妄想劇場・流れ雲のブログ

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妄想劇場・妄想物語











※注意
掲載されている情報には危険なものも含まれています。
閲覧したり実践したりすることで発生する一切のことがらに
責任を負いかねます。必ず、自己責任でお願いします。
不快感がある方は、読むのを中断してください。・・・



私が小学生の時の話です。


当時、私は霊感が強くて霊的な現象を多く体験していました。
霊が見えるのはもちろんですが、霊の声を聞いた
こともあります。しかしそんなことを言っても誰も信じて
くれないのはわかっていたので、あえて誰にも相談
しませんでした。


そんなある夜のことです。
布団の中で寝ていると背中に痛さを感じて目が覚めました。
例えるなら、何本もの杭の上で寝ているような感じです。


一体何だろうと思い確かめようとしますが、体がぴくりとも
動かせません。金縛りにあっていました。


金縛りはよくあることなので気にせず寝てしまうのですが、
その夜はいつもと違っていました。


額から汗が浮き出る程の恐怖を感じ、マズい何とか
しなければ…という気持ちに駆り立てられました。
ですが必死で手を動かそうとするも、動きません。


隣の部屋ではまだ祖母が起きているようで、明かりが
漏れていましたが、声を出すこともできません。


(助けて、おばあちゃん!)


とにかく心の中で叫び、手を動かそうともがいていると
なんとか指先が動きました。その指を使ってなんとか
起き上がれないかと思いましたが、それは不可能だと
すぐに悟りました。


なぜなら私の指の先に布団ありません。
信じられないことに、私の体は宙に浮いていました。
いつの間にかすぐ目の前に天井があります。


体が芯から冷えるのを感じました。恐怖心はピークに
達していて、子供心に死を意識しました。


私の周りからはざわざわと声が聞こえていました。
何を言っているのかはわかりませんでしたが、とても
暗い嫌な声だということはわかりました。


その間も私の背中にある杭のようなものは増えていき、
何かが私の顔に触れ、髪に触れ、やがて首を掴んで
締めあげました。


(苦しい、死んじゃう)


でも、隣の部屋の祖母は気づいてくれません。
そのうちに背中の下の杭のようなものが動き、
私の体の方向を少しづつ変えていきました。


夢であってほしいと願いましたが、視点が変わるにつれて
今起こっているのは現実だと思い知らされました。
ゆっくりと体の向きが変わり、ようやく体の動きが止まります。


周りの部屋の様子から、最初の位置から正反対に
向けられたことがわかりました。


私の部屋にはピアノやタンスが置かれていましたが、
ひとつだけ何も障害物のない壁があります。
その壁に、足を向ける形になりました。


そして私の体は壁の方へ向かって、ゆっくり、ゆっくり
と動き出しました。


より一層、耳元の声がざわつきます。不気味な笑い声も
聞こえました。


(私を壁の中に引きずり込むつもりなんだ)


私は必死で体を動かして逃げようとするも、やはり指以外
は動きません。


(おばあちゃん、おばあちゃん、助けて)
声は出ることなく、とうとう足の先が壁に当たってしまいました。
もう駄目だ、そう思った時でした。


「ウゥ~、ワンッ!」


突然、犬の鳴き声がすごく大きな音で聞こえました。
敵を威嚇する時の鋭い鳴き声です。


声が聞こえた瞬間に私の体は布団へ叩きつけられました。
さっきまでまったく動かなかった体が動かせるようになり、
咄嗟に壁の方を見ると何本もの手がいっせいに壁の中へ
消えていきました。


背中に感じていた杭のようなものは、霊の手だったのです。
私が落ちた時の音で祖母が気づき、ようやく部屋に
来てくれました。


「何やってたの、夜中に大きな音立てて。」祖母は呆れた
ように言いましたが、私は呆然として声も出ませんでした。


あの犬の鳴き声は記憶にありました。それは私がまだ
幼ない頃に亡くなった、飼い犬の鳴き声に似ていました。


私の霊感は次第に薄れ、今ではありません。
あの時、私を守ってくれた飼い犬の鳴き声には
今も感謝しています。・・・









胎児の命を巡って、医療の世界では、
「立場の違いが哲学の違いになる」という言葉があります。


産科の先生も赤ちゃんの命を大事にしますが、それ以上に
母体を大切にします。


一方で、新生児科医や小児外科医は、赤ちゃんの命を
何よりも重要に考えます。


妊娠38週で胎動を感じなくなり  


翔子さん(仮名)は良き伴侶に恵まれ、充実した結婚生活
を送っていました。ところが、なかなか赤ちゃんを授かる
ことができず、次第に焦りのような気持ちを持つように
なりました。


そしてようやく妊娠したとき、翔子さんは37歳になって
いました。高齢出産です。


妊娠は順調に進みましたが、途中で羊水過多が起きました。
羊水が多くなってしまう理由は様々です。


母体か胎児のいずれかに原因があるのですが、
超音波検査をおこなった医師は、赤ちゃんの異常を
指摘しました。あごの形や指の握り方、かかとの形から、
18トリソミーの可能性を医師は口にしました。


18トリソミーの赤ちゃんは羊水を飲み込む力が弱いために、
羊水過多になることが多いのです。


消化管閉鎖や二分脊椎など、羊水過多を引き起こす
他の先天奇形は見つかりませんでした。  


羊水過多になると母親も苦しいし、妊娠にも悪影響を
与えます。それが原因で早産になってしまう危険もあります。


翔子さんは羊水 穿刺せんし を受け、羊水を排液しました。
この時、医師の提案に応じる形で赤ちゃんの染色体分析
を行いました。結果はやはり18トリソミーでした。  


赤ちゃんに心奇形などの重い病気はないものの、
18トリソミーの子どもは長く生きられないと聞き、
翔子さんは強いショックを受けました。


しかし妊娠は満期に近づいており、運命にしたがって
分娩ぶんべん を待つしかありませんでした。  
ところが、妊娠38週で突然、胎動を感じなくなりました。


翔子さんとご主人は急いで産院に向かいましたが、
赤ちゃんの心音は止まっていました。死産という結果に、
夫婦は深い悲しみに包まれました。


前回妊娠よりも複雑な染色体異常  


そして1年後、翔子さんは再び赤ちゃんを身ごもりました。


今度こそ、健常な赤ちゃんが欲しい。夫婦は十分に相談
した上で、妊娠16週で羊水検査を受けました。
そして、結果を聞くため、3週間後に産院を訪れました。  


産科医は、弱り切った表情で染色体分析の写真を机に
広げました。赤ちゃんの染色体には大きな異常がありました。
前回妊娠したときの18トリソミーよりも、もっと複雑な
異常でした。  


医師は、こういう染色体異常があると、普通は妊娠早期に
自然流産してしまうこと、満期にまで育って生まれてくること
はあり得ないことを説明しました。


また、「染色体異常の赤ちゃんが続いたことは単なる偶然で、
夫婦に何か原因があるのではない」とも付け加えました。


中絶をした方が悲しみが少ないのでは…  


夫婦はまたも強い衝撃を受けました。何かの間違いで
あってほしい。帰宅後、翔子さんはパソコンに向かって
走りました。しかし、インターネットでいくら調べても、
赤ちゃんと同じ染色体異常を持って生まれて来た例は
一つも見つかりませんでした。


こんな偶然が二度も続くことに納得がいきませんでした。
そこで、いくつかの病院で遺伝カウンセリングを受けて
みましたが、答えはすべて同じでした。  


翔子さんは迷いました。このまま妊娠を継続していいの
だろうか。生まれてくる可能性が極めて低いとすると、
この子は死産になってしまう。


死産は嫌だ。前回、18トリソミーの赤ちゃんを死産で
失ったときは本当につらかった。それならば、今の段階で
人工妊娠中絶をした方が悲しみは少ないのでは
ないだろうか。


悩んだ翔子さんは、さらにもう一つの意見を聞こうと思い、
遠路をいとわず私のクリニックにまでやってきたのでした。


「この子と少しでも長く一緒にいたい」  
これまでのすべての経緯を聞いて、私は返答に窮しました。
産科の先生や遺伝カウンセラーの人たちと同じことしか
言えません。


そして翔子さんの口から「人工妊娠中絶した方がいい
のでしょうか? だけど、この子と少しでも長く一緒にいたい」
という言葉が出た瞬間、


これまで多くの赤ちゃんの生死に関わり、命とは何だろうか
と考え続けてきた私自身の生命観が試されているような
気がしました。  


「それはやむを得ないから中絶しなさい」とも言えない。  
「命のある限り中絶してはいけない」とも言えない。  


私は、生命というものは、たとえ病気や障害があっても
余りにも重いもので、一人の人間が答えを導けるものでは
ないと改めて思い知らされました。  


結局、私は翔子さんに何か役に立つ助言をすることは
できませんでした。ただ、私たち夫婦も死産の経験があり、
その悲しみはとてもよく分かると伝えました。


そして、「今、この瞬間にまだ赤ちゃんは生きているから、
その命あることに幸せを感じてほしい」と伝え、さらに、
「最終的に妊娠継続を諦めても誰も翔子さんを責める
人はいない」と付け加えました。


不条理な苦しみの末、夫婦で決断  


それからおよそ1年後、私は翔子さんと再会しました。
あの赤ちゃんには、結局、人工妊娠中絶を選んだことを
教えてもらいました。


一日でも長くおなかの中にいてほしかった赤ちゃんだけど、
中絶しなければもっと大きな悲しみがやってくる。
そう悟って、苦悩の末に夫婦で決めたことでした。


そのことを語る翔子さんの瞳からは、ボロボロと涙が
流れ落ちました。  


なんて理不尽なことでしょうか。なぜこの世にはこんな
不条理な苦しみがあるのでしょうか? 私は翔子さんを
どう励ましていいか分かりませんでした。  


新型出生前診断や着床前検査が語られるとき、必ず
「命の選別」につながる懸念が語られます。


しかし、翔子さんのように「生きて生まれてくることができる命」
が欲しいと思う気持ちは、誰にも否定できないはずです。


悲しみの 涯はて に母がわが子の命を諦めざるを得ないとき、
そうした人工妊娠中絶を第三者が、「命の選別である」
と簡単に切り捨ててはいけないのではないでしょうか?
・・・。





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