妄想劇場・流れ雲のブログ

趣味の、自己満ブログです。人生は、振り返ることは出来ても、後戻りは出来ない…掲載内容に問題がある場合は、お手数ですが ご連絡下さい。 迅速に対応させていただきます。

妄想劇場・特別編













(このお話は、「くつかくし」、「消えた集金袋」、
「踏み外した一歩」の完結編です) ・・・・



マツダ学級のクラスメートも25歳になりました。
高校を卒業して地元やほかの町で就職した者、
大学進学のために上京し、そのまま故郷を離れて
しまった者などさまざまでした。


社会人になってからは、めったに会うことはなくなって
いました。私は、大学を卒業して一般企業で働いて
いましたが、教員になることをあきらめることが
できませんでした。


教員志望は紛れもなくマツダ先生の影響です。
マツダ先生は休み時間になると、私たちと一緒に
外に出て、よく遊んでくれました。


話し好きで、授業をよく脱線し、小さかった頃の楽しい
思い出や失敗談などを、面白おかしく話してくれました。


やんちゃが多く、マツダ先生を困らせました。
怒れば、恐い先生でしたが、時には涙をにじませ真剣に
叱るので、私たちのことを思って叱っていることが心に
沁みるほどわかりました。


そんなマツダ先生に憧れたのです。


会社を退職して教員を目指すことを報告しようとマツダ
先生に電話しました。先生は、もう既に母校から離れて
別の学校に勤務していました。


改めてその学校に電話すると、マツダ先生は教頭先生
になっていました。しかし、驚いたことに、学校で倒れ
現在、入院中だというのです。


私は長い間の不義理を悔やみました。 マツダ先生を
お見舞いしようと、私の知る限りのクラスメートに連絡
しました。しかし、伝えられたのは半分ほど、遠くに
住む者も少なくありませんでした。


しかし、とにかく伝言でもと家の方にお願いしました。
サキにも連絡しました。マツダ先生が倒れたことに
驚いていましたが、サキ自身も相談したいことがあると、
近いうちにマツダ先生に連絡しようと思っていたという
ことでした。


サキは、言葉を選びながら、その内容を私に話して
くれました。 小さな頃、仲良しだった友達を裏切り、
おとしめてしまった。


警察官になったある日、勤務中に偶然、その友達と
再会した、しかし、事情があってその友達を補導しな
ければならなかった。


友達は(放してくれ)(逃がしてくれ)と頼んだが、
私にはそれができなかった。それから、こんな私が
警察官をしていていいのか、という疑問と迷いが離れない、
というのです。


サキは職務上、個人名は明かさなかったので誰のことか、
何のことかよくわかりませんでしたが、 「そんな
小さい頃の話など、もう誰も気にしてないし今、
警察官なら、警察官としての職務を全うするだけだから、
気にする必要はないんじゃないか」 と話しました。


すると、サキはこれまでも信頼する警察官の上司や先輩
に相談したけど、みんな私と同じことを言った、と
いうのです。でも、自身の心の中は全く解決できていない。


マツダ先生に相談してみて、それでも心の中が落ち着か
ないのなら、警察官をこれ以上続けられない、と
いうのです。


私が思っている以上、サキの心の迷いは深刻であること
が分かりました。私は、マツダ先生は入院中だから、
状況を見ていつか相談してみればいい、としか話すことは
できませんでした。


マツダ先生のお見舞いに行きました。


幸いなことにマツダ先生はことのほか元気でした。
過労が原因で、循環器に支障をきたしたということで、
2週間ほどの入院で、もう明日、明後日には退院する
ということでした。


集まったのは5人。
勉強がよくできたヨッチは医者になったばかりの
インターン、フジ子は介護支援専門員で老人介護施設に
勤務、おじいちゃんの代から続く床屋さんをお父さん
と一緒に営んでいるアツシ、警察官になったサキ、
そして教員志望の私でした。


「いやー、みんなに心配かけたんなだぁ、これこの
とおり、なんともないから。今年、教頭先生になって、
少し張り切りすぎちゃったんだ。学校のためにと思って、
何でもかんでも仕事引き受けちゃってね。


逆に、迷惑かけてしまったよ。みんなを教えていた
30代の頃とは違って歳とったってこと、よーくわかったよ
、ハハハハハ」


元気なマツダ先生にみんなひと安心し、お見舞いと
いうよりちょっとした同級会になりました。楽しく
30分も談笑していたころでしょうか、・・・


赤ちゃんを抱いて病室に入ってきた同級生がいました。
なんと、トモ子でした。


「遅くなって、ごめん」 みんな赤ちゃんを抱っこして
いるトモ子に驚きました。フジ子とアツシが聞きました。


「トモ子の赤ちゃんなの?」
「トモ子、結婚したの?」
トモ子は笑顔で応えました。


「そう、去年結婚してね、この子はもう6か月の
男の子よ」 ニコニコしているマツダ先生は、何もかも
知っているようでした。


「トモ子はいま幸せの絶頂だもんな、カッコよくて
頼りがいのある旦那さんと赤ちゃんも授かってな。
結婚式のスピーチで、早くお子さんをって言ったけど、
そうか、もう6か月になったんだ。


順調すぎるな、ハハハハ」 ヨッチが言いました。


「順調、順調!小児科医でも産婦人科医でもないけど、
母子ともに健康に育ってると、耳鼻科医のボクが保障
するよ」 「ハッハッハハハハハハ」」 みんなで
大笑いしました。


マツダ先生はトモ子に聞きました。
「トモ子、仕事はやめたのか?」
「いえ、仕事はやめてません。今、育休中だけど、
もう少し大きくなったら、お母さんにこの子の
お世話を手伝ってもらって、また保育園に復帰するわ」


それまで、ほほ笑みながらみんなの会話を聞いていた
サキが口を開きました。「…トモ子…保育園の先生に
なってたの?」


「うん、サッちゃん。あの時は、ありがとう……」
みんなは何のことか分かりませんでしたが、マツダ先生
はニコニコしていました。


サキが応えました。「……ありがとう…って……トモ子、
あの時はごめんね、私、もうトモ子とは一生会えない、
と思ってた。


小学校の頃からいろいろとひどいことをして……
ごめんねトモ子……」


「ううん、そうじゃない。私は、いつもサっちゃんに助けて
もらってたわ。大事なところでサッちゃんはいつも私を
救ってくれた。


高3の夏、ソフトボールでミスをして落ち込んだ時も、ずっと
そばにいてくれて、家まで送ってくれた。


私が荒れていた時も……」
「トモ子……。ほんとにごめん」
「そうじゃないよ、あの時もサっちゃんが私を立ち
直らせてくれた。


もし、私がサっちゃんを振り切って逃げていたら、多分、
もう取り返しのつかないところまで、落ちてたと思う。


でも、サっちゃんはしっかり私をつかんで離さなかった。
私をちゃんと捕まえていてくれた。だから…ありがとう、
サっちゃん。


あの後、私はこれじゃだめだ、サっちゃんのように
自分も小さな頃からの希望を叶えようと、勉強して
短大に入り、念願の保育師になれたの。


そこで役所勤めの彼と知り合って、今この通りよ。
ほんとにありがとう、サっちゃんのお陰よ」


マツダ先生はニコニコして聞いていました。私たちは、
詳しいことは分からないけれど、何かしら目には
見えない太くて深い絆がサキとトモ子をつないで
いるんだなぁ、と思ったのでした。


元気なマツダ先生に安心して病院を後にしようとした時、
マツダ先生は私たちに言いました。


「みんな、今日はありがとうな。みんな来てくれて本当に
元気回復したよ。みんな仕事に就き、立派な大人になった
ことが何よりだ。


今、気付いたんだけど、ヨッチの医者にしろ、フジコの
介護支援しにしろ、警察官も床屋さんも保育師も教員も、
直接、人にかかわる仕事をしてる。


人にかかわるってことは、とてもストレスがたまることだ
と思う。でも、それは直接、相手を癒したり、励ましたり、
その人の人生を応援したりできるってことだから、
苦労もするけど、やりがいはあるぞ。


やりがいは、生きがいにつながるからな。
私も教員でみんなを担任して幸せだ。教え子の成長が、
私の生きがいだからね。


みんなが何歳になっても、いつまでも学級担任に変わりは
ないからな。この先もずっと応援してるぞ」


マツダ先生の一言にみんな「はい」と返事をしました。
特に、サキとトモ子はすべてが解決したような晴れ晴れ
とした笑顔で、大きくうなずいたのでした。・・・・












待ちに待った母子同室


初めて陽(我が子)と、24時間ずっと一緒に過ごせる。
嬉しすぎて、前日の夜、同室中はきっと寝れないだろう
からと、いつもより早く布団に入った。


しかし眠れるはずがなく、どんどん目が冴えてきて、
まるで遠足の前のワクワク感、懐かしい感覚。


そして少し寝不足のまま、病院に到着し、GCU
(回復治療室)にいる陽のもとへ向かう。自然といつも
より、少し早歩きで向かう。


途中、すれ違う看護師さんに、「今日から母子同室
ですね!」「陽ちゃんとの時間、楽しんでね〜!」
と声を掛けて頂き、さらに気持ちが高鳴る。


こんなに早く、我が子とゆっくりと過ごせる日が来る
なんて、嬉しくて嬉しくてたまらない。


「陽、お待たせ」カーテンを開き、すぐに声をかけた。
そして予定通り、まずは沐浴。


母親教室で体験した沐浴とは、まるで違う。痛がらない
かと心配していたが、陽はとても気持ち良さそうに
していた。「もう痛がることはないですよ〜」


「陽ちゃんはお風呂大好きですよ!」
「なるべく、皮膚のためにも清潔にしないとね〜」
看護士さんの言葉に、少しホッとし、沐浴の様子を
見守る。


今回は看護師さんのやり方を見て覚え、2回目の母子
同室では、私がすることとなった。


陽、お風呂の時間が気持ち良くて、楽しい時間に
なるよう、母ちゃん頑張るね。


沐浴を終え、全身にワセリンを塗り、服を着せて、
しばらくゆっくりしていると、担当の先生方や
看護師さんが陽のもとに集まり、「時々、様子見に
きますね」


「陽ちゃん、いよいよやねえ〜!」
「陽ちゃん、いっぱいお母さんに甘えておいで〜!」
と次々に声をかけて下さり、まだ退院する訳でも
ないのに、涙が出そうになる。


そして皆に見送られ、小児病棟へ抱っこで移動する。
抱っこしてこんなに歩くのは初めてで、一歩、また
一歩と進むたびに、熱いものが胸に込み上げてくる。


目に溜まる涙をこぼさないよう、上を向きたくても、
足下に気を付けて歩くため、下を確認するたびに
涙がこぼれ落ちた。


さぁ、今から24時間、たっぷり親子の時間を楽しもうね。





1回目の母子同室から、10日後。


2回目の母子同室が始まった。
今回は母子同室後に、陽(我が子)と一緒に家に帰れる。
そう、待ちに待った退院が、もう直前まで近付いていた。


何も問題なく、24時間過ごせますように・・・。
そんな想いで病院へ向かった。


回復治療室から、小児病棟へ移動する際、陽と私は、
お世話になっていた看護師さんたちに囲まれ、


「陽ちゃん、良かったね!」
「陽ちゃん、元気でね!」
「寂しくなるなぁ・・・」
「また遊びに、顔出しに来てなぁ!」


と次々に声をかけて頂き、陽のことだけでなく、
親である私の心のケアまでしてもらえたことで、
「陽を守る」という気持ちで、ここに立っている
私がいる。と改めて思い、看護師さんたちへの感謝の
気持ちが大きすぎて、私は言葉を詰まらせながら、


「ありがとうございました」
「お世話になりました」とだけ言った。


本当はもっともっと、伝えたいことがあったのだが、
これ以上、何か言葉を出すと、涙まで出てしまいそうで、
涙と一緒に感謝の言葉もグッと飲み込むことにした。


泣かないことで「私、強くなりました。もう泣きません。
この子を守っていきます」という強い母親の姿を、
最後くらいは見せたかったのかもしれない。


その後、初めて1人で行う沐浴(もくよく)も、
薬の調合も、薬を飲ませるのも、ドキドキしながらも、
なんとか無事に終え、


前回と同様、大体2時間半の間隔でミルクを飲み、
オムツを替え、全身にワセリンを塗り、少し起きて、
また眠る。この繰返しで、いつの間にかまた
朝を迎えた。


そして、いよいよ 退院。
夫と私の母も来てくれて、スムーズに退院の手続き
を終え、担当の先生が見送りに来て下さり、「昨日から
陽ちゃんスペースがなくなったから寂しいわぁ~」


と仰って頂いたその言葉に、あぁ、確かにGCUの部屋の
中で、陽が一番場所をとっていたなぁ~。と思い
返していると、また涙が出そうになった。


「大変、お世話になりました。ありがとうございました。
これからも、通院などでお世話になりますが、
よろしくお願いします」と夫とともに先生方に伝え、
病院を後にした。


「陽! 初めての外の空気は美味しいか??」
夫が満面の笑みで、陽に話しかけている。
その様子を見て、私も笑顔になる。


陽が産まれてから、約3カ月。ついにこの日が来た。


さぁ、みんなで一緒に我が家へ帰ろう。
これからは、ずっとずっと一緒だね。・・・・


author:『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』より







私は、小学校の頃によくリーダーぶった男の子とケンカ
をしてもめていました。


今思うと可愛いいジャレ合いだったのかもしれないけど、
当時は本気でそのリーダーぶっている一人の男の子が
嫌いでキライでどうしようもありませんでした。


ある日、私は何人かの女子と遊んでいる時にその
男の子がいる集団におもちゃを横取りされまいた。


その時に、もの凄く腹が立ってつい男の子の十円ハゲの
事を口に出してしまったのです。


すると、その男の子は2日間くらい口も聞いてくれ
ませんでした。帰ってお母さんに言うと、


「言いたい事は、いくらでも口がある限り言える。
でも、口に出してしまったら一生消せないんだよ。


だからムッときても、相手がいくら悪くても、
言いたい事は明日言いなさい。


そしたら、次の日に言おうととしてた事がこんなにも、
ちっぽけだったんだと思えるから」と教わりました。
それからは、私は言葉に気を付けるようにしました。
・・・






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