつぶやいて食べた。


これは、いつも学校の給食の日に言う言葉だ。
おいしかった。 一人だけどみんなが隣にいる気がした。


あんなに嫌いだったご飯の時間を好きになれた。
退院して学校に行って、その友達に会った時まず
こう言った。 「おいしかったよ。」 ・・・・






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