妄想劇場・流れ雲のブログ

趣味の、自己満ブログです。人生は、振り返ることは出来ても、後戻りは出来ない…掲載内容に問題がある場合は、お手数ですが ご連絡下さい。 迅速に対応させていただきます。

妄想劇場・森羅万象












23歳の時、同じ会社で4つ上の上司と付き合い始めました。
直属ではありません。とても優しくて仕事もできるので
憧れていて、こんな自分と付き合ってくれるなんて本当に
幸せでした。


でも付き合ってしばらくすると、だんだん束縛されるように
なってきました。男性社員と話すのは基本的に禁止でした。


でも、男性社員にだって仕事のこととか聞かれるし、自分も
わからないことを聞くことがあるって言ったら、「オレに
聞けばいいだろ」って。


担当が違うので聞けないこともあるし、雰囲気も悪くなるって
言っても、とにかく心配だから話さないで欲しいと言われて
いました。  


ある日、デートの待ち合わせ場所を間違えて、待たせて
しまったことがありました。彼はすごく怒って、人気のない
路地裏で壁に頭を打ち付けられました。


「オレを怒らせるようなことするなよ、もっとちゃんとしろよ」って
言われて、私は痛みと恐怖で泣いて何度も謝りました。


少ししたら、彼も機嫌が直っていつもどおり優しくしてくれた
ので安心しました。でも、それからも時どき彼を怒らせてしまう
ことがあって、にらまれたり、殴られたりしました。


腕や足にはいつもアザができていました。  


女友達に相談したら、別れなよって言われました。でも、
本当はとても優しい人だし、私がいなくなったら彼はダメに
なってしまうし、自分がもっとちゃんとすればどうにかなるんだ
と思ったりして。


別れるつもりで相談したはずなのに、彼のことを悪く言われて
イヤな気持ちになりました。やっぱり彼のことが大切だから
そう思うのかなって思いました。


彼はそのうち、女友達とも連絡取らないでほしいって言ってきて、
携帯電話の連絡先も消させられて、友達とは音信不通状態
になりました。



友達と連絡を取らなくなってからも、彼との約束を守らないと
暴言や暴力がありました。彼はいつも暴力の後はすごく
優しかった。もう2度としないと土下座までしてくれたことも
あります。


それで、私も彼を信じなくちゃっ、て思って。それに、優しい
彼を怒らせてしまう自分を責めてもいました。  


ある日、友達が私の会社が終わる時間に会社の近くで
待っていてくれて。運良く彼は残業だったので、ばれることも
なく話をすることができました。


その時、友達が一冊の本を貸してくれました。
「DV」についての本でした。本に書いてあったチェックリスト
を見たら、自分が当てはまっているって気づいて。あぁ、
自分ってDVを受けてるのかもって。


それで「共依存」についても知りました。正直最初はピンと
こなかったです。でも、彼にされていることを考えると、
別れたほうが良いって思うのに、別れたくないのは何でだろう?
って考えるようになって。  


それで、地域の女性センターでカウンセリングを受けてみる
ことにしたんです。カウンセリングを受ける中、自分の
生い立ちが関係しているのかなと気づいてきました。


私の父はアル中で、お酒を飲むと母に暴力を振るう人でした。
それで、母は父のことばかりで、小さい時からあまり私のこと
を見てくれないひとでした。


「自分は何のために生きているんだろう」って思うこともあって。
でも、彼といると自分のいる意味が感じられたんです。
だから、私も彼を失いたくなかった。


結局すがっていたのは自分のほうなのかもって思いました。
特定の人との関係に依存して離れられない状態を「共依存」
と書いていました。


どんなにひどい目に遭っても、 くっついたり離れたりの繰り返し  
DVは加害者のほうにもカウンセリングが必要だと聞きました。


彼が応じてくれるかわからなかったけど、大きな暴力が
あったあと、優しく謝ってくれている時に話してみました。


そうしたら、彼も「本当は暴力なんて振るいたくない」って言って、
了承してくれたんです。 そして、彼もカウンセリングを受ける
ようになりました。


彼も小さい頃家庭環境が荒れていて、私みたいに親から愛情
をあまり受けられなかったそうです。虐待もあったみたいで。


女性センターの相談員の方には、彼と距離を取ったほうが
良いと言われました。だから会わないようにしていたのですが、


彼からの優しいメールが来たので、「もう大丈夫なのかも」と
思って会いに行ってしまいました。


でも、部屋に入ったとたんまた殴られて・・・。そうなるかも
しれないってわかっていたのに、こんなことを何回も繰り返して
いました。共依存から抜け出すのってとても難しいですね。  


そんな感じでくっついたり離れたりを何度も繰り返した末、
最終的には恋人関係は解消することができました。
お互いにとってすごく辛いことでした。


共依存状態ではあったけれど、やっぱり純粋に好きだったの
だと思います。でも、お互いのためにならない。一緒にいれば
きっと暴力が出てしまうから。  


しばらくして、彼は異動になり顔を合わすこともなくなりました。
彼の希望だったと後から上司に聞きました。連絡も取らなく
なってしまったけれど、元気でいてくれることを願うばかりです。  


私のほうはカウンセリングを受けていくうちに、ちょっと自分に
自信が持てるようになりました。母に実は昔寂しかったんだって
話も、深刻じゃなく話せたし。


そして、いやなことはいやと言えるようにトレーニングを
受けたりもしました。


彼と別れて2年。やっと次の恋に進めそうです。 ・・・・・








テレビでも紹介されましたので、ご存知の方もおられるかも
しれませんが、猿渡瞳さんという少女が、亡くなる直前に
書いた作文(「命を見つめて」)が、多くの人々に深い感動を
与え続けています。


彼女は小学校6年生の時、「右大腿骨骨肉腫」というガンに
侵され、医師から「余命半年」であることが母親に告げられます。


母親はこのことを娘に告げるべきかどうか、幾日も悩み
ましたが、意を決して我が子にガンであることを打ち明けます。


それは、我が子に何としてでもガンと正面から闘ってもらい
たいという母親の苦渋の選択でした。


彼女は大粒の涙を流しながらも、この厳しい事実をしっかり
と受け止め、「教えてくれてありがとう。


「ママが、がんじゃなくて、私で本当によかった。ママががん
だったら、私の方がつらくて1週間も生きていけなかったよ。
でも私なら大丈夫。がんなんかに絶対負けないから!」


私、ガンなんかに負けないもん」と健気に答えるのです。


その日から、彼女は必ず治ると信じて、医師に病状を尋ね
ながら治療方針を決め、病いと闘い続けました。


しかし、その願いも空しく平成16年9月、1年9ヶ月の
闘病の末、13年の短い人生の幕を閉じました。


闘病中、彼女は「たくさんの仲間が命をかけて教えてくれた
大切なメッセージ(命の尊さ大切さ)を、世界中の人々に
伝えていくことが私の使命」という思いを強く持つよう
になります。


そうして、亡くなる2ヶ月前(平成16年7月)、「大牟田市
青少年健全育成弁論大会」に学校代表として、その思いを
綴った作文「命を見つめて」を発表するのです。


作文は、彼女の死後、全国作文コンクールで優秀賞を
受賞しました。そのことが、新聞やテレビなどを通じて多くの
人の知るところとなりました。


彼女の願いー命の尊さを世界中の人々に伝えていくーは、
広く人々の心に届いています。





みなさんは本当の幸せって何だと思いますか。
実は、幸せが私たちの身近にあることを病気になった
おかげで知ることができました。


それは、地位でも、名誉でも、お金でもなく「今、生きている」
ということなんです。


私は小学6年生の時に骨肉腫という骨のガンが発見され、
約1年半に及ぶ闘病生活を送りました。


この時医者に、病気に負ければ命がないと言われ、右足も
太ももから切断しなければならないと厳しい宣告を受けました。


初めは、とてもショックでしたが、必ず勝ってみせると決意し
希望だけを胸に真っ向から病気と闘ってきました。


その結果、病気に打ち勝ち右足も手術はしましたが残すこと
ができたのです。


しかし、この闘病生活の間に一緒に闘ってきた15人の
大切な仲間が次から次へと亡くなっていきました。
小さな赤ちゃんから、おじちゃんおばちゃんまで年齢も病気
もさまざまです。


厳しい治療とあらゆる検査の連続で心も体もボロボロになり
ながら、私たちは生き続けるために必死に闘ってきました。


しかし、あまりにも現実は厳しく、みんな一瞬にして亡くなって
いかれ、生き続けることがこれほど困難で、これほど偉大な
ものかということを思い知らされました。


みんないつの日か、元気になっている自分を思い描きながら、
どんなに苦しくても目標に向かって明るく元気にがんばって
いました。


それなのに生き続けることができなくて、どれほど悔しかった
ことでしょう。私がはっきり感じたのは、病気と闘っている
人たちが誰よりも一番輝いていたということです。


そして健康な体で学校に通ったり、家族や友達と当たり前の
ように毎日を過ごせるということが、どれほど幸せなことか
ということです。


たとえどんなに困難な壁にぶつかって悩んだり、苦しんだり
したとしても命さえあれば必ず前に進んで行けるんです。


生きたくても生きられなかったたくさんの仲間が命をかけて
教えてくれた大切なメッセージを、世界中の人々に伝えていく
ことが私の使命だと思っています。


今の世の中、人と人が殺し合う戦争や、平気で人の命を
奪う事件、そしていじめを苦にした自殺など、悲しいニュース
を見る度に怒りの気持ちでいっぱいになります。


一体どれだけの人がそれらのニュースに対して真剣に
向き合っているのでしょうか。・・・


私の好きな詩人の言葉の中に、
「今の社会のほとんどの問題で悪に対して『自分に関係ない』
と言う人が多くなっている。自分の身にふりかからない限り
見て見ぬふりする。それが実は、悪を応援することになる。


私には関係ないというのは楽かもしれないが、一番人間を
ダメにさせていく。自分の人間らしさが削られどんどん消えて
いってしまう。それを自覚しないと悪を平気で許す無気力な
人間になってしまう」と書いてありました。


本当にその通りだと思います。
どんなに小さな悪に対しても、決して許してはいけないのです。
そこから悪がエスカレートしていくのです。今の現実がそれです。


命を軽く考えている人たちに、病気と闘っている人たちの
姿を見てもらいたいです。そしてどれだけ命が尊いかという
ことを知ってもらいたいです。


私たち人間はいつどうなるかなんて誰にも分からないんです。
だからこそ、一日一日がとても大切なんです。


病気になったおかげで生きていく上で一番大切なことを
知ることができました。今では心から病気に感謝しています。


私は自分の使命を果たすため、亡くなったみんなの分まで
精いっぱい生きていきます。みなさんも、今生きていることに
感謝して悔いのない人生を送ってください。


この作文には、人間の最も深いところにある「いのちの叫び」
というものを感じます。


猿渡瞳さんは、弁論大会から約2カ月後,2年生(当時13歳)。
平成16年9月16日に骨肉腫のために短い生涯を終えられました。






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