妄想劇場・流れ雲のブログ

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妄想劇場・特別編











私が校長をしていた小学校の遠足がありました。
五年生の春の遠足です。私も一緒についていきました。


お昼になりました。さ、待ちに待ったお弁当です。
子供たちはいっせいに弁当箱を開きます。


それを見て、私は悲しくなりました。
ほとんどの子供の弁当が、市販の巻き寿しです。


毎日給食をいただいているのですから、せめて遠足の
お弁当ぐらい、母親が心をこめて手づくりの弁当を
もたせることができないものか、と残念でなりませんでした。


それから一年たちました。


あの子供たちも六年生。小学校時代最後の思い出となる
遠足も、この時は遠出です。修学旅行と、名も変わります。


このとき、私は、お母さんがたに集まっていただき、
こうお願いしたのです。


「今度の修学旅行の弁当は、もう市販の巻き寿しを
やめていただきたいのです。お母さんがたの忙しさは
十分承知しています。


しかし、子供たちにとっては大切な修学旅行です。
いつもより早く起き、ご飯を炊いて、しっかり 精根を
入れてぎゅっと握ったおむすびを もたせてやってください。


そして、そのおむすびの一つひとつに、どんな願いを
こめてつくったかを手紙に書いてつけておいてください」


その修学旅行のお昼の時間がきました。


子供たちが、いっせいに弁当箱を開けます。みんな手作り
の大きなおむすびです。見ると、わきに手紙がついています。


みんな、「何やろう?」といいながら おおきなおむすびを
ほおばりながら、手紙を読み始めます。


一心不乱に読んでいます。そのうち、いつもは暴れん坊の
男の子が、手紙を読んで感激し、それをもちながら
踊り始めました。


別の子は、目に涙をいっぱい浮かべて その手紙を何度も
何度も読み返しています。


私の隣にいた森木優一君も、目にいっぱい涙をためて
手紙を読んでいました。


じっくりと時間をかけ読み終えたのち、森木君は、その手紙
を宝物のように大切に扱って 自分のポケットにしまいました。


それを見て、私はいいました。
「森木くん、いまポケットに入れた手紙、ちょっと見せて
くれへんか」


「ええよ。しゃあけど、この手紙校長先生(私)にあげるの
とちゃうでェ。すぐ返してや」


修学旅行を終えて、その感想記を子供たちに書いて
もらいました。


森木君も書きました。それには、こう書いてありました。


その晩、奈良の旅館について寝床のなかに入ってからも、
もういっぺん、お母さんの手紙を読み返し、


「お母ちゃん、無事に奈良についたで安心しておくれ。
いま旅館のなかでお母ちゃんの手紙を出して読み返して
いるところや。 明日も気いつけてがんばるから、
安心しておくれ。おやすみ」・・・・


もう一人、守本めぐみちゃんという 女の子との旅行記も
紹介します。


弁当の包みを開けたら、おむすびが出てきた。
お母さんの手紙もついていた。・・・・


気がついたら、120余名のなかで、私の服だけが、お母さん
の手づくりの服でした。あらためてながめてみました。


飾りについたししゅうの1針1針に お母さんの心がこもって
いるかと思うと、私は120余名のなかで、一番すばらしい
服を着ているんだなと感じました。


私もお母さんになるときは、お母さんのような お母さんに
なりたいと思いました。・・・・


情操教育という言葉があります。


何十万円もするオーディオを購入して、そこから出る音楽を
子供たちに聴かせる。確かに、その音は、本物の音であり、
子供の音感もよくなるかもしれません。


しかし、そのオーディオだけを買って、それだけで情操教育
をやっていると思ったら 大まちがいです。


そんなことよりも、自分のひざの上に子供の頭をのせ、
耳アカをとってやることのほうが、どれほど子供の情操を
豊かにするでしょう。


子供のために面倒くさいことを 汗流してやってやることです。
子供は、じっと母親の姿を見ています。 ・・・・










宮本武蔵は一乗下り松での何十人という吉岡門下を相手の
決闘に出かける前、途中の神社に立ち寄って勝利を願って
祈ろうとしかけ、「神仏を崇(あが)めても、神仏に頼らず」と
翻然と覚って踵を返し敵地に赴いたそうだ。


が、その心は神に頼った瞬間心に緩みが出来てしまい、
完全に自らの力を発揮出来ずに終わりかねないと恐れた
からでしょう。


その後の彼は思い切った作戦を立て、その仇討ちの
果たし合いに、相手の総大将として一番奥の床机に
座っていた吉岡清十郎の幼い嫡男に向ってまっしぐら
に突き進み、これを切り殺してしまう。


そしてそれを見て動揺する相手を次々に全員切り倒す。


有名な二刀流は、この多勢に無勢の戦いの中で自然に
編み出されたともいう。


だが武蔵はこの奇蹟の勝利の後、敵の大将とはいえ
まだいたいけない子供を真っ先に切ったとして世間から
咎められもしたが、


しかしその作戦なくしては、たぶんよってたかって切り
刻まれていたに違いない。


まだ前髪を立てた子供とはいえ戦いの将は将ではないか
という武蔵の言い分はやがて認められ、たった一人に
門下総勢してかかった、


それも子供を前に押し出してきた吉岡道場はやがて逆に
非難されるようになり、武蔵の名声は世に轟くことにもなる。


その結果を見れば、武蔵が神社に詣でたあの瞬間に、
神を崇めても神には頼るまいと決めたことが彼の剣豪
としての人生を開いたということなのだろうが、・・・・


しかし、ならば彼にその一瞬の覚りをもたらしたものは
何なのかということです。


彼にその覚りを与えたものこそが実は神だった
のかもしれない。・・・・ ・








鬱病と言われたのは、一週間前のことだった。


心療内科の先生は、仕事を休めないのか、辞められ
ないのか、としきりに聞く。


そんな簡単に休めない、心の中は薄暗かった。
助けを求めに来たはずなのに、待合室で途方に暮れた。


私は看護師だ。鬱病と言われそうだったことは、
何となく分かっていた。


多忙な業務、追いつかない学習、命に関わる重責、
どれも精神をすり減らすには十分なものだった。
加えて、医療職は気の強い人たちが大半だ。


判断を謝れば、人が死ぬ。そんな命の現場が、働く人の
心を鋼にしたのかもしれない。鋭い言葉の中で生きるのは、
もう限界だった。


鬱病と診断がつけば、上司は優しくなった。
私は患者になったようだ。


少しの休養の後、また徐々に仕事に戻った。
結局しっかり休むことも、仕事を辞めることもできなかった。
情けなささえ覚えた。”


この仕事を続けられるのだろうか”という疑問を抱え
ながら、せっせと働く。


薄暗い気持ちを心の隅に追いやって、毎日笑顔で患者
に接する。 自分の心の内がどうであれ、人のそばに
いられるこの仕事は好きだ。


医療者としての役割を果たすときも、一人の人間として
隣にいるときも。どんな人でもそこに居るだけで誰かの
ちからになる、教えてくれたのはこの仕事だった気がする。


癖のある患者も多いが、あまり苦ではなかった。
こだわりの中には、その人の生活が見える。
言い方ひとつ、工夫が必要な仕事の楽しさを感じる。


復帰後すぐ、上司が食事に誘ってくれた。
気さくなおばあさんが40年もやっている小料理屋だった。


上司は仕事の話も、病気の話もしなかった。カウンター
に座り、厨房に立つおばあさんと他愛もない話をする。
仕入れ・仕込みから全部ひとりでされていた。


いくつかの野菜は裏の畑のものだ。そこで使う肥料は
落ち葉から作るという。


「40年もやっていて、辞めようと思ったことはないんですか?」
ふと、そんなことをおばあさんに聞いた。


どうしてそこまでできるのか、何がそうさせるのかを
知りたかった。


おばあさんは、カウンターの向こう側で、手を動かしながら
答えた。


「あるよ。仕事は楽しくなきゃやってられない。
買い出しに行くのも、料理を作るのも、結局好きなんだよね。
楽しいからやってられるんだよ。


もう年だからお店やる時間は少なくしたけどね。」
これを聞いて、なぜか”まだやれる”と感じた。
あれほど長く、仕事を辞めることばかりが頭を支配して
いたのに。


楽しさにモザイクがかかるほど、ただ疲れ果てていただけ
のように感じた。


”好きな看護を好きなままでいたい”目の前を覆っていた
靄が晴れた気がした。


働き方を少し見直す勇気を頂いた一言だった。 ・・・






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