妄想劇場・流れ雲のブログ

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妄想劇場・一考編














プリン騒動


ある晩のことだった。三人で、夕食のしたくをしていた。


この三人と言うのは、舅(しゅうと)・姑(しゅうとめ)
・嫁すなわち、私の事である。


台所は女の神聖な場所と考えられているのではないか。
しかし、この家では、舅が当たり前のように立つことが多い。


自分が調理したものは自慢をするが、人の作った料理は
決して、美味しいとは言わない。逆に貶す事に喜びを
感じるタイプである。


野菜の切り方から、味つけまでを一つ一つ指摘する。言う方
は何ともないのだろうが、毎日言われる方にとっては苦痛で
しかなかった。


今年から、三歳三年保育で入園した子供たちが二人揃って
台所に入ってきた。


「ママ、プリン作って」 「はい。今作るから待っててね」
私は、冷蔵庫を開けてプリンがあるか確かめた。


期待通りにはいかず、ちょうどきらしていた事を少しだけ
残念に思ったがすぐに、プリンの箱を、棚から取り出した。


鍋に牛乳とプリンの素を混ぜ合わせながら、火にかけた。
溶けて沸騰したらさらに弱火で一分たってから火を止め、
型に流し込んだ。カラメルソースを作って、冷蔵庫で冷やして
待つだけだった。


甘い匂いが、台所の空気全部を包み込んだ。子供に限らず、
大人までも魅了するスイーツ。


しかし、 「何やってんだ。晩御飯時に!」 いきなり、舅が
怒鳴った。


「子供たちが、プリン食べたいって言うから、作っているんです」
すぐに私も言い返した。 子供を優先に考えるのは親として
当然のこと。何も言われる筋合いではない。夕食のしたくも
同時進行している。


舅は、さらに怒った口調と顔面で言ってきた。 「そんなプリン
なんか作ってないで、早くメシのしたくしろ!」


「作っています」
「いちいち口答えするな! はいと言えばいいんだ!」
舅の大音量の怒鳴り声は、耳の中を突き抜けていき、
何も留まらなかった。


さらに、姑が大きな目と口を開いてこちらに向かって怒鳴った。
「じぃちゃんに向かって何言ってんだい!」


人間とは、理性を剥がすと獣になるのだと感じた。まさしく
私の至近距離にいるのは二人と呼べる物体ではなかった。


一方では冷静に客観視しながら、もう一方では体内の血が
逆流するごとく、怒りで煮え滾っている。


これほどまで怒りを感じたのは、記憶になかった。
言葉の暴力が鉛となって心臓を突き抜けた。


恐れる物などなにもなかった。攻撃を受けたなら、当然
反撃する。言い換えると正当防衛である。


「子供たちが、プリンを食べたいと言うので、作って冷やさ
ないと美味しくないので。作らせて頂きます」


「何ぃ‼ そんなもん、メシが先だ!」
「俺に歯向かう奴は、今すぐこの家から出て行けぇ!」
目の前にいる物体は、明らかに敵であった。


全身で拒絶を感じた。もう、後には引けないと覚悟を決めた。
「分かりました。出て行きます‼」 と、エプロンを急いで外し
その場を出た。


部屋に戻りすぐに荷造りをはじめた。するとそこへ、
子供たちがそれぞれのリュックを背負って入って来た。


息子三歳、緑色のカエルのリュックに自分のおもちゃを入る
だけ入れて蓋をきちんと閉めて私の隣に寄り添った。


娘三歳、赤色のネコのリュックに自分のおもちゃを入るだけ
入れて、私の隣に寄り添った。


子供たちの澄んだ瞳は、真っ直ぐ母を見ていた。


子供たちは、そばにいて一部始終を見ていたわけではない。
怒鳴り合いの喧嘩をしているのを居間で聞いていて、二人で
行動に移したのだ。


この子たちは私のかけがえのない命だと身に染みた。
些細な事が原因で、幼い子供たちに心配をかけて申し訳
ないと思った。


しかし、後には引けない。キュッと気持ちを引きしめた。
「家を出るよ」 と、子供たちに向かって、強く厳しい
口調で言った。


間髪をいれずに、二人同時に大きく頷いた。ボストンバッグ
一個に、通帳と印鑑と着替えと現金、母子手帳を入れた。


行くあては、なかったが何とかするしかないと気丈な自分
自身がいた。


さて、準備万端。殆どの荷物を置いていかねばならないが、
後日取りにくればいいと思いながら車のキーを右手に
握り締めた。その手にギュッと力が入る。


新たな人生が、これからはじまるのだ。


その時、トントン、部屋のドアをノックする音がした。すぐに
姑が中に入って来た。


そして言った。 「行かないで欲しい」 あまりにも意外な言葉
だったので躊躇した。


言っている意味がすぐには理解できなかった。
「出て行け=行かないで」では、数式が成立しない。


出題が難しいのか、解答する側に能力がないのか。
私は強気だった。 「出て行けと言われたら、いつだって
出て行きますよ! さっき、そう言いましたよね」


いつから意地悪い性格になったのかは、予測がついた。
売られた喧嘩は買うという考え方は、嫁いでから心の底に
いつもある、私流の考え方。


そしてたとえどんな相手でも怯まないと言うのも、いつも
思っていることである。


姑は、さらに頭を下げた。その姿は、決して演技ではなかった。
そこまでするならば仕方ないと思った。


「分かりました。今回は許します」 と言って、思い留まった。
気分はスッキリ晴れることはなく、その後の時間は惰性で
過ごした。


子供たちは、私が何も言わなくても状況を察してか、安堵の
顔で二人仲良く居間にリュックを置いてから、テレビを
見はじめた。


心配をかけてごめんねと、声に出せずに沈黙の空間で詫びた。


それから、舅は私と喧嘩をしても決して「出ていけ」とは
言わなくなった。 子供たちも、決して「ママ、プリン作って」
とは言わなかった。


プリン騒動は、一件落着に終わった。
私の戦いは、終わらない。


・・・











「 霊柩車」


二年ほど住んだ熊本の老人ホームから母を私の住む
街へ連れて来ることにした。


ストレッチャーに寝かせたまま車に乗せた。
母は大声をあげて行きたがらない。
その車は父を火葬場に運んだ細長い霊柩車と
全く同じ型の車だった。


大勢の人が涙を流し母との別れを惜しんでいる。
これも父の葬儀の時と同じだ。


ただ父は棺桶の中で黙って寝ていたが母は
ストレッチャーの上でわめいている。
そして横に座っている私がだいているのは
父の遺影ではなく母への花束。


運転手がクラクションを鳴らした。父を火葬場へ送った時
この世から父を断ち切るため鳴らした音と全く同じ響きの。


母が嫁ぎ 母が私を生み 母が笑い 母が涙をながし
母が入れ墨のように自分を刻みこみ最後にはその名さえ
すっかり忘れ去ってしまった場所。


そこから母を断ち切って息子の私の住む場所へ
母を連れてきた。別世界へ行く練習でもするかのように
霊柩車に似た車で。・・・・


この世に生まれた瞬間から、老・病・死が始まっている


北海道の旭川のグループホームの施設長Oさんにこんな
話を聞いた。


「写真をあまり撮ったことなくても、いい介護士は入居されて
いる方の表情豊かないい写真を撮るんですよ」と。


自らも一眼レフのカメラをもって写真を撮るOさんに、北海道
で私も何枚も写真を撮ってももらい、写真をいただいた。


その写真を見ると、北海道の大地を踏みしめて私も今まで
見たこともないような良い表情をして立っているではないか。


「いいね。いいね。」と、Oさんはプロカメラマンさながら
私を喜ばせながら私の写真を撮っていたが、その技術では
ないのだ。私の良い表情の写真が撮れたのはOさんへの
私の心理的距離感の近さだったと思う。  


Oさんとお会いするのは2度目だったが、最初にお会いした
ときから、その話しぶりといいその視線といい、私はOさん
から受け入れられて認められていると感じていた。


私のOさんへの心理的近さが、Oさんからいただいた北海道
の写真を見ながら思った。


Oさんの言った「いい介護士」も入居者や高齢者の方との
距離の取り方がうまいのだろうと思う。


その「いい介護士」と入居者の方との心理的結びつきが
深いからこそ、いい写真が撮れることがあるのだろうと。


入居者の方や高齢者の方は、この「いい介護士」に
「受け入れられ、自分は認められているんだ」と、心理的
近さを感じているに違いない。  


「パーソナルスペース」という社会心理学に出てくる言葉
がある。人が他人との間に保とうとする空間のこと。


電車で一つおきに座ったりするのも自分の居心地の良い
パーソナルスペースを確保している例だ。


その人の見えない空間に、他の人が入り込もうとすると、
その人は警戒し反応する。パーソナルスペースの広さには
個人差もあり、相手との関係や状況にもよる。


Hallは、パーソナルスペースにおける対人距離を、
密接距離(45cm以下で、恋人同士や親子間などの身体
接触が可能な距離)、


個体距離(45~120cmで、親しい友人同士や知人などの
相手の表情を細かく見分けることができる距離)、


社会距離(120~360cmで、仕事上の付き合い等で用い
られる距離)、


公衆距離(360cm以上で、講演会における講演者と聴衆との
距離など)の4つに分類した。  


介護する側とされる側の対人距離は、上記の密接距離
(45cm以下)にあたる。親子や夫婦間での距離だ。


介護士として体位を変えたり、下の世話をしたり、お風呂
に入れたりすることは、当たり前だが密接距離でないと
できない仕事である。


私が母の介護をする際は、親子であるので全く気にならない
距離であるが、仕事として介護をするとなれば私にはでき
ないかもしれないと思う。


仕事自体はやっていれば慣れてくるのであろうが、そんな
密接した距離においては自分のその人に対する心が見透か
されているような気になって、仕事としての介護は私には
続きそうもない。


密接距離は、つまり身体接触が可能な距離であり、
非言語的コミュニケーションが重要となる距離だからだ。  


ある介護士の方が、母の介護に関してこう言っていた。
「自分の親なら藤川さんのようにできないと思う。
仕事だからできているんです」と。


そう言いながらも、その介護士の方がお年寄りと一緒に
お風呂に入っている写真を見たことがあった。


親子間などの身体接触が可能な距離である密接距離を
繰り返し体験することで、親子間に近い感情がわいてくる
のかもしれない。


「自分の親が小さい頃から嫌いで、自分の親だから介護
したくないんです」と悩みを打ち明けてこられた家庭
介護者の方もいた。


お年寄りと一緒にお風呂に入っていた介護士の方は、
そのお年寄りの方とは仕事として出会っているので親子
のように過去の軋轢はないに違いない。


親の介護しかしたことのない私には、想像もつかない
深い世界だ。


いい写真を撮れる「いい介護士」と、簡単に「いい」と
書いたが、その「いい」の中には相手との関係を培い、
大切に育んできた大切な一日一日があり、深い人間関係
があるのだと思う。


今日の詩は、母を熊本の施設から出し長崎に連れてくる
ときのことを書いたものだ。


母と施設の方一人一人とが別れるときに手をつなぎながら
流す涙を見て、その心の通った、言葉を超えた深い関係
を私はうらやましく思ったのを憶えている。 ・・・・


・・・





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