妄想劇場・流れ雲のブログ

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妄想劇場・妄想物語














まだ日本が貧しかった頃、とある雪国に住む若い夫婦の間
に1人の子供が生まれました。


両親の愛を一身に受けて男の子はすくすくと育ち、貧しい
ながらも家の中にはいつも温かい空気が満たされて
いました。


しかし男の子が5歳になる前の冬、悲劇が起こります。
吹雪で何日も外で遊べないことに我慢できなくなった男の子
は、両親が目を離した隙に外へ遊びに出かけ、そのまま
帰ってこなかったのです。


両親は狂ったように、何日も猛吹雪の中で我が子の名を
叫んで探しました。しかしその叫びに答えるのは、無情にも
男の子を飲み込んだ吹雪の音だけでした。


そして何年かが経った後、あの夫婦の家から元気な泣き声
が聞こえます。そうです、男の赤ちゃんが生まれたのです。


赤ちゃんの顔を見た両親は驚きました。
兄弟とはいえ、いなくなった男の子に瓜二つだったのです。


「この子はあの子の生まれ変わりに違いない。」
そう考えた両親は、この赤ちゃんに兄と同じ名をつけ、
愛情を注いで育てました。


そんなある日、この子も5歳を迎えました。しかし家は貧しく、
七五三のお参りに着せてあげる服を買うことなど到底
できません。


「かわいそうに…ごめんね。」


そう言いながらも、お母さんはあてもなくタンスをかき回し、
あるはずもない晴れ着の幻を見ていました。


ところが、何とその奥から男の子用の晴れ着が出てきた
ではありませんか。


「どうして家にこんなものが…。」
「とにかく、これで七五三のお祝いをしてあげられる!
きっとこれは神様からの贈り物なんだよ。」


夫婦は手を取り合って喜び、早速七五三のお祝いをして
あげました。


実はその着物は、あの日いなくなった男の子のために、
今は亡くなったおじいちゃんおばあちゃんが何とか工面して
買ってあげたものでした。


夫婦は見た目も名前も同じ男の子を育てるうちに、亡くなった
兄と弟を同化させてしまい、いつしか記憶すら塗り替えて
いたのです。


そして、この夫婦は知りませんでした。
この家の裏山、人知れぬ場所に、子供くらいの背丈の夏に
なっても溶けない不思議な雪だるまがあることを。


その雪だるまは、家の中から楽しそうな家族の笑い声が
する度に、子供の名前が呼ばれる度に、目のあたりが
少し溶け出すように見えたのだそうです。・・・












「明日からやろう」と7回言えば、1週間が過ぎる。
「来週からやろう」と4回言えば、1ヶ月が過ぎる。


なぜ「今日」ないし「今週」やれるはずのことを
しないのだろう。


今日、何もしなければ、明日は今と同じところから
始めなければならない。今日一つすれば、明日は
一つ進んだところから始めることができる。


世界中の人に共通する法則だ。


動かなければ、何も始まらない。夢も希望も理想も、
現実へ変換させる第一歩は動くことだ。
多くの人が、その一歩を先延ばしてしまう。
「もうこんな時間か。明日からがんばろう」
「もう今月も半分が過ぎた。来月からがんばろう」


こうして区切りのよいところを求めすぎてしまうと、
時間ばかりが無駄に過ぎていく。


今日がたとえ2時間しか残っていなくても、その2時間
を集中することは、明日につながる。


今月が半分過ぎていたとしても、残りの半分を全力に
なることは、来月につながる。


今を有意義にできない人が、どうして明日から有意義
になれるのだろう。


今、あなたが動くと決めることが大事なのだ。
「これまで」ではなく、「これから」どこへ向かい
たいかが問題なのだ。


「5羽のカモメ」のお話し。


5羽のカモメが防波堤にとまっている。
そのうちの1羽が飛び立つことを決意した。
残っているのは何羽だい?


・・・・・4羽です。


そうじゃない。5羽だよ。
誤解されがちだが、決意そのものには何の力
もないんだ。


そのカモメは飛び立つことを決意したが、
翼を広げて空を舞うまでは防波堤にとまったまま。
残りのカモメとどこも違わない。


人間だって同じだよ。
何かをしようと決意した人とそんなこと考えても
いない人とでは何の違いもないんだ。


ところが人は、他人のことは行動で判断するのに、
自分のことは決意で判断することがよくある。


しかし、行動を伴わない決意は、期待してくれて
いる人に対する裏切りでしかない。・・・・







夏目漱石(1867~1916年) 作家、
夏目漱石は教師としてうまくいかず作家となった人です。
大作家である偉人にも、多くの失敗があったんだと・・・。


漱石の生い立ち


夏目漱石の顔は千円札にのっていたことがあるので、
見おぼえがあるのではないでしょうか。


夏目漱石というのはペンネームで、本名は夏目金之助
といいます。 東京の裕福な家にうまれましたが、5人目の
子どもだったため、うまれてまもなく養子に出されて
しまいました。


そのあと実家にもどれたのですが、またすぐに養子に
出されたので、小さいころは、実の両親のことをおじい
ちゃん・おばあちゃんだと思っていたのです。


さびしい子ども時代でした。 勉強はできたほうでしたから
(とくに英語はよくできました)、帝国大学(今の東京大学)
の英文科に進み、そのあと英語の教師になりました。


でも、このころから少しずつノイローゼという心の病気に
かかりはじめたのです。


英語を生徒にどう教えるかを研究するために、イギリスに
留学までさせてもらったのですが、イギリスでその病気が
ますますひどくなり、2年で日本に帰ってきてしまいました。 


帰国後はまた学校で教師をしました。 けれど、どうも授業は
つまらなかったらしく、生徒からの人気もなかったうえ、
教え子が一人、自殺してしまうという事件もあり、また心の
病気が悪くなっていったのです。


ノイローゼの気晴らしに小説を書く


その病気を治すために、気晴らしに書いたのが、
『吾輩は猫である』という小説でした。


小説の最初の文章である「吾輩は猫である。名前はまだない」
は、とても有名なので、知っているかと思います。


その小説がおもしろいと評判になり、小説を書きつづけて
いきたいと思うようになったのです。それが、37歳のときでした。


そのあとは小説に集中するために、教師をやめ、朝日新聞
に入社して、とにかく物語を書きつづけました。


それまでの経験を生かして、楽しい小説だけではなく、人間
の心の中の悩みや苦しみ、いったい何が正しくて、何が
正しくないのかなどをとりあげた小説もたくさん書きました。


その中から名言です。









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