妄想劇場・流れ雲のブログ

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妄想劇場・森羅万象












4月14日、東京・上野のストリップ劇場「シアター上野」で
経営者や踊り子ら計6人が公然わいせつの疑いで警視庁
保安課に逮捕された。


劇場内を騒然とさせた逮捕劇に遭遇した観客のAさん
(53)は、「捜査員が大量になだれ込んできて密な状態
だった」とその瞬間を振り返る。


「観客は15人程度でした。事件はトップバッターの踊り子
・さくらさんが新作の演目を披露した直後に起こりました。


さくらさんはポップな音楽とともに上半身に薄い衣装を
羽織っただけの姿で舞台に登場。観客に向かって片足を
『Iの字』に上げて開脚した。


その時、青い作業服姿の観客が警察手帳を右手に掲げ
ながら舞台の前に出てきた。変装して一般客にまぎれて
いたんです。


その直後に30人近い私服の捜査員がなだれ込むように
入ってきて、狭い場内は人で溢れかえった」  


あまりにも突然の出来事で、当初、Aさんは「これも
演出かな?」と思ったという。 「捜査員がたくさん入ってきて、
初めて『本当に摘発されてしまったんだ』と実感して焦りました。


さくらさんは10年前にも逮捕されたことがあるからか
、“ああ、はい”と答えて、そのまま舞台裏に連れて
いかれました。


その後、『従業員の方は舞台上に上がってください』と
言われて、経営者と従業員4人が舞台に上がり、写真を
数枚撮られていた」 踊り子たちも摘発された。


その後、観客に対しての事情聴取が始まったという。


「私は4月11日にも劇場を訪れていました。捜査員からは
“あなた、11日にもいましたよね?”と言われて驚きました。


私の聴取をした担当者は30代くらいの若い捜査員で、
『4月14日、私はストリップ劇場のシアター上野を訪れて……』
といった顛末書を書くように言われ、文末に拇印を押しました」


聴取を終えたAさんには、捜査員からかけられた言葉で
どうしても許せないひと言があったという。


「劇場の出口付近にいた50代くらいのリーダーらしき捜査員が
吐き捨てるように、『ストリップは本意ではない女性たちが
仕方なく裸を見せているものだから、これからは控えるように』
と言ったんです。


私はその時、『踊り子たちは誇りを持ってやってるのに、
バカにするな』と怒りが込み上げましたが、グッと堪えて
立ち去りました」  


ストリップ劇場と摘発の歴史は古い。
「1983年には大阪の老舗劇場、十三ミュージックでポルノ
女優の愛染恭子が逮捕されて話題になりました。


その後も摘発は続き、1990年代から2000年代まで毎年
どこかの劇場が摘発されていましたが、なぜか2013年から
今年まではピタッと止んだんです。


それがコロナ禍にもかかわらず摘発が再開されたので、
全国の劇場関係者は戦々恐々としているようです」  


昭和の最盛期には全国で400以上あったとされるストリップ
劇場も、いまや19劇場となった。


広島県で唯一残っていた「広島第一劇場」も今年5月に閉館
すると発表された。昭和のストリップ劇場の灯火が消える
瞬間が、刻一刻と近づいているのかもしれない。












知人と言うのは、60代の男性。


30代で起業し、今では年商1000億円を超え、従業員も
1000人を超える会社の社長だ。


その社長さん、50歳の時に心不全を起こし心配が停止、
意識不明の重体になった。  


救急救命士が来て必死に心臓マッサージをする。


その間、その社長さんは林の中を歩いていたという。
その林を出ると、きれいなお花畑に出た。


そこは、
人によってお花畑であったり、荒地みたいなところで
あったり、色々あるそうだが、その人はきれいな
お花畑に出た。


そのお花畑の広さも人によって異なるそうで、だいたい
50メートルから100メートルほど続いている。  


周りを見渡すと、いろいろなひとがお花畑を歩いていた。
ある人は歩いてきた林の向こうから「おじいちゃん、
死なないで」という孫の声を聞いて振り返り、


「もう少し孫のために生きたい」という想念に駆られ
引き返した。要するに息を吹き返したというわけだ。


そうかと思えば、「あなた、戻ってきてぇ」という妻の
声を聞いて足を速めた人もいたそうだ。  


お花畑を過ぎると川べりに出る。その川の向こうが彼岸、
俗にいう「あの世」である。


その川幅も人によってまちまちで、10メートルの人も
いれば100メートルの人もいる。


また、渡り方もさまざまで、橋で渡る人、船に乗っていく人
、泳ぐ人などいろいろ。


一旦、両足が岸から離れてしまうと、二度とは戻っては
来れない。これだけはすべての人に共通しているらしい。  


お花畑にでた社長さんの耳に不思議な声が聞こえた。
「あなたが今まで送ってきた人生とはどういう人生だったか、
それについて質問されるから川べりに着くまでにまとめて
おくように」 ・・・・ 


お花畑を歩きながら社長さんは、自分の人生を振り返った。
「○○会議所の会頭もした」 「○○〇協議会の役員もやった」
「○○福祉に多額の寄付もした」 今までやってきたことを
頭の中でまとめていったという。  


川べりに着くと、神様の声が聞こえてきた。


「では聞きます。あなたは自分の人生をどれくらい楽しんで
きましたか?」 ・・・・ 


社長さん、はて?と困り果ててしまった。
やってきた業績についてはいくらでも話せると思って、
意気揚々と川べりまで歩いてきたのだが、


神様が聞いたのは、「どれくらい人生を楽しんできたか」
ということだった。業績など全く関心がない様子だった。
いくら考えても楽しくやってきた記憶がなかった。  


じっと黙っていたら、「楽しんでこなかったのですね」と
神様は言った。
「はい…」「じゃあ、あなたの人生は失敗です。
もう一度やり直し」と言われて、息を吹き返したそうだ。


その日からその社長さんは人生を楽しく生きようと思った。
その時、教えられたことは、「楽しく生きるということは、
自分がどれほど周りから喜ばれているか」ということだと。  


なるほど、楽しい人生とは、ただ能天気に生きるのではなく、
「あなたが必要だ」「あなたがいてよかった」と言われる人生
を送ることなのか。


確かに自分だけが楽しいと思っていても、周りの人が
迷惑を被っていたらいい人生とは言えない。  


私たちは日常の中にどれほど「楽しさ」を見つけられる
だろうか。社会を見回すと悲惨ともいえる事件や事故が
毎日のように起きている。


いつ来るとも分からない自然災害は私たちに不安の影を
投げかけてくる。不幸のどん底にいる人が隣にいたとして、
自分だけ「たのしさ」を探していくのは気が引ける。  


でも、そう考えずに、そういう中でも自分にできることを
見つけることが、喜びや楽しさなのだろう。


マザーテレサも、スラム街の中で自分の存在が必要と
されている喜びに満たされていたのかもしれない。  


「楽しさ」とは、日常の中の親子や夫婦、友だち、お客さん、
同僚など、周りの人間関係に見出すものだ。


そういう人たちと楽しい思い出をたくさんつくろう。
いつか「この世」をちゃんと卒業できるために。


author:(日本講演新聞 社説より)







朝出かけるときの言葉がけについて面白い記事があり、
興味深く読んだ。  


それは「いってらっしゃい」という言葉が東西で言い方が違い、
文化の違いを感じさせるというものだった。


東京の下町あたりでは、「いっといで!」、京都では
「おはようおかえり」と言うのだと。  


「いっといで!」という響きは江戸の名残を感じさせる。
江戸っ子はさっぱりとした気性なので、家人を送り出すとき、
威勢よく突き放したような言い方になるのだろう。


これが、京都の人から言わせると冷たく感じるようだ。  
一方、京都の「おはようおかえり」は、無事に帰って
きてくださいという気持ちがこもっており、思いやりが
感じられると筆者は言っていた。  


江戸っ子は人情が厚く涙もろいともいわれ、決して思い
やりがないわけではない。誰よりも心配りができるのでは
と私は思っている。


ただ言い方や字面だけを見ると記事のように感じる人も
いるかもしれない。  


私はどうかなと考えた。母の顔が浮かび、西の文化だと
すぐに納得した。


毎朝、母はこう言っていた。  
「いってかえり!」  そこには、ちゃんと無事に帰って
おいでという優しさが詰まっていた。


対して私は「いってかえりま~す」と返していた。  


この春、下の息子が進学のため家を出た。卒業後は
もう地元に帰るつもりはないという。覚悟の旅立ち
でもある。


でもこう言って送り出した。  
「いってかえり!」 


いつか「ただいま」と帰ってくれることを願いながら。 ・・・






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