妄想劇場・流れ雲のブログ

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妄想劇場・歴史への訪問











むかしむかし、ある田舎の娘さんが、町のお金持ちの
家へ働きに行きました。


でも、田舎で育った娘さんは、ていねいな言葉をうまく
使うことができません。


お客さんに、お茶を出すときも、「茶を飲め」などと
言うので、お金持ちのおかみさんは困ってしまいました。


そこで娘さんに「お客さんには、ていねいな言葉を
使わなくてはいけません。


何でも言葉の初めに『お』という字をつけて言いなさい。
そうすれば、ていねいな言葉になりますよ」と、
注意したのです。


(茶に『お』をつければ、お茶。なるほど、『お』
という字をつければいいんだな)


それから娘さんは、いろいろな言葉に『お』という
字をつけてみました。


ネコは→おネコ、カラスは→おカラス、カボチャは
→おカボチャ。(これで、もう大丈夫!)


娘さんは『お』という字をつけた言葉を、早く使い
たくてたまりません。


家の前でウロウロしていたら、ネズミがどぶに落ちて
死んでいました。


娘さんはさっそく、おかみさんの部屋にかけつけて、
「おおかみさん、おネズミがおどぶに落ちてお死んでる」
と、言いました。


おかみさんと一緒にいたお客さんは、それを聞いて
大笑いです。


お客さんが帰ったあと、おかみさんは娘さんに
言いました。


「何でもかんでも、『お』という字をつけては
いけません。役に立つときだけ、『お』の字を
つけなさい」


(そうか、役に立つときだけか)


さて、その晩のこと。
お金持ちの家族が晩ごはんを食べているところへ、
娘さんがお味噌汁を運んできました。


ふとおかみさんを見ると、おかみさんのおでこに、
おひたしのなっぱがついています。
そこで娘さんは、大声で言いました。


「かみさん、でこにひたしのなっぱがついて、
かしいだよ」


(・・・ああ、この娘には、何と言ったらわかるのだろう)
おかみさんは、ガッカリして、「そういう時は、
『おかみさん、おでこにおひたしのなっぱがついて、
おかしいですよ』と言うんですよ」と、言い聞かせました。


すると娘さんは、ニッコリわらって、「おやっぱり
『お』の字をおつけたほうが、おいいんだべ」
と、言ったのです。


・・・おしまい


鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、そばで 地蔵が食べたがる









親鸞聖人の教えを大変喜ばれた西元宗助(1909 ~ 1992)
先生が、大学卒業後、軍隊の召集を受けて台湾におられた
時のことです。


先生は十数名の仲間の兵隊の先頭に立って、台北の町外れ
にある熱帯植物園を目指して歩いておられたのですが、
どうしたことか どうしても目的地に着けないのです。


少し不安な気持ちになっていた時、若い兵隊の一人が、
「ちょっと待て」といって駆け出し、街角のタバコ屋の
おばさんに植物園の道を尋ねたそうです。


すると、そのおばさんは、あきれたような顔をして
「道が違いますよ。来た道を引き返さなくては」と言って、
親切に道順を教えてくれたのです。


おかげで一行は何とか、植物園にたどり着くことが出来た
ということです。


その時、道を聞いた兵隊が、迷える者は道を問わずやな」と
言ったというのです。


この言葉を聞いた先生はハッとされ、まだ二十歳過ぎた
ばかりのその若い兵隊に、この言葉を誰に教えてもらった
のか尋ねたのです。


するとその若い兵隊は、地べたに指で「迷者不問道」と
書きながら、僕は君とは違って田舎の小学校しか出て
いないんだ。


で、僕の知っている漢文はこれだけなんだ、と言いながら
次のような話をしてくれたのです。


「高等小学校を卒業の日に、受け持ちの先生が次のように
言われた。 いよいよこれで諸君とお別れになる。ところで、
この中には家庭の事情などもあって上の学校に進まないで、
直ちに実社会に出て勤める者もいる。


こう先生は仰せになりながら、私たちの顔をじっと見つめ
られて、諸君の将来のことをアレコレと想い、実は昨夜は
あんまり眠ることが出来なかった。


そこで思いついたのであるが、上の学校に進む者を含めて
諸君に一つ、自分が平素から大切にしている言葉を、
諸君の卒業のはなむけの言葉として差し上げようと思う。


それはといって黒板に大きく書かれたのがこの、
迷える者は道を問わず、の文字でした。


そして先生は、あらためて我々一人一人の顔を見渡しながら、
「よいか、この言葉を忘れないで、つねに謙虚に心を
むなしうして、分からないことは何事も、信頼のおける
人々に問い尋ね、教えをこうことが大切です。


このような心がけさえ持ち続ければ、実社会がそのまま
生きた本当の学校になりましょうと、このように
言われたのです」 と、目を輝かせながら、その若き兵隊が
話してくれたのです。


この話を聞かれた西元先生は、知ったかぶりをして道を
尋ねようとしなかったご自分の行動を大いに恥じ、この
兵隊さんを教育された名もなき小学校の先生の
「迷える者は道を問わず」という言葉に、深く心を打たれた
とおっしゃっておられました。


確かに私たち人間は、少しばかり知恵や知識が身について
きますと、何もかも分かったような顔を して、人に問い
尋ねることをしなくなります。


聞けいいのに、「こんなこと今さら聞けん。沽券にかかわる」
というはからい心が邪魔をするのです。 


この「はからい心」のもとにあるものが驕慢心(おごり、
たかぶり、自惚れ)という煩悩なのです。


つまり、「迷える者は道を問わず」という「迷える者」とは、
そういった驕慢心に振り回され、知ったかぶりをしている
人のことを言うのです。


なぜなら、自分は迷っていると気付けば、正しい道を問わず
にはおれなくなる筈です。迷っていることが分かっておらない
から道を問おうとしないのです。


わずかばかりの知識をひけらかして、まじめに道を問い
尋ねることもせず、迷いに迷いを重ねているのが、
私たちなのです。


教えを聞くことで今一つ大事なことは、人の言うことをただ
聞きさえすれば良いというものではないということです。


先ほどの植物園への道を尋ねる場合でも、タバコ屋の
おばさんが正しい道を知っていたからよかったようなものの、
もし誤った道を教えられていたらどうなっていたか、
考えれば分かることです。


つまり、それが正しい教えかどうか、見極めるということが
大事になってくるのです。 だから、小学校の先生も、
信頼のおける人に聞きなさいと念を押しているのです。
・・・・





夫の父は歴史が好きで郷土の歴史に精通していた。
嫁いできたとき、学校で学んだことしか知らなかった
私に郷土の偉人について熱く語ってくれた。


今でも忘れられないのは大久保諶之丞(じんのじょう)
という郷土史に残る人物の言葉であった。 「


いつの日か瀬戸内海に道が通じて四国と本州を行き
来する日が来る」 父はその言葉を心から信じていた。


私は人間が初めて月へ上陸したときには、子供のころ
読んで育った鉄腕アトムの影響で不思議な気持ちは
しなかった。


けれども短大時代に本州へ渡るとき、連絡船に乗り
換えて、1時間海を見つめてきた私は、そんな大きな
深い海に道ができることなど考えにも及ばなく奇跡
を聞いている思いであった。


月日がめぐって私が3人の子の母になったとき、
私は再びその言葉をニュースで耳にした。


それは瀬戸内海の小さな島々を拠点にしてつり橋を
架けていき、本州と四国をひとつなぎにする巨大な
橋の計画だった。


長い長い工事の果てに海中に1本の道が現れた。
銀色に輝くつり橋は優しい姿で、本州に近づくに
つれて息子が遊んでいた超合金のグレートマジンガー
を思わせる優雅で力強い橋であった。


私は父に一目見てもらいたかったと心の底から思った。
父は私に海中の道を語ってくれた3年後に病で天に
旅立ってしまった。


瀬戸大橋を見るたびに私は「お父さんに見せて
あげたかった…」と思わず口にしてしまう。


父の心はひとすじに偉人の言葉を信じていた。
未来に夢を見つめていた。 ・・・・






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