妄想劇場・流れ雲のブログ

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妄想劇場・妄想物語











※注意
掲載されている情報には危険なものも含まれています。
閲覧したり実践したりすることで発生する一切のことがらに
責任を負いかねます。必ず、自己責任でお願いします。
不快感がある方は、読むのを中断してください。・・・



僕の実家は、本当に何もない田舎だった。
子供の頃はコンビニもなかったし、野球やサッカーをやろう
にもそれだけの人数も集まらない。


夏は遊びに行くといえば、学校のプールにいくよりも川の
方が近いような所だった。


僕たちは夏になると川のそばに集まり、近寄ってくる虫や
蛇を追い払いながら、釣りをしたり泳いだり、川辺に
寝そべってゴロゴロしたりして遊んだ。


今考えると、危険でゾッとするような遊びも沢山した。
標高の高い所に住んでいたので、近くの川は大分上流
だったのだろう。


川というのは上流ほど岩や崖が荒削りなもので、水の
流れも速かった。遊んでいた上流は、川の横に岩場が
そびえ立っていた。


しかもこの岩場は川に飛び込むには丁度よくて、小学6年生
になると一番高い岩場から、水深の深いあたりに飛び込む
という暗黙のルールがあった。


これを出来ずに怯えているような子供は、根性なしだと
見なされる。それでいじめられるような事はなかったが、
人の少ない土地だったので、根性なしというレッテルを
張られるのはつまるところ子供全員になめられるような
ものだったので、飛び込みをしない子供というのは滅多
に聞かなかった。


怪我人が出たこともなかったし、大人たちも子供の頃に
体験したことがあるほどの歴史がある遊びだった。


この飛び込み遊びは、度胸試しをするときにいくつかルール
を説明される。


一番高い所から飛ぶ事
川に入るときは、縦になって落ちる事
飛び込んだ後、水の中では目を開けない事
落ちた後は水の流れに身を任せる事


その岩場の高さは水面から約6mくらいある。
岩場の下の川は上流にもかかわらず、深い水たまりの
ような作りになっていて、かなりの深さがあった。


ここの底を見た人がいないくらい深いので、ルールを
守っていれば安全だ。飛び込んだ後は川の中で流れに
身を任せると、自然と川の流れで岩の合間を通り抜けて、
一気に安全な下流の川岸まで流されていく。


ルールの2と4は守らないと怪我をする危険があった。
1は度胸試しの意味と、ここからでないと逆に安全な飛び込み
ポイントが見えない為に、念入りに説明される。


しかし、3だけはよく意味がわからなかった。先輩に
聞いても理由は知らない。とにかく、目を開けない事。
そういわれるだけだった。


代々受け継がれてきたこの度胸試しのルールを、地元
育ちの父に聞いてみた事があるのだが、父は1、2、4の
ルールしか知らなかった。


なのでいつからか追加されたものだという推測はできたが、
詳しくはわからない。結局、このルールの理由を知らない
まま僕は大学生になり社会人になり、度胸試しの事は
すっかり忘れていた。


しかしある盆に帰省した時、ひょんなことからこのルール
の理由がわかった。知っていたのは父の一番下の弟だった。


父は昔ながらの家族らしく兄弟が多いため、一番下の弟とは
10歳以上年齢が離れていた。長年会う機会はなかったの
だが、この年にたまたま私と帰省時期が一緒になり、
酒を飲みながら思い出話をしていると例の度胸試しの件
になったのだ。


父が3つしか知らなかったルールを叔父は4つめまで
知っていて、懐かしそうにしながらあの3つめのルールを
知っているか僕に尋ねてきた。


僕はそのルールは受け継がれていた事と、その理由を
誰も知らない事を叔父に伝えると、3つめのルールの
理由を話してくれたのだった。


3つ目のルールが出来たのは、叔父の一つ上の代の度胸
試しだったそうだ。この年は6年生になる子供は2人だった。


叔父が川辺で遊びながら度胸試しを眺めていると、ちょうど
二人目が飛んだ所だった。


飛び込むとしばらくして、岩場の合間から流されてくる子供が
見えてくるものなのだが、二人目の子供は中々流されて
こない。1分ほどして皆がざわつきだした頃、飛び込んだ
辺りからその子供がもがきながら出てきた。


何やら暴れながら泳いでいて、近くの岩にしがみついて
川から出てきた子供の所に駆け寄ると、呼吸を粗くしながら
何かに怯えていたそうだ。


その子は取り乱しながら帰り支度を始めたので、叔父も
含めた子供たちも白けてしまい、その日はお開きにして
帰る事になった。


帰り道、少し落ち着いてきたその子供に事情を聞くと、
「川の底で何かを見た」というのだ。


その子供は少し腕白なタイプで、飛び込むついでに流れに
逆らって誰も見た事のない川の底を見届けてやろう
としたらしい。


飛び込んだ勢いで川の底まで泳いでやろうとしたその
子供は、飛び込んだ水の中で泳ぐために目を開けた。
すると、水の中で子供の大きさくらいある『目』を見た、
というのだ。


『目』を見た恐怖から逃げようとしたところ体が動かず、
水の中で身動きが取れなくなったらしい。


不思議に呼吸が苦しくなることはなかったそうだが、
体中を舐めるような視線を感じていたという。
しばらく『目』を見ながら怯えていると、突然体の自由が
効くようになったので逃げてきたと言うのだ。


この話を聞いた叔父たちは、無謀にも翌日また川に
集まって『目』の正体を確かめようとした。


一番泳ぎの上手なガキ大将が飛びこんで同じように
潜ってみたが、ガキ大将は目を開けても『目』を見る
事はなかった。


ガキ大将は何回潜っても、やはり川の底を見る事は
出来なかったらしい。その後、ガキ大将の他にも2人
ほど試したそうだが、やはり『目』は見えなかった。


しかしその3人はその日の夜、高熱を出して病院に
担ぎ込まれた。実は3人は『目』こそ見なかったものの、
川の中で何かに見られている感覚はあったらしい。


3人が熱を出して入院したことを知った叔父たちは、
『目』の祟りだと騒いだものの、遊ぶ場所のない子供たち
にとって川遊びを捨てる事は出来なかったらしい。


翌年の夏には、『目』の祟りは怖がりつつも度胸試しまで
復活していたそうだ。


入院した3人はというと、一時的に体調を崩したものの
数日ですっかり元気になっていたので、そこまで重大な
事として受け取られなかったのだとか。


ただ、さすがに度胸試しで祟りを受けるわけにはいかない。
そこで子供たちで知恵を出し合って出した結論が
「飛び込んだ後、水の中では目を開けない事」こうして
3つめのルールは追加されたとの事だった。


叔父の話を聞いて、長年の疑問は解けた。
ただ、どうしても気になる事がある。


何十年と続いているこの度胸試しで、それまで目を開け
ようとする子供が全くいないのは不思議ではないだろうか。


思い返してみると、川では遊びはするものの、ゴミを捨て
たり川に小便をするような真似をする子供はいなかった。


みんな自然と、川にいる何らかの存在を感じ取り、敬意を
払うようになっていたのかもしれない。


ルール3の理由を聞いた翌日、私は久しぶりにその岩場へ
足を運んだ。懐かしさを覚えるのと同時に、なにか清々しさ
というか、心がスッキリするような感じがした。


ひょっとしてその川の底には神様がいて、子供たちを
見守ってくれていたのではないかとふと思った。
改めて考えてみると、結構危険な場所なのに大きな怪我
をした人がいないのも不思議だ。


もし私が結婚して子供ができたら、この岩場へ遊びに
連れてきて一緒に度胸試しをしてみたいと思う。・・・







2019年12月11日、ミニチュアダックスフントのジローが
死にました。推定年齢は14歳でしたが、おそらく推定よりは
かなり年上だったと思われます。大往生だと言えるでしょう。  


ジローがホームにやって来た経緯は、まさに現代社会の
高齢者とペットの問題を象徴していました。



 ジローは、一人暮らしの高齢者に飼われていたのです。
当時の様子を知っているケアマネジャーによると、大変
かわいがっていたそうです。それは、穏やかで人なつこい
性格や、ホームに来た時の太り具合からもわかりました。
きっと、幸せに暮らしていたのでしょう。


しかし、ある日、その幸せな生活が突然打ち切れられて
しまいます。 飼い主の高齢者が急逝してしまったのです。


この高齢者には身寄りがなく、ジローはただ一匹、取り
残されてしまいました。  


ちょうど同じ時期、読売新聞に、亡くなった高齢者の家で
半月年後に、餓死していた犬の遺体が見つかったという
ニュースが掲載されていました。


おそらくジローも一歩間違えれば、同じ運命をたどって
いたかもしれません。


ケアマネジャーがボランティアで餌や水やり  幸いジローは、
飼い主の高齢者を担当していたケアマネジャーが面倒を
見てくれました。


ケアマネジャーは高齢者が亡くなった後、毎日、高齢者の
家に通ってジローに餌や水をやり、トイレの掃除をして
いたのです。これはもちろん、ケアマネジャーの職務では
ありません。


ケアマネジャーは私のところにきて、ジローの相談をしました。


幸運なことに、その時、「さくらの里」は在宅介護施設です)で、
犬の入居枠には空きがあったので、すぐにジローを保護する
ことができました。


こうして、ジローはホームの入居犬になったのです。
飼い主が認知症で犬の正確な年齢は不明  
当時のジローの推定年齢は10歳。ホームのかかりつけの
獣医さんに推定してもらいました。


「なぜ飼い主が分かっているのに推定なのか」と不思議に
思われるかもしれません。さくらの里のケアマネジャーが、
ジローの飼い主の高齢者を担当するようになったのは、
亡くなられる4年前のことでした。


もちろん、その時すでにジローはいました。飼い主さんは
軽度の認知症のため、ジローの年齢を聞いても返ってくる
答えはいつもまちまちでした。そのため、ジローの正確な
年齢はわからなかったのです。



ジローはホームに来た時、とても喜んでいました。
元気いっぱいにリビングを走り回っていました。
とても人なつっこく、多くの入居者や職員のもとに
駆けよっては頭をスリスリしたり、「なでて、なでて」と
前脚をかけたりしていました。  


ジローがうれしそうなのは当然でしょう。ジローは1週間以上、
誰もいない家で一人ぼっちだったのです。さぞ心細かった
ことでしょう。その心配がなくなり、ほっとしたのだと思います。  


世の中には、ペットが大好きで、長年ペットと共に暮らして
きたのに、高齢になって飼うのをあきらめる方がとても
多いのです。自分が先に死んでしまったら、ペットにつらい目
に遭わせてしまうことを恐れるためです。  


ジローだって一歩間違えれば、餓死していました。
また、保健所で殺処分される犬の半数前後が、何らかの
事情で高齢者が飼えなくなった犬たちだと言われています。


何らかの事情とは、高齢者が亡くなった場合のほか、
老人ホームへ入居した場合、長期入院した場合、体が弱り、
ペットの世話が不可能になった場合などです。


高齢者の飼い犬、飼い猫の運命は厳しいものがあります。  
それらのことを考えると、確かに、高齢になったらペットを
飼うのをあきらめるのが正しいのかもしれません。


しかし、高齢になり、伴侶をなくしたり、子供たちが独立したり
して、寂しい一人暮らしになった時こそ、ペットの存在は
必要になります。



ペットは高齢者の大きな癒やしになるばかりでなく、
健康を増進させ、身体能力を維持し、認知症の進行を
遅らせることすらできます。


社会全体が高齢者とペットを支えて、安心して飼い続けられる
ような世の中になったら、どんなに素晴らしいでしょう。


※さくらの里山科では、犬猫の直接保護はしておりません。
ジローについては、同じ法人のケアマネジャーが担当していた
身寄りのない高齢者の愛犬だったので、特別に保護した
例外です。


さくらの里山科で飼える犬猫の数には限りがあり、保護を
したために犬猫との同伴入居が受けられなくなっては
本末転倒となるためです。 ・・・。






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