妄想劇場・流れ雲のブログ

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妄想劇場・THE ライフ












酔いつぶれた人を介抱するのは誰の責任か。多くの人が
直面したことがあるだろう事態に、一つの判断が下された。


平成29(2017)年12月に近畿大2年の男性が
テニスサークルの飲み会で多量の酒を一気飲みして
死亡した問題。


大阪府警は5月、保護責任者遺棄致死容疑で飲み会に
参加せず介抱していた学生全員を書類送検した。


一方、飲み会に参加していた上級生の一部は書類送検
を見送った。


一見、不公平に思える刑事責任の有無。


判断の分かれ目はどこにあったのか。
ウオッカを一気に…飲み会の開始から30分が過ぎた
ころだった。


午後7時半ごろ、近大キャンパスに近い大阪府東大阪
市内の居酒屋2階の宴会場に、ウオッカが入った大量
のショットグラスが運ばれてきた。  


この日はテニスサークルの役員交代名目の飲み会で、
3年生8人と2年生3人の計11人が参加。


飲み会では下級生が大量の酒を飲み盛り上げるのが
慣例だ。すでにビールを数杯飲んでいた2年生は、
ショットグラスのウオッカを次々とビールグラスに
移していった。  


2年生の登森勇斗(ともり・はやと)さん=当時(20)
=はそれを2回、一気に飲み干した。


まもなく長いすで横になり、呼びかけにも反応しなく
なった。  


飲み会が終わったのは午後9時ごろ。それに合わせる
ように、2年生8人が会場に現れた。


「はけさし」。意味は不明だが、サークル内でこう
呼ばれる介抱役の学生たちだ。


登森さんの様子を見ると、スマートフォンで急性
アルコール中毒について検索。体温の低下など当て
はまる症状があり、残っていた3年生4人に相談した。


「就職に影響が…」  


「急性アル中かもしれない」。3年生らはこう思ったが、
救急車を呼ぶことはしなかった。


登森さんの年齢を知らず、「もし未成年だったら自分
たちが処分されるかもしれない」「先輩の就職にも
影響が出るかも…」と心配したためだ。  


結局、学生らは自分たちで登森さんを2年生の自宅
へ搬送。翌朝、登森さんは呼吸が止まり、救急搬送
されたが、嘔吐(おうと)物をのどに詰まらせて
死亡した。  


大阪府警に書類送検されたのは、相談を受けた3年生
4人と介抱役の8人。


先に帰った3年生と当初から飲み会に参加していた
登森さん以外の2年生2人は立件を見送られた。  


判断を分けたのは、登森さんの状態に対する
認識の差だった。  


書類送検された学生らは登森さんの様子を把握し、
ほとんどが急性アル中を疑っていた。


これに対し、2年生2人は登森さんと同様、下級生
として大量に飲酒しており、正常な状態ではなかった
という。  


一方、帰った3年生は登森さんが酔いつぶれている
こと自体は知っていた。だが、保護責任者遺棄致死罪
の成立には、生命・身体への危険性を認識している
ことが必要となる。


府警は介抱役がいたことに注目。


3年生らは登森さんが危険な状態になれば介抱役らが
救急搬送すると考えられる立場にあり、自分たちの
帰宅が登森さんの死につながると認識していた
とはいえない、と判断した。


悲劇繰り返さぬために  


今回の判断を、専門家はどうみるか。甲南大法科大学院
の園田寿教授(刑法)は、介抱役について「先輩に
相談はしているが、軍隊などのように上の命令が絶対の
組織ではなく、救急要請をしようと思えばできる立場」
と指摘。


(立件された)上級生と同じ罪というのはかわいそうな
部分もあるが、保護責任を果たしておらず、立件は当然
といえる」としている。  


立件されなかった上級生については「今回は立件されて
いないが、介抱役に任せて帰ることが許されるとは
かぎらない」とも。


注意義務を怠ったとして過失致死罪に問われたり民事上
の賠償責任が生じたりする可能性もあるという。  


近大によると、このサークルでは28年にも合宿で
メンバーが急性アル中で搬送されていたが、大学側が
把握したのは、今回の飲酒死亡問題が起きた後のこと。


非公認団体のサークルだったが、若者を抱える大学の
指導のあり方にも課題を残した格好だ。・・・・












高校卒業後、初めてのアルバイトでパニックに陥った
直後から、サトルさん(21)=仮名=は、家に
こもりがちになった。


当時19歳。人と関わるのが嫌で、お金を使わず現実
を忘れられる戦闘ゲームにのめり込んだ。


サトルさんに言わせれば、社会への一歩を踏み出す気力
を養うための「充電期間」。


だが両親からは、何度も病院や相談機関に足を運ぶよう
勧められた。何度か従ったものの「支援の押し付け
じゃないか」と納得できない思いは消えない。


「周囲に心を壊された」と感じているのに、両親から
「あなたは病気かも。治さないと」と言われると
「僕がおかしいわけじゃない」といら立ちが募った。  


誰も信じられず、相談できる人もいない。


深い孤独に陥り、生きる意味を探していた。   
実家のリビングに飾られた何枚もの家族写真。
はにかんだ笑顔を浮かべる幼いサトルさんの姿もある。


「20歳まで生きていない」。折に触れ、そう口にする
ようになったサトルさんに、両親の焦りは募っていた。


支援窓口へ救いを求めても「本人が来ないと」。
さらに学卒者は支援対象に含まれないと突き放された。  


サトルさんの20歳の誕生日が迫るにつれ、両親は
「どうか、今日も生きていますように」と祈りながら、
出勤前と帰宅時に息子の安否を恐る恐る確かめる日々
が続いた。  


普段は優しく、物知りなサトルさん。だが時折、
口論になると手が付けられなくなった。


心を閉ざす息子が何を考えているのか分からず、
戸惑い続けた。  


2019年夏。川崎市で児童らを殺傷し自殺した男が
ひきこもりがちだったことから、ひきこもりと犯罪を
安易に結び付ける報道が過熱した。


直後には、元農林水産事務次官がひきこもり状態に
あったとされる長男を刺し、逮捕される事件も起きた。  


万が一、この子が事件を起こしたら-。ニュースを
見るたび強い不安に襲われた。


「親の死後、他のきょうだいや世間に迷惑を掛ける
ことがあれば、私たちは死んでも死に切れない」。
母リョウコさん=仮名=は話す。  


ひきこもりからの自立支援をうたう民間業者の存在を
知ったのは、そんな時だった。「ここに頼るしかない」。


サトルさんが20歳を迎える誕生日まで残り1カ月。
両親はすがる思いで、業者に息子を託すことを決めた。


そして。・・・・  


ある日突然、自宅から神奈川県内の全寮制施設に連れ
出されたサトルさんには入寮後、壮絶な日々が
待ち受けていた。  


「親だからといって、子どもに何をしてもいいわけ
ではない」。いま、サトルさんは問い掛ける。親と子の
思いは交わることがない。


奪われた自由  


少しずつ、考える力が失われていくように感じた。
「自由を奪われてただ生きる『飼い殺し』状態だった」。


当時19歳だったサトルさん(21)=仮名=は、
沖縄本島の実家から突然連れて行かれた神奈川県内の
全寮制施設の生活を振り返る。  


施設は、畑や山に囲まれたのどかな場所にあった。
毎日、午前7時15分までに食堂へ集まり、
スタッフが見守る中で寮の周りを散歩する。


その後は「自習」時間。午後はランニングなどをして
過ごした。消灯は午後10時ごろ。


スタッフが夜中、見回りに来た。テレビのない5~6畳
ほどの部屋で基本的に2人1室で寝起きし、掃除も
料理も自分たちで行う。


「刑務所にいるようだった」と話す。  


スマートフォンや運転免許証、現金の入った財布も、実家
を連れ出される時に預けたまま。施設の玄関は開いて
いるが、小型カメラが設置されていた。  


「小遣い」は月に3千円。週1度、スタッフ同行で買い物
に行き、おやつや本などの代金を支払うときだけ現金を
渡された。


支払った後も手元に1円も残らないよう、お釣りや
レシートを厳重に管理された。寮生の中には数年、
滞在している人もいた。


先の見えない日々に、「いつかは」と考えていた大学受験
はさらに遠のいたように感じた。


「家を連れ出される前に、死んじゃえば良かった」。
何度もそう思った。  


「何が食べたいとか、どこに行きたいとか、当たり前の
自由がなかった」。


故郷沖縄から遠く離れた、誰一人知り合いのいない施設
の中で、20歳の誕生日を迎えた。  


「このままだと自分は、駄目になる」。


サトルさんは「脱走」の計画を練り始めた。施設から
逃げ出そうとして見つかり、連れ戻された寮生の姿を
見たことがあった。


絶対に失敗はできない、と思った。


だが沖縄に帰りたくても、飛行機代どころか、施設から
離れるためのバス代も電車賃さえもない。


施設から出た後は、近くの森にしばらく隠れて過ごす
つもりで、わずかな「小遣い」で非常食を買いためた。
寮の本棚で施設周辺の地図を見つけ、見ず知らずの土地の
地理を頭にたたき込んだ。


ちゃんと助けを求められるよう、自身が置かれた状況を
第三者に説明するときの「台本」も準備した。  


入寮2カ月目の2019年10月11日。小型カメラの
映像をスタッフが見ていないことを祈り、全速力で施設
の入り口を駆け抜けた。


着の身着のまま、誕生日に親が送ってくれた「ちんすこう」
と、わずかな食べ物、ペットボトル2本を携えて。
自分の身分を証明できるものは何一つ、なかった。


帰る場所無く  


同級生が成人式で盛り上がる今年1月。神奈川県内の
全寮制施設を飛び出した沖縄出身のサトルさん(21)
=仮名=は、ネットカフェを転々としていた。


初めて過ごす県外の冬。なけなしの金を節約するため、
昼間は当てもなく街をうろついた。食事は1日1食。
水を飲んで腹を膨らませた。


「寒くてみじめで。なぜこんなことに」。


むなしさが込み上げた。昨年10月、施設から逃げ、
助けを求めて近くの役場に駆け込んだ。


運転免許証もスマホも持たず、自分を証明するものは
何もなかったが、同じような人が過去にいたのか役場
職員はすぐに事情を察してくれた。


毛布をかぶせてかくまい、生活保護手続きができる別の
庁舎まで車で送ってくれた。身を縮め「見つからない
ように」と祈り続けた。  


「やっと安心だ」と思ったのもつかの間だった。
行政に紹介された無料低額宿泊所では、さまざまな事情
でホームレス状態になった中高年の人たちと集団生活を
余儀なくされた。


月に約11~13万円の生活保護費から宿泊費や食事代
など8万9千円が差し引かれ、手元に残った数万円も
宿泊所の「先輩」の飲酒代などに消えた。


「お前の親を知っている」と脅す人もいた。  


今年の元日。度を越した金銭要求に耐えきれず、サトル
さんは宿泊所からも逃げ出した。  


親に連絡しても、沖縄に戻ってくるよう促す言葉はなく
「そこで頑張れるなら、頑張ってほしいと突き放された」。


帰る場所はもう、なかった。  


現在、サトルさんは関東地方で暮らしている。
1月中に別の無料低額宿泊所へ移って必死で生活を
立て直し、アパートを借り、スマホや通帳も手に入れた。


ここまで来られたのは、施設でも、両親でもなく
「自分の力だ」と語気を強める。  


今も、施設スタッフが突然現れて再び入寮させられる
悪夢に悩む。両親や業者に抱く負の感情に苦しみながら、
貧困状態からは抜け出せず、未来は描けない。


自宅から連れ出されてから428日がたった10月下旬。
「なぜ『引き出し屋』に頼んだの」。悶々(もんもん)
とした思いを抱え1泊2日で帰郷し両親と再会したが、
納得のいく返答はなかった。


「きっと冷静に向き合えない」との思いから、実家には
泊まらず、安宿で過ごした。両親もまた、それを望んだ。  


ひきこもりの人や家族への公的支援が乏しいがゆえに、
本人の意に寄り添わない形で業者が入り込み、親子関係
の修復は見通せない状況に追い込まれた。


施設には、沖縄出身者がほかにもいたという。
サトルさんは「同じ目に遭う県出身者が二度と出て
ほしくない」と願い、言葉を振り絞った。


「428日前の『あの日』に戻してほしい」 ・・・・





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