妄想劇場・流れ雲のブログ

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妄想劇場・歌物語












「こんにちは赤ちゃん」や「二人でお酒を」などのヒット曲で
知られる歌手・梓みちよさん(本名・林美千代)が都内自宅
のベッドの上で冷たくなっているところをマネジャーに
発見された。享年76歳だった。  


福岡県出身の梓さんは1962年にデビュー。63年に
「こんにちは赤ちゃん」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)
がミリオンセールスを記録し、同年の日本レコード大賞
を受賞。NHK紅白にも63年から69年まで7年連続で
出場した(計11回出演)。


梓さんに子どもはなく、ひとり暮らしだった。どんな晩年
を過ごしていたのか。


「膝を悪くし、歩くときに杖をつかうようになってはいたものの、
仕事は続け、第一発見者のマネジャーが自宅を訪れたのも、
レギュラー出演中の通販番組の打ち合わせのためだった
そうです。


膝のために歌番組やイベント出演は減っていましたが、
化粧品のプロデュースをして、保湿クリームで人気を
得るなど、変わらずパワフルだったと。


歌手も諦めたわけじゃなく、『新曲出してヒットさせたいね』
と話していたそうです」


大の犬好きだった梓さんは昨年5月に愛犬が亡くなった
悲しみを乗り越え、次に飼う犬を探していたという。


「『やんちゃガイ』こと、あの石原裕次郎さんと共に人気
だった俳優の和田浩治とスピード離婚した70年代、


梓さんは『遊ぶし、飲むし、男の友達もいっぱい』と公言し、
歯に衣着せぬ物言いで知られていた。


代表曲『こんにちは赤ちゃん』をもらった当初は
『ママになったこともないのにどう歌えばいいの?』
と悩んだけど、作詞した永六輔から『女性はみんな
母性本能があるんだ』とアドバイスされてうなずいた
というエピソードがある。


母性本能はワンちゃんに注いでいたのかも」と、梓さん
を知る芸能関係者は言う。  


俳優の高橋克典は《梓さんとは、2年前ほど前まで、
同じマンションに住んでたことがありまして》とブログ
で明かし、こう続けている。


《低層で、戸数も少ないマンションでしたので、当然
ごあいさつする機会も多く、産地直送でいただいた
素晴らしい元気な野菜をくださったり、ウチからも地方
からのちょっとしたお土産を渡したり、


日常のちょっとした飲み物やなんやかや、帰ってくると
手紙を添えて玄関のノブにかけてくださっていたり、
まるで昭和の頃のご近所のようなあったかいお付き
合いをさせていただいてました》


少子高齢化時代の大問題  孤独死というと、社会的に
孤立し、身寄りのない不幸な高齢者との印象がある。  


また、元スターゆえに周囲にも相談できない家族間の
確執、外からはうかがい知れない悩みもあったはずだが、
晩年の梓さんには悲愴感は感じられない。


「少子高齢化が進む日本では、ひとり暮らしの高齢者は
700万人近くいて、さらに増えていく。


子どもや孫に看取られる最期が幸せかのような風潮がある
一方で、たとえ子どもや孫が受け入れてくれるとしても、
そこにはいかず、あえてひとり暮らしを選ぶケースも
少なくない。


梓さんも晩年まで仕事に恵まれ充実したひとり暮らしを
送っていたとすれば、気の合わない伴侶といやいや
老後を過ごすよりは精神的に豊かではなかったか。





「当時は渡辺プロの黄金時代。中尾ミエ、小柳ルミ子ら
とナベプロの渡辺晋社長の自宅で下宿しながら芸能生活
を送っていました。


中尾さんも小柳さんもそうだし、芸能界は福岡県出身者
が多いなあとよく話していたものです」


不倫発覚当時、梓さんの自宅をよく直撃取材しましたが、
とにかく気の強い方で怒鳴られた覚えがあります。


でもサッパリした方でそんなに嫌な顔はされませんでした。
まあ、公然の関係というのでしょうね。まだ娘の理子さんが
幼少時代の話です。


梓さんは東尾さんと別れてからは男性のウワサは全然
ありませんでした。そうそう、東尾さんのあだ名が“トンビ”
というのもこの頃に知りました」  


近親者のみで葬儀が執り行われたという。合掌。


・・











東京で子育てに奮闘する元ヤンママ・アッコさん(27)にとって、
古里で暮らす父親がとにかく怖い存在だったのだそう。


ただ、「絶対に、父親みたいになりたくない」と誓ってきた
割に、アッコさんは最近、あることに気づいて愕然がくぜん
としたのだとか。 ・・・・


夕飯を食べるのも父が座ってから


小さい頃、父親のことが怖くて仕方なかった。  
いま57歳の父は、昔気質かたぎの大工で、“遅れてきた
昭和のがんこオヤジ”って感じ。


家庭の全てを自分で決めたいタイプで、気に入らないこと
があるとすぐに声を荒らげる。


平成のまっただ中に育ったというのに、我が家では、
父の言うことは絶対で、夕飯も父が着座するのを待って
食べた。  


そんな父の姿を見て、私は「絶対、こんな親にはなりたく
ない」と思っていた。優しくて、余裕があって、声を荒らげる
ことなんてない、エレガント(!)な親。それが理想の父だ
と……。


公園を駆け回り帰ろうとしない娘


「いい加減にしなさい!!!」
 「ハ~ギュ~…変身っ!!! えいっ!! やーっ!!」  
人影もまばらな、お昼時の近所の公園。プリキュアに変身
する娘の声が響く。  


その様子を遠くからぼーっと眺めていた私は、腕時計に
ちらりと目をやり、「はぁ~」と深いため息をついた。  


もう1時間以上、娘はプリキュアに変身しては公園を駆け
回っている。最初は一緒に遊んでいた友達もお昼ご飯で
1人抜け、2人抜け……。いつの間にか、公園には私たち
2人だけになっていた。


最初のうちは、「帰るよ~」「やーだーよ」なんてやり取りも、
まだほほ笑ましく感じる。それが、5回も続くと、お互い
ちょっとずつイライラがたまってきて、最後には……。


「帰るって言ってるでしょ!」  娘をむんずと抱えて、
自転車のチャイルドシートに無理やり乗せる。


泣きじゃくり、必死に足をバタバタさせて抵抗する“プリキュア”
だが、大抵の場合、私の顔や体に蹴りが入った段階で
公園に怒号が響き、その戦いは終わる。  


「もう、いい加減にしなさい!!!」
チャイルドシートで、しょんぼりしている娘。
こうして遊びを強制終了するたびに、


「楽しかったのだろうに、かわいそうなことをしちゃったな」
と反省する。そう言えば、私も小さい頃、同じように父親から
怒られていた。


「人を殺せと言われたら、言いなりになって殺すのか!?」  


小学生の頃、私は学校から帰ると、「ただいま」のあいさつ
もそこそこに玄関にランドセルを放り投げ、近所の公園に
走っていった。


当時の門限は、ほかの子より早い午後5時。思い切り
遊びたいから、1分1秒も無駄にしたくなかった。
午後4時50分過ぎが、一番難しい時間帯だ。


まだまだ遊びたいという気持ちもあったし、途中で帰って
「つまらないヤツ」認定されるのもイヤで、ついつい
鬼ごっことかに参加してしまうのだけど、頭の中に
激怒する父親の顔が浮かび、楽しむどころではなくなってくる。  


結局、門限のプレッシャーに耐えきれず、最後には
申し訳なさげに「もう時間だから帰るね」と切り出すのだけど、
友達からは「時間なんて守らなくたって、怒られないよ!」
と冷やかされた。  


「ただいま」とつぶやきながら、玄関を開けるとたいてい
5分ほど門限を過ぎている。居間の様子をうかがうと、
怒り心頭に発してソファに座る父が目に入るのだ。  


「帰るって言ったら嫌われるかもしれないもん!」
「本当は、時間通りに帰ってきたかったんだもん……」  


怒りを静めたくて言い訳を並べ、父の逆鱗げきりんに
触れるのがいつものパターン。


「言い訳しとるんじゃねぇ!」  
そう一喝されると、心臓をギューッとつかまれるような
気分になった。  


「友達に言いたいことをハッキリ言えないようで、
どうするんだ?人を殺せと言われたら、お前は友達の
言いなりになって人を殺すのか!?」  


いやいやいや……。門限にちょっと遅れたぐらいで、
なんて理不尽な。あなたには子どもの気持ちが分からん
のですよ。私が友達に嫌われたって、いじめられたって、
へっちゃらなんでしょ。  


心の中でそう思いながら、「ごめんなさい」。
私は歯を食いしばり、言葉を絞り出していた。


娘に声を荒らげる度に落ち込んでしまうのだけど  
そんな記憶があるものだから、母親になった今、娘に声を
荒らげる度に「あぁ、私、お父さんみたいになっているかも!」
と落ち込んでしまう。  


ただ、先日、そんな悩みを夫に話すと、意外な反応が
返ってきた。  
「えっ、お父さん、よくね? 俺は好きだけどなぁ~。
不器用で、怒りっぽいけど、一生懸命でいいじゃん。
アッコは顔も性格もお父さんそっくりだよ」  


「私がお父さんにそっくり? ってか、一生懸命?」  
厳しかった父のことを、そんなふうに見たことはなかった。  


ただ、言われてみれば、仕事で家を空けることが多い
夫と違って、父は夕方に仕事を終えると、いつも真っすぐ
家に帰ってきた。


外に遊びに行くこともなくて、晩ご飯は毎日一緒に食べたし、
学校であったことをよく聞いてくれた。


縄跳びやでんぐり返しの練習もできるようになるまで
連日付き合ってくれたこともあったし、友達とケンカして
学校に行きたくない、と駄々をこねたときは、仕事場に
連れて行ってくれたこともあったっけ。


う~ん。事実を客観的に並べてみると、意外と子煩悩な
頑固おやじ……だったのかもしれない。夫が言うように、
不器用でうまく子どもを叱れないタイプの親。


いまの私と同じように、怒鳴どなり散らした後に、
「ちょっと言い過ぎたな」って、反省することもあったりして……。  


「親の心子知らず」とはよく言うものの、そう考えると、
ちょっぴり切ない。  


怖い父を避けていた小学生の娘、何にでも反発して、
ヤンキーの道一直線に歩んだ青春時代の娘を、
彼はどんな思いで見つめていたのだろう。  


いつかうちの娘も、怒ってばかりいる私に「お母さんみたい
にはならない!」なんて反発することになるのだろう。


娘には私と違って「立派な人」になってほしいから、
それぐらいがちょうど良いのかもしれないけど、


「あなたも親になれば、分かるわ」ぐらいしか言えないのって、
改めて、親ってなかなかに大変な立場だと思う。 ・・・・


・・・





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