妄想劇場・流れ雲のブログ

趣味の、自己満ブログです。人生は、振り返ることは出来ても、後戻りは出来ない…掲載内容に問題がある場合は、お手数ですが ご連絡下さい。 迅速に対応させていただきます。

妄想劇場・歌物語












大ヒットしたデビュー曲「わたしの城下町」に始まり、
歌手、女優、ダンサーとして幅広く活躍する小柳ルミ子
さんは、2020年、芸能生活50周年を迎えました。


新型コロナのせいで記念イベントも中止になり、一時は
引退も決心したそうですが、ある奇跡的な出来事の
おかげで思いとどまったそうです。


私生活では結婚、離婚問題などをめぐって、
「スキャンダルの女王」の異名も。


ブログを更新 多いときは1日10回も


とても頻繁に更新されているのに驚きました。  
多いときは、1日に10回くらい上げることもあります。
全部1人でやっているので、結構大変なんです。


著名人ブログ・ランキングの「大御所」ジャンルでも、
上位にいらっしゃいますね。  


仕事に限らず、何事もそうなんですけど、自分が好きな
こと、興味のあることは、とことん突き詰める性格
なんです。それが、ちょっと半端じゃないくらい。


告知の時期を管理するのが一番大変かしら。
間違えたり、忘れたりすると大変なので。そうなら
ないように、テーブルの上に紙をおいて、これは
この日にアップするとか、この順番でということを
全部書いて、間違えないようにしています。


趣味のサッカー観戦のほか、愛犬の写真もたくさん
アップされていますね。  


宝塚音楽学校の頃などの一時期を除いて、ずっと犬と
一緒に暮らしてきました。先代の犬が死んだときに、
あの別れのつらさはもう耐えきれないと思って、
2年間がまんしていたんですけど。保護犬との奇跡的な
出会いがあって、飼うことにしました。


ずっと「ルル」という名前を付けているので、現在は
5代目ルルちゃんです。


芸能界に居場所がない 引退を決意した68歳の誕生日


「もう~この業界に私のポジションは無いと感じている」
とか、もう、最悪の精神状態でした。世の中がコロナで
大変なことは、百も承知です。


でも、コロナの中であっても必要とされて、テレビや
ラジオ、雑誌に出ている人がいるわけです。


ということは、私は、この芸能界に必要とされて
いないんだな、私のポジションはもうなくなったんだな、
と思いました。  


だれのせいでもなくて、自分に力がないんだと自分を
責めていたというか。自信も失い、自分がこれから
どういう活動をしていったらいいのか、見失い、
じわじわと真綿でクビをしめられるような状態で、
「ああもう、引退しかないな」となったんです。


戦友だった志村けんさんの死


3月の志村けんさんの死去には、日本中がショックを
受けましたが、特に小柳さんは親しくしていらした
こともあって……。  


けんちゃん(志村さん)は、私のデビュー当時の小柳
ルミ子ショーの前座をやっていたんです。


ザ・ドリフターズのメンバーに入る前の坊や(付き人)
時代から知っているので、戦友、親友、きょうだいです。  


ああ見えてもすごくデリケートで繊細な方なので、
私の方が励ますこともあったし、公私にわたって親しく
していたので、さすがにショックでした。


そうですね。自信とか、モチベーションとか目標とか、
そういうものがあるから、いつも頑張れているんです。
目標も希望もモチベーションも自信も無くなったら、
人前に立てないですよね。


4月25日はデビュー50周年記念日でした。  
もともと、そこに合わせて、新曲の発売やライブ
ステージを計画していたのが、全部駄目になって
しまいました。


だから、「もう新曲も出していただかなくて結構です」
って事務所に言いました。歌う自信もないし、
機会もないし。・・・・  


悔しいですけどね。白旗揚げるのは。ただ、現実を
ちゃんと見据えると、「私は必要とされてないんだな」
と、その時は感じていました。


コロナで仕事もなくなり


2月から数えると、4、5か月ぶりくらいになりますかね。
7月に久しぶりにラジオのお仕事が入ったんです。


その番組で「引退」について……。言ったんです。
そうしないと、うそをついて繕っているのはファンの方
にも失礼だし、自分自身も性格的に決心がつかないのは
嫌なので。それで、いい機会だと思って、生放送ですし。


マネジャーさんは うすうす感じていたのかどうか
わからないですけど。


あと1週間遅かったら……


そうこうしているうちに、2日後、奇跡が起きた?  
ブログのコメント欄で、「週刊文春のコラムで
桑田佳祐さんが、ルミ子さんのことを絶賛している」
と教えてくれた人がいて、即、購入して読みました。


そうしたら、もう体が震えて、号泣しちゃって。
このタイミングで、桑田さんがこのように私の事を
分析して、私自身が失いかけていたキャラクターを
しっかり見てくださっていたというのが、もう
うれしくて。


コラムによると、「最強のエリート歌姫」は、
小柳ルミ子であると。その五つの理由として、


「歌がうまい」「エロい」「踊りが上手(うま)い」
「芝居が上手い」「脱げる」。  


私が自己分析する小柳ルミ子そのままなんですよ。
ちなみに桑田さんとご親交は?  


サザンオールスターズがデビューした頃に、
バラエティー番組でご一緒しました。
当時のサザンのマネジャーが、(以前所属していた)
元渡辺プロで、よく知っている人だったんです。


その時以来、お会いしていないんですが、桑田さんは
歌手小柳ルミ子の引退の危機を救ってくれた命の恩人です。


ブログのコメント欄でコラムの存在を教えてくださった
人にも感謝です。コラムがあと1週間遅かったら、私、
引退していたと思いますから。


これはもう神がかっているというか、
奇跡に近いと思います。 ・・・・












それからのぼくは、全くもって「大丈夫」ではなかった。
先生のおかげで、自分は「ふつう」ではない人間なのだと、
気づかされてしまったからには、どうすればふつうの
男の子っぽくできるかを、四六時中考えていなければ
ならなかった。  


歩く時も、座る時も、喋る時も、常に周りの目を気に
して「ふつうの男の子」を装った。


ただ、好きなアニメや、興味のあるものだけは、
変えることが、どうしても出来なかった。


ぼくが大好きな『美少女戦士セーラームーン』という
アニメは、3つ下の妹がいたのでなんとか一緒に観る
ことができた。


だけど、女の子の観るアニメだから、ぼくは、セーラー
ムーンが大好きなことを誰にも話さなかった。ぼくが
1人でセーラームーンを観ていると、父や母が少し悲し
そうな目をするのを知っていたからだ。  


しかしぼくには、セーラームーンのおもちゃを手に
入れるための、とっておきの秘策があったのだ!
年に1回のチャンスに全エネルギーをかけた  


もうすぐクリスマス。クリスマスにはサンタクロース
という親切なおじいさんがやって来て、僕が1番欲しい
ものをプレゼントしてくれる。


年に1回のチャンスに、ぼくは全エネルギーをかけていた。  
「サンタさんに、何をお願いしたの?」  


そのころ、母は焦っていたようだ。何日にもわたり
ぼくに質問をした。


「サンタさんに、何をお願いしたの?」とか、
「何が欲しいか、お母さんからサンタさんに伝えて
あげるよ」と。


それでもぼくは絶対に言わなかった。女の子の物を
欲しがって、母を悲しませたくなかったからだ。


「自分でちゃんと伝えてるから大丈夫!」  
ぼくは、なるべくやんわりと、母の申し出を断ったが、
それでも母は引き下がらない。


「どんな事に使うものなの? 
テレビをつかって遊ぶもの?」「動くもの?」
ぼくは首を振った。


「それを使うと、どうなるの?」
「魔法みたいなことがおこるよ」  
ついポロっと出た言葉だった。シマッタ!と思い、
これ以上何も答えないでおこうと思った。


母は「どんな魔法?飛ぶもの?と聞いてきたが、
ぼくはこれ以上何も話さなかった。


いよいよクリスマス当日  


クリスマス当日、目を覚ますと、枕元には、緑色の
包装紙に包まれたプレゼントの箱が置いてあった。


ぼくは飛び起きて、その箱を大事に抱えクリスマス
ツリーの前に急いだ。


「ありがとうございます、サンタさん!
起きてきた母が、プレゼントを開けてみろと言ったが、
ぼくは首を横に振った。


プレゼントを開けるにはまだ早い。母が見ている前で
開けてしまうと、ぼくがサンタさんにセーラームーン
のおもちゃをお願いしたのが、バレてしまうと
思ったからだ。


「好きにしなさい」と言って、母が朝ごはんを作るため
に台所に向かったとき、ぼくは急いで食卓テーブルの
下にもぐりこみ、大人の目の届かないそこで、丁寧に
包装紙を開いた。


包装紙に包まれていたものは、トランシーバーセットの
箱だった。ぼくは感激した。ぼくが、父や母に「内緒」
でセーラームーンのおもちゃを欲しがっていることを、
サンタクロースはわかっていたに違いない。


セーラームーンの箱があればバレてしまうから、
あえて箱を変えてくれたのだ。なんて物分かりの良い
サンタクロースさんなのかと思ったのだ。  


だが、その箱の中から出てきたのは、紛れも無く
「トランシーバーのセット」だった。  


目を疑った。声も出ず、動けなかった。思考回路は
ショート寸前。心の中で、何か大切なものが、音を
立てて崩れていくのを、傍観するしかなかった。


ぼくは、トランシーバーを手に取り、それを見つめた。
そして思った、なんとも男らしいプレゼントだと。


徐々に思考回路が復旧するにつれ、サンタクロースの
事情というものを悟ったぼくは、心の中で崩れたばかり
の何かを、きっぱりと捨てさることにした。


そして、トランシーバーを握りしめ、母の元へと歩き
出した。できる限りの笑顔で・・・。


欲しかったセーラームーンのおもちゃは 「良かったね! 
けど、サンタさん、間違えてなかった?」  
気まずそうな笑顔をみせた母に、ぼくは全身全霊の
笑顔で言った。


「ちょっと間違えていたけど、こうゆうのが欲し
かったんだ。ありがとう!」  


母は、少しホッとしたように「お母さんじゃなくて、
お礼はサンタさんに言いなさい」と言った。


「あ、そうか」と思い、僕はおもむろにクリスマス
ツリーの前に正座した。なるべく、いつものように
さりげなく。そして、クリスマスツリーに手を合わせ
てみたが、なんだか、ばかばかしかった。


その時ちょうど、3つ下の妹が起きてきた。妹は起きて
早速プレゼントを開けたみたいだ。妹の手に握られて
いたのは、サンタクロースから届いたばかりの、
セーラームーンのおもちゃだ。


ぼくが、まさに、欲しかったそれが、妹に届いていた
のだ。 それを、妹に貸してもらえることはなかった。
ぼくにとって一生忘れられないクリスマスとなったのは
言うまでもない。


笑いを取るのが上手だった


小学4年生の時の担任の先生は「福士先生」という若い
男の先生で、いつもわざとらしくヘラヘラとしていて、
よく冗談を言って、みんなの笑いを取るのが上手な
先生だった。  


母はぼくに「福士先生でよかったね!福士先生って
お母さんたちの間でも、すごく人気があるみたいだよ」
と言った。


ぼくも、福士先生で良かったと思っていた。
あの日までは……。  


ある日、ぼくが1人で廊下を歩いていると、3年生位の、
調子のいい年下の男の子がぼくを指差して、叫んだ。
「うわー!『オカマ』だ!感染(うつ)るぞ、
逃げろー!」彼は「わー」と叫びながら廊下を走って
いった。


廊下の先には階段がある。ぼくは「そのまま階段から
落ちればいいのに……」と思いながら、彼の後姿を
みていたが、この一部始終を、福士先生は見ていたのだ。


「なんで『オカマ』って言われるのか、考えたこと、
ある?」福士先生の視線に気付いたぼくはゾッとした。
面倒なことにならないようにと祈る思いだった。  


目が合うと、先生は薄気味悪くニコっと笑って、
手招きをした。誰もいない教室だった。座るようにと
言われ、適当な席に座ると、先生は、向かい側から、
ぼくを見下ろすように、机に腰をかけてこう言った。


『オカマ』って言われて、悔しくないの?」  
ここでぼくが「悔しい」とか「悲しい」と言うと、
さっきの子が叱られちゃうんじゃないかと思った。


だからぼくは考えた。あの子を叱ってもらうべきか否か。
正直あの子は迷惑だ。叱られるのはかわいそうだけど、
ぼくが気にしてやることではない。


「悔しいです……」 これであの子は叱られるはずだ。
そしたらいちいち廊下で「オカマ」って叫ばれる事も
無くなるだろうと思ったが、福士先生が考えていることは、
そうではなさそうだった。


「じゃあ、なんで『オカマ』って言われるのか、自分で
考えたこと、ある?」「七崎くんが、ぶりっ子してる
から、じゃないかな?」  


話がどこへ向かっているのか、うっすらと先が見えた
ような気がして、ぼくは恐る恐る答えた。
「……ない……です」  


考えたことがないだなんて嘘だけど、そう言うしか無い
と思った。怒られるかもしれないと思い、福士先生の
顔を見上げると、福士先生はまだニコニコしている。
とても不気味に感じた。


福士先生はこう続けた。「七崎くんが、ぶりっ子してる
から、じゃないかな?」  


ぼくは怖くて下を向いた。言葉を発することもでき
なかった。


「ぶりっ子してるから、先生からみても、七崎くんは
『オカマ』に見えるよ。だから先生も、さっきの子の
気持ちがわかるもん。そのまま大人になっちゃったら
大変だよ。


恐怖と苦痛しか感じなかった。ぼくのことを心配して
くれているようで、全否定されていることは、小学
4年生でも十分理解できた。


さっきの子を叱ってもらおうと思っていた、自分がバカ
だった。ぼくはぶりっ子をしていないし、納得がいか
なかったが、この先生に理解してもらうのは難しいこと
を悟った。


「簡単なことなんだよ? ぶりっ子しなきゃいいだけ
なんだからね」ぼくは頷いた。早くここから出たい。


「最初は大変かもしれないけど、少しずつ、ぶりっ子
しないように頑張ろうよ!」ぼくはさっきよりも大きく
頷いた。


福士先生と同じ空間にいることが、これ以上耐えられ
そうになかった。


相談できる大人は誰もいない きっと、この先生のように
「ぶりっ子をやめろ」と言われておしまいなのだ。
誰もわかってくれないし、もう誰も信じられない
と思った。  


福士先生とのこの出来事は、誰にも言わなかった。
母は福士先生を良い先生だと信じて喜んでいたし、
クラスのみんなも福士先生の冗談をよく笑っていたから、
それで良かった。


でもぼくは、この出来事から一切、教室では笑わ
なかったし、福士先生と目も合わさなかった。
福士先生を軽蔑することで、心の中の悲しみを、
せき止めようとしていた。 ・・・・






×

非ログインユーザーとして返信する