妄想劇場・流れ雲のブログ

趣味の、自己満ブログです。人生は、振り返ることは出来ても、後戻りは出来ない…掲載内容に問題がある場合は、お手数ですが ご連絡下さい。 迅速に対応させていただきます。

妄想劇場・歴史への訪問












むかしむかし、仁和寺(にんなじ)の東にある高陽川
(こうようがわ)のほとりに、夕暮れ時になると可愛い少女に
化けたキツネが現われて、馬で京に向かう人に声をかける
という噂がたちました。


「どうぞ、私をお連れ下さいませ」  
そう言って馬に乗せてもらうのですが、
すぐに姿を消して乗せてもらった人をびっくりさせる
と言うのです。  


ある日、一人の若者が馬でその場所を通りかかりました。  
そこへいつもの様に少女ギツネが現われて、若者に
声をかけました。


「そこのお馬の人。私をあなたさまの後ろへ、
乗せてはいただけませんでしょうか?」


「ああっ、いいですよ」  若者はこころよく引き受けると、
その少女を自分の馬に乗せてあげました。  


そして何と、すでに用意していたひもを取り出すと、
その少女を馬の鞍(くら)にしばりつけてしまったのです。


「これで逃げられまい」  実はこの若者、その少女が
キツネだという事を仲間から聞いて知っていたのです。  
そしてそのいたずらギツネを捕まえようと、ここに
やって来たのでした。  


少女ギツネを捕まえた若者は、仲間の待つ土御門
(つちみかどもん)へと急ぎました。  


若者の仲間は、たき火を囲んで待っていました。
「おお、約束通りキツネを捕まえてきたぞ。逃げられ
ないように、みんなで取り囲んでくれ」  


仲間たちが周りを取り囲んだのを見ると、若者は
少女ギツネをしばっているひもを解いて放してやりました。  


しかしそのとたん、キツネも仲間のみんなも、
すーっと消えてしまったのです。


「なに! ・・・しまった! あの仲間は本物ではなく、
キツネが化けた物だったのか!」  


若者はじだんだをふんでくやしがりましたが、でも数日後、
再び少女ギツネを捕まえたのです。  


若者は、キツネに化かされないためのおまじないに
まゆ毛につばをつけると、注意しながら本当の仲間の
所へ行きました。  


そして仲間と一緒に、さんざん少女ギツネをこらしめて
から放してやりました。  


それからしばらくたって、若者はその少女ギツネの事が
妙に気にかかり、高陽川(こうようがわ)のほとりまで
様子を見に行きました。  


するとやはり、あの少女ギツネが現われました。  
でも着物は薄汚れていて、顔色もよくありません。  


若者は、少女ギツネにやさしく声をかけました。
「この前は、少しやりすぎたようだ。


今日は何もしないから、京まで乗せていってやろう」  


すると少女ギツネは、悲しそうな目で若者を見ると、
「どんなに乗せてもらいたくても、またこの前の様に、
こらしめられるのは怖いから、いやや」


と、言って姿を消して、二度と現われる事はなかったそうです。


・・・おしまい



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、そばで 地蔵が食べたがる












故人が残したブログやSNSページ。生前に残された最後
の投稿に遺族や知人、ファンが“墓参り”して何年も
追悼する。ただ、残された側からすると、故人のサイトは
戸惑いの対象になることもある。


糖尿病による体の異変を緻密に描写


蒸し暑い1日が終わり、帰宅してすぐに入浴し、食事を
取りました。テレビではナイター中継をやっていました。
(中略)
3缶目から4缶目に移ったときです。プルトップを開けて
テレビに目をもどしたら、「なにかおかしい。」


「そうだ。ボールが見難い。」
変だぞと思って室内を見回しても、いつもと変わりない
オレの部屋。でも、なにかかおかしい。物が見難い。。


ふと蛍光灯を見上げると、なんとなく赤っぽい。
訳がわからず、とりあえず手のひらで片目づつ
おおってみると、あらら、左目は正常なのに右目だけ
にするとまっかに染まった室内。


2~3回確認してからドクターの言葉を思い出したのです。
「そうか・・・。これが眼底出血かぁ・・・。」


我ながらおちついたもんです。
「前々から聞いててたけど、こんなんなるんかぁ。」
感心してる場合じゃないだろ。


「もう9時過ぎか。医者はやってないだろうなあ。
別に命にかかわることはないし、なっちゃったものは
しかたがない。」


その間、痛みは全くありません。前から注意されていた事が
現実になっただけですから、 けっこう他人事みたいに思えた
のでしょう。


「命にかかわる事じゃないから、救急車を呼ぶ必要はない
だろう。早めに寝よう。」 そして、ふたを開けたばかりのビール
を 「もったいない。たぶんこれが最後の1杯だ。


あとは一生酒は飲めないな。」 と言う理由で一気に飲み干し、
眠ったのです。全くすくいようのない人ですね。(^_^;)
(中略)
後日談・・・ 翌朝、目がさめてから最初にやった事は、右目の
確認です。 右目だけで見ると、前夜はまっかだった室内が、
こんどはどす黒くなっています。


いや、正確にはあずき色かな?たぶん網膜の前に出た鮮血
が赤く見え、 固まり始めた血液がかさぶたの色になって
いるのでしょう。 (ドクターに確認してはいません)


朝食を取り、タクシーで病院へ。普通の外来として眼科を受診。
「先生、やっちゃいました。」 いろいろと検査などがあって、


一生わすれられないドクターの一言


『だめじゃないの。こういうときには救急車でもなんでも
あるでしょう。 出血してすぐなら薬でなおせることもあるのよ。
いつも言ってるでしょう。』


がぁ~ん。そんなこと聞いてないぞ。
とりあえず、会社に電話して、1週間くらい休みをもらい、
ドクターからひょっとすると薬が間に合うかも知れないと
わたされた薬を持って帰宅。  


視力回復せず・・・ 結局1年たっても2年たっても右目は
そのままになりました。


・・・ (落下星の部屋 「片目失明」よりより)


「落下星の部屋」というサイトがある。
糖尿病により右目を失明し、両足を切断、腎不全となった、
落下星(らっかせい)さんのホームページだ。


1999年12月にスタートして以来、ドメインを変えながら
現在まで公開されている。


緻密な描写がなされた回想文は読む者を強い力で引き
寄せて追体験させる。


落下星さんはサイト開設の3年後に亡くなったが、残された
テキストの引力は衰えず、糖尿病の恐ろしさを伝える
コンテンツとして今日にいたるまで知る人ぞ知る存在
となっている。


「落下星」はパソコン通信時代から愛用しているハンドル
ネームだ。地元の名産品である落花生と、若い頃から
親しんできた天体観測で見かける流れ星(落下してくる星)
をかけてつけた。


1950年に生まれてからずっと千葉県を拠点に暮らし、
健康だった頃はプラネタリウムで働き、解説員として
天体の魅力を市民に伝えていた時期もある。
いわば人生そのものを表した名前だ。


30歳前後で離婚して以来、ずっと独身を貫いている。
テニスやスキー、スキューバダイビングが好きで、
自宅マンションには天体観測用の望遠鏡やパソコン、
カメラなどの品々が並ぶ。


仕事に趣味にと精力的に過ごす一方で、無類の酒好きを
止める相手はいない。


いつしか医師から糖尿病(2型)だと告げられた。


不整脈の症状もあり、毎日薬を服用して定期的に医師の
診察を受けるようになったが、自覚症状は薄く、不健康な
生活が改まる気配はなかった。


冒頭の引用はその果てに起きた“入り口”の出来事といえる。
右目失明。運転免許を返納し、視力回復に望みをつないで
2年ほど通院して検査したがよい兆候は現れなかった。


それどころか、数年と経たないうちに神経障害や腎臓障害
など、糖尿病でよく起きる複数の合併症が頭をもたげるように
なってきた。理由は本人もよくわかっている。



右目の視力を失ってから、「つぎは足にくるな」と思って
いたのですが、 私は足が壊疽(「えそ」と読みます。
腐ってくる事。)を起こす恐怖よりも アルコールの魅力の
方が強かったので、食事は注意していたのですが、
飲酒は やめられませんでした。(^_^;)


事の始まり


ある日、右足の親指の付け根附近が痛み出しました。
体重をかけたり、飛び跳ね たりすると、ちょうど打ち身や
ねん挫のような痛みがあります。


「まさか壊疽・・・」 と、恐る恐る右足を見たのですが、
外見上はなんの異常もありません。 マッサージをしてみても、
強く揉まない限りさほど痛くはありませんでした。


「しらない間にどこかにぶつけたのかな?」 と、ひとまず
安心してしまいました。 もしもこの時点で医者に行き、
詳しく検査してもらえば、右足の切断には ならなくて
済んだ可能性が強いのです。 しかし、私はそのまま
忘れてしまったのです。(^_^;)


親指が真っ黒


それから4~5日もたった頃でしょうか。だんだん痛みが
ひどくなりました。 入浴したついでに、親指を見ると、つめの
下の部分が真っ黒に変色しています。


「うわあぁぁ~~~っ、やったなっ」 それまでも毎日入浴は
していたのですが、目が悪いせいか、気が付かなかった
のです。それでも、歩かないと痛みはありません。


糖尿病から来る神経障害の せいです。本当に手後れに
なるまで痛みを感じないので困ったものです。


やっと覚悟を決め、翌朝、足をひきずりながらタクシーに
乗って病院へ。  


そく「入院」まずは薬で・・・


ドクターは一目見ただけで「すげーなぁーっ、歩けないだろ」
で入院し検査・・・・  「だめだと思うけど、薬でつまった血管
を洗い流してみる。」 とのこと。


ささやかな期待をもって病院での生活が始まりました。
しかし、いつもの(?)入院と比べて、自由に歩けないのには
困りはてました。


検査でもトイレでも、看護婦さんを呼んで車椅子で運んで
もらいます。 検査や生理現象の時には私も気が楽なのですが、
たばこが吸いたいときは・・・


あれだけやめるように言われていたのに1日6箱も吸って
いたヘビースモーカーにとっては地獄です。 それでも1日
2箱のペースで吸い続けていました。(^_^;)


いよいよ切断


入院して2週間。容体は改善するどころか、毛布をかけた
だけでも激痛が走るように なってしまいました。(^_^;)
もう限界です。


切断のための準備が始まりました。
医師「さて、どこから切ろうか」
私「おまかせします」


医師「足首から切ってもいいんだが、再発しやすいから
安全策を取るなら 膝下からだな」


私「切るのは痛いんでしょう?」
医師「まあ・・・。痲酔はかけるし、飲み薬もだしてあげるよ」


私「2度も痛い思いをするのはごめんですから膝でお願いします」


医師「でも、かかとで切れば後が楽だけど膝下で切ると
義足が大変だよ」
私「とにかく痛いのはイヤなんです。バッサリやってください。」


手術中


手術は半身痲酔で行いましたが、半身痲酔とは言っても、
意識は混沌として ほとんど何も覚えていません。
なにやら、「もう少し上から・・・」とか、
「ここをもう少し削って」とか・・・・聞こえたような気が・・・・・・


(落下星の部屋 「右足切断」より)


2週間の入院で血行の回復を模索したが断念。ひざ下から
の切断手術を受け、 そのまま義足作りとリハビリのプロセス
に移った。


翌月には身体障害者手帳の交付を受ける。
1995年。40代半ばの出来事だった。 ・・・


author:「落下星」は小山芳久のペン・ネームです。






春日井市の小椋麻咲子さん仮名、(35)は、いつも買い物に
出掛けるたびに苦労する。


生後7か月の息子さんを抱いていると、大きな荷物を持ち
運びできない。特売品があっても最低限の物だけ買って
帰ってくる。


その日もスーパーマーケットで、眠ってしまった息子さんを
抱えてレジに並んでいた。


順番が来ると、60歳くらいのレジ係の女性が、何も言わず
にエコバッグに商品を詰め込んでくれた。
もちろんセルフサービスなのに…。


お礼を言うと、その女性は笑顔で答えたという。
「赤ちゃんがあまり気持ちよさそうに眠っているから。


私のところにも来年、孫が生まれるんですよ。でも、
息子のお嫁さんにおせっかいだと思われるといけないから、
あまりお手伝いができないかもしれないの。


お嫁さんがどこかで親切にしていただけるようにと思って、
自分にできることをしているだけです」


小椋さんは自分の後ろに並んでいた買い物客にもお礼を言うと
「いいよ、いいよ」と言ってくれた。


帰宅してすぐにご主人に報告。
すると「ありがたいね」と涙ぐんだという。


実は、そのスーパーはおなかが大きかった頃から何人もの
レジ係の人に親切にしてもらっていた。


後ろに並んでいるお客さんをあまり待たせないように
気遣いつつ、重いかごを袋詰めの台まで運んでくれるなどして。


小椋さんから春日井市朝宮町にあるスーパーAのスタッフの
皆さんへ。 「ありがとうございます。自分がいただいた親切は
どこかでお返ししたいと思います。


どうか温かい親切の輪が大きく広がりますように」


author:中日新聞掲載 ・・・・






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