妄想劇場・流れ雲のブログ

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妄想劇場・妄想物語











※注意
掲載されている情報には危険なものも含まれています。
閲覧したり実践したりすることで発生する一切のことがらに
責任を負いかねます。必ず、自己責任でお願いします。
不快感がある方は、読むのを中断してください。・・・



私が小学3年生の時の話です。


私は両親と弟、父方の祖母の5人で暮らしていました。
近所には祖母の兄(叔父)が1人で住んでいました。


祖父は私が生まれる前に他界していたので、叔父さんを
祖父のように慕っていました。


叔父さんも私の事を自分の孫のように凄く可愛がって
くれていて、毎日の様に家へ遊びに来ては皆で食事を
したり、勉強を教えて貰ったりしていました。


ある日、叔父さんは体調を崩して入院する事となったの
ですが…。それから私に不思議な出来事が起こりました。


叔父が入院した翌日、私は朝に鈴の音色を聞いて、ハッっ
と思い目を開けると自宅の仏壇の前に立っていたのです。
その時は「何で私が仏壇の前に立っているのだろう…?」と、
夢なのか寝ぼけているのか分からず不思議に
思っていました。


すると突然、仏壇から触ってもいないのに鐘の鳴る音が
「チーン、チーン、チーン」と聞こえてきました。


我に返り、急に怖くなって慌てて自分の部屋に行き、
私は布団に潜り込みました。時計をみると、明け方の
4時を指していました。


それからというもの、毎朝「チーン、チーン、チーン」と
仏壇の鐘が鳴る音がして、目を開けると仏壇の前に
立っている夢をみるようになりました。


さらに夢の中で仏壇の前に立つ私の前へ光が現れる
様になり、その光の中に誰かがユラユラと揺れて
居るのです。


毎日同じ夢を見て、人影は次第にハッキリと見える様に
なってきました。ですがそれは私が見た事もない女性で、
心当たりもありません。夢を見た後は必ず目が覚め、
時計をみると朝の4時でした。


それから数ヶ月後、私が起きて1階に降りると祖母が
「叔父さんが急変して…。最後に○○ちゃん
(私の名前です)に会いたい、って…。」と泣きながら
話をしてきて、叔父さんが亡くなったと分かりました。


叔父さんが入院してからは結局会うことが出来ず、その
まま旅立ってしまった事が悲しくて仕方ありませんでした。


「お見舞いに行きたかった。お爺ちゃんに会いたかった。」
と、私も涙を流しました。叔父さんがこの世を去った時間
は朝の4時だったそうで、私が夢をみていた時間と偶然
なのか分かりませんが、一緒でした。


そして叔父さんのお通夜の時、私は両親達と叔父さんが
安置されている場所に行った時に「あっ!」 と声を
上げてしまいました。


叔父さんが横たわっている横の壁に、観音様の掛け軸が
掛けてあったのですが、その掛け軸の観音様が私が
夢の中で見た光の人影とそっくりだったのです。


家族は「どうしたの?」みたいな顔をしていましたが、
私はこの観音様が、叔父さんの死を夢の中で私に
教えてくれていたのかも知れないと思いました。


しばらく私達は叔父さんを囲みながら、泣いていました。
私は1人でも病院に行けば良かったと後悔し、心の中で
「叔父さん、会いに行けなくてごめんね。」と何度も何度も
謝っていました。


するとそのうち、両親や祖母や叔父さんのお友達が
ザワつき始めました。何だろうと思っていると、壁にある
観音様の掛け軸を指差して驚きの声を上げています。


信じられない話なのですが、なんと観音様の目から涙?
が流れ出ていたのです。


今でもこの現象は謎のままなのですが、私は子供ながらに
「叔父さんが私の心の声を天国から聞いていたのかな?」
と感じ、今でもそう思っています。


叔父さんが亡くなってからは、仏壇の前に立つ夢をみる
事は無くなりました。


その代わり、毎日仏壇に手を合わせて「叔父さん、
行ってきます。」と心で話ながら出掛けるのが、
私の日課となっています。・・・







特別養護老人ホーム「さくらの里山科」には、2匹の愛猫を
看取みと った入居者の方がいます。  


山口なつさん(仮名、70歳代後半)は、愛猫の「ナッキー」と
17年間一緒に暮らしていました。


それまでに何匹もの猫を飼ってきた猫好きですが、
ナッキーを飼い始めた時はまだ50歳代。これが最後の
愛猫だと思って飼うことにしたそうです。


もし自分に何かあっても、同じく猫好きの息子さんが
引き取ってくれると約束してくれましたので、何も心配は
ありませんでした。  


脳出血で倒れた時、約束通り、息子さんはナッキーを
引き取ってくれました。退院後、有料老人ホームで
暮らし始めます。


ところが、脳出血の後遺症で失語症になり、うまく言葉が
出せないため、人とのコミュニケーションが困難になり、
感情を閉ざしてしまうようになりました。


いつ面会に行っても、無表情で言葉を発することもないので、
息子さんは非常に心配していました。実際、自ら動くことも
なくなったため、廃用症候群により、手が動かなくなって
しまいました。  


廃用症候群とは、例えば入院して安静にしていると、
体が衰え、手や足が動かなくなってしまうというような
症状です。若い人でも発症しますが、高齢者の場合は
深刻で、みるみる間に進行してしまいます。  


そんな山口さんの表情が変わるのは、息子さんが
ユーチューブでナッキーの動画を見せる時だけです。
ナッキーに対する気持ちだけはしっかり残っていたのです。


「もう一度、ナッキーと一緒に暮らせば、生き生きとした
感情を取り戻せるのではないか」と考えた息子さんは、
ペットと暮らせる老人ホームを探すことにし、
「さくらの里山科」を見つけたのです。  


山口さんが入居した日、息子さんがナッキーを連れて
きました。この時、ナッキーは17歳。猫としてはかなりの
高齢です。人間に換算すると80歳代半ばになります。


だから普段は寝ていることが多く、素早い動きをすること
はほとんどなかったのですが、山口さんの顔を見た瞬間、
息子さんの腕の中から飛び降りました。


山口さんのもとに走り寄ると、子猫のような俊敏さで
膝に駆け上り、山口さんにすがりつきました。  


「なっ…き…、なっ…き…」  山口さんも必死に言葉を
紡ぎます。動きにくくなっていた手を必死で持ち上げ、
ナッキーを抱きしめました。





私たちは、このような離れ離れになっていた高齢者とペット
の再会を何回か見てきました。その都度、胸を打たれ、
熱いものがこみ上げてきます。  


こうして、山口さんは、ホームで、再び愛猫のナッキーと
一緒に暮らせるようになりました。


そして、そこから奇跡的な回復が始まった、とはいき
ませんでした。失語症に機能的な原因があるため、いきなり
回復はしません。


ナッキーに向かって一生懸命呼びかけるので、言葉を
発する機会は増えましたが、たどたどしく言葉を紡ぐだけで、
滑らかには話せません。


ナッキーに対して穏やかな表情を見せるようになりましたが、
基本的には無表情なままです。自ら動くこともあまり
ありませんでした。  


猫が奇跡を起こしてくれるなんて、そうそうあることではない。
私たちはそう考えていました。しかし、それは、介護の現場
に慣れていた私たちの思い込みだったのです。


入居して2週間後、面会に来た息子さんが、「母さんが
笑っている、ナッキーをなでている」と大声を上げました。


山口さんは車いすに座り、膝に乗っているナッキーを、
動きづらい腕で弱々しくなでていました。その口元には
かすかに笑みが浮かんでいました。


息子さんにとって、以前にいたホームでは決して
見られなかった光景だったのです。


ほほ笑むだけで、自分で腕を動かすだけで、大きな変化
だったのです。とってもうれしいことだったのです。  


私たちは介護の現場に慣れすぎて、その変化を大した
ことではないと思い込んでしまっていました。この時改めて、
入居者のわずかな変化でも大切であることを学び
直したのです。


そして、ペットが与えてくれる効果がいかに大きいかを
改めて実感したのでした。  


残念ながら、山口さんとナッキーが取り戻した一緒の生活は、
長くは続きませんでした。再会から半年後、ナッキーが
死んだのです。


山口さんとナッキーは毎晩一緒に寝ていましたが、その日、
山口さんが目を覚ました時、既にナッキーは息をして
いませんでした。高齢だったので仕方のないことでした。


大好きな山口さんと、一緒の布団の中で寄り添い、
ぬくもりを感じながら旅立ったのです。
飼い猫にとってこれ以上、幸せな最期はないでしょう。
・・・。





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