妄想劇場・流れ雲のブログ

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妄想劇場・森羅万象













長崎市を訪れた人びとに、平和の大切さを語る和田耕一さん
(長崎平和推進協会当時七十九歳)の実話。


長崎市は坂の街です。
山の中腹まで広がる街並みのふもとを今日も、
名物のチンチン電車が走ります。


いま全国でも珍しくなったこの電車は、もう九十年以上も
長崎の街を走り続けているのです。



当時、運転士だった和田耕一さんは、十八歳の学生。
学徒動員を受け、簡単な講習と十日ほどの実習でにわか
運転士になって一年半たったところでした。


仕事は決して楽だとは言えません。戦争中なので、
食べ物がなく、いつもお腹を減らしながら、朝から晩まで
働いていました。


一九四五年八月九日、あの運命の朝も、いつものように
朝六時に出勤し電車を動かしていました。ところが、
この日の朝、仲間が脱線事故をおこしてしまったのです。


そのため、和田さんは蛍茶屋の営業所(爆心地から
三キロメートル)で休憩をすることになりました。


事故をおこした仲間は、上司から厳しく叱られているのが
見えます。(すんだことだから仕方ないのになあ)
和田さんは、長椅子に腰かけながら、そう考えていました。


けれども運命とは不思議なもので、その仲間のおかげで、
和田さんは命拾いをするのです。


落とされた爆弾


午前十一時二分、本当なら和田さんが運転する電車が
走っているはずの長崎市浦上に原子爆弾が落とされ
たのです。


ピカッ!突然、電球を百個も二百個もつけたような眩しい
光がきらめきました。


次の瞬間には爆風で、和田さんの体はふわりと浮いて、
床に叩きつけられました。


(営業所が直撃された!)和田さんはそう感じました。
あたりは暗くなり、気がつけば、部屋の物は何もかも壊され、
その下に自分がいました。


助けを求め、仲間に引きずり出されると、幸いにたいした
ケガはありません。


外に出ると、近くに住んでいる五歳くらいの女の子が頭から
血を流して、泣いるのを見つけました。


和田さんは、その女の子を背中に背負って病院に駆けました。
道々には、負傷者が転がり、助けを求めています。


病院に着くと、足の踏み場もないほど、負傷者がかつぎ
こまれていました。もはや薬はなく、渡された雑巾でとり
あえず出血をとめるしか手の施しようがありません。


どうやら浦上の方で大変な事が起こったようです。
高台にのぼって街をみると、長崎駅から北は火の海が
続いていました。


その北に爆心地となった浦上があります。
和田さんは、浦上方面に出かけた仲間たちが心配でたまら
なくなりました。無事であればよいが、と祈ることしか
できません。


仲間を捜して


翌日、和田さんは、その仲間たちを捜しに出かけました。
しかし、長崎駅より北の方へは地面が熱くてとても進めません。


大橋の電停(爆心地から一キロメートル)まで辿り着いたのが、
三日目の朝。すべてが焼け、壊され、まるで地獄を見ている
ようでした。やっと、ひとりの仲間を見つけました


倒れた電車にハンドルを握ったまま固まって黒焦げていました。
一瞬のうちに変わった無残な姿でした。


方々を捜し回り、仲間を次々見つけては、雨戸にのせて
空き地に運びました。そして、火をつけて弔いました。


顔や全身にひどい火傷を負った仲間の一人は、
「ぼくは、なんもしとらん」とつぶやき、その後まもなく、
息をひきとりました。


(自分は何もしていないのに、なぜこんな目にあうのか)
そう言い残して亡くなった友の言葉が、和田さんの心に突き
刺さりました。


和田さんも放射能を浴びたため、数日すると下痢に
悩まされ血の便が出るようになりました。さらには、
髪の毛がパラパラと抜け落ちるようになりました。


それでも、和田さんたちは、生き残った人たちで、
復旧作業に取り掛かりました。


線路に積もった瓦礫や土砂を取り除き、倒れた電車から
使えそうな部品をぬきとる作業もしました。


「長崎の復興は、電車からだ。」


作業する人たちは、そう考えていたのです。
こうして、瓦礫のなかで汗まみれ、泥だけになる日々が
続きました。三ヵ月後、ついに復旧のめどがたちました。


朝日に照らされた電車


その朝、七台の電車が蛍茶屋の営業所の前にずらりと
並びました。和田さんはその四番目の運転士。


ふだんは鳴らさない警鐘を七台の電車がいっせいに
鳴らして走り出しました。
チンチンチン チンチンチン チンチンチン


道ゆくが人が驚いて、電車を見つめました。
警鐘を聞いて、遠くからたくさんの人が集まってきました。
おとなも子どもも、目を輝かせ、叫びながら電車を
追いかけてきました。


「動いた!動いた!  電車が動いとるぞ!」
和田さんの胸が熱くなりました。
瓦礫の町を朝日に照らされて駆けぬけるチンチン電車。


その姿は、原爆で傷ついた長崎の人々に生きていく勇気
をあたえたのです。


二度とあの日を繰り返していけない
その後、和田さんは運転士として正式採用され、五年目
にはそろばんの腕を変われて事務職に移りました。


六十歳で退職するまで、休みの日を利用しては手弁当で
消息不明の同僚ゆかりの地を訪ね、命を落とした百十七名
の名簿を完成させました。


被爆については、すべて忘れたいと思っていました。
そして、一切、口にしたくもないと考えて三十数年が経ちました。


しかし、初孫誕生を機に、あの日
見た黒こげの幼児の姿がなぜか鮮明に思い出されました。


「この無垢な子どもたちをあんな目に遭わせてはいけない。
二度とあの日を繰り返していけない。」


そう念じながら、自身の被爆体験を語り継いでいます。


author:「母のひろば」(童心社)・・・・










日本の医療費について


医療費の自然増
人口の増加
人口の高齢化
医学、医療の進歩、新技術の導入
疾病構造の変化、対象の変化


わが国特有の医療費増加要因


病床数が多い、在院日数が長い
薬剤価格が高い、薬剤使用量が多い
医療材料価格が高い
検査が多い
受診回数が多い


「去年のあの診療報酬改定案は、やっぱり何としてでも
通すべきだった」  


終電が近づく東京・新橋。古びた中華料理店で30代の
厚生労働省職員はこう打ち明けた。


この人物が憂いているのは、日本の医療費増大だ。
2018年度の医療費の動向を記した資料を指ではじきながら
「小手先の医療費削減策ではもう間に合わない」
と同氏は語った。


厚労省は、18年度の医療費の総額が、概算で42兆6000億円
となったことを発表した。前年度から約3000億円増加し、
過去最高を2年連続で更新する形になった。


高齢化を背景に医療費の増大は収まりそうにない。  
国も対策を進めてはいる。医療用医薬品の公定価格を下げる
「薬価下げ」のほか、安価なジェネリック薬(後発薬)の使用も
促している。


高額な医薬品が相次いだことで薬剤費を削減する動きは年々
強くなっている。  しかし、医療費全体のうち、薬剤費が占める
割合はせいぜい20%。


薬価下げなどによる歳出削減は重要だが、製薬業界からは
「もう限界」との声も上がり始めた。この分野だけで医療費
削減を進めることは難しい。  


医師の収入源である「診療報酬」にメスを入れて、不必要な
処方などを減らす必要があるのではないか。医療経済の
専門家の間では、こうした考え方が一般的になりつつある。  


例えば日本では、どの医薬品を処方するかの判断は治療に
あたる医師に委ねられている。しかし、「あの薬がほしい」
と自ら求める患者も多く、本来であれば不必要な薬が処方
されるケースは少なからず存在する。  


こうした不必要な処方を減らそうと、独自の医療システムを
つくるのが英国だ。英国ではほぼ全ての医師が公務員として
国営の医療機関で働いているため、国が「この病態の患者
にはこの薬を使い、この手術をしなさい。そうすれば診療報酬
を出します」と定めているということだ。


水面下で進んでいた制度改革  


英国のような医療システムを日本でもつくれないか、実は
水面下で厚労省は試みていたとされる。


18年度の抗微生物薬(抗菌薬)の処方に関する診療報酬
改定がそれだ。  


抗菌薬を処方して地域包括診療料などの診療報酬を得る
ためには、「抗微生物薬適正使用の手引き」に則した
治療手順を踏まえなければいけないという条件を改定案
に盛り込んだ。


「手引き」は17年に厚労省が主導してまとめた治療指針で、
もしこの改定案が実際に反映されれば、少なくとも抗菌薬
の処方に関しては国がある程度コントロールできる
ことになる。


さらに対象薬を広げていけば、医療費を削減する強力な
「武器」になり得るものだった。  


もっとも、この「手引き」は抗菌薬の不適正使用を減らし、
厚労省が医師に抗菌薬の適正使用を促すという位置づけだ。  


ただ、政治的な力を持つ日本医師会を筆頭に、多くの
医師団体の反発にあい、結局は取り下げざるを得ない
状況になった。


冒頭の厚労省職員が悔しさを隠さなかったのは、こうした
水面下での挑戦が失敗に終わったからだ。


高齢化を背景に医療費は膨らむばかりで、そのツケは
次世代の若者たちが払うことになる。医療費削減の必要性が
思うようには進まないのが現状だ。


改革のために残された時間はそう長くない。




以前、NHKが『AIに聞いてみた どうすんのよ? ニッポン』
という番組を放送していた。


「高齢者の健康を守るための具体策を教えて!」
と質問したら、AIは「病院を減らせ」と答えた。  


番組スタッフは、財政破綻して公立の総合病院が閉鎖した
夕張市に取材に行った。


周辺の自治体と比較すると、明らかに高齢者の健康状態は
良くなり、医療費は減っていた。


病院がないので官民一体となって健康づくりに取り組んだ
という。 「元気なままでコロリと逝きたい。


健康寿命を延ばすには?」という問いにAIは
「運動や食事より読書」と答えた。  


番組スタッフは、健康寿命日本一の山梨県に取材に行った。
山梨県は 運動・スポーツ実施率は最下位だが、


人口に対する図書館数が全国1位で、学校司書配置率も
全国平均59.3%なのに対し、山梨県は98.3%と高く、多くの
人が高齢になっても読書を続けているという。


「本を探したり、本を読むという知的な刺激は心を動かし、
活力や向上心につながる」というのである。  


今後、AIへの依存度は益々高くなるだろう。だが、AIの答えに
振り回されず、されど疑わず、「おまえ、面白いこと言うなぁ」
くらいに、良きパートナーとして付き合っていこうではないか。
・・・・







名古屋市瑞穂区の小栗健吾さん(40)は毎年、
母の日に二人の子どもを連れて実家を訪れる。


お姉さんも二人の子どもと一緒にやってくる。
4人の孫が競うようにして肩を叩く。
小栗さんの両親はそれを楽しみにしている。


母の日のことだ。実家の玄関で二足の靴を見かけた。
ペアのトレッキングシューズだ。茶色に変色し、ずいぶん
古ぼけている。


「あれ?これって…」と首をかしげたとき、母親が言った。
「この靴、15年前にあなたが初任給で買ってくれたものだよ。
大切に履いていたので今でももっているのよ。


これからも大事に履くからね」


小栗さんは当時のことを思い出した。
「初任給で何かプレゼントしたい」と言うと、
「夫婦でハイキングに出掛けたい」というので贈ったことを。


自分でも忘れかけていたのに、ずっと大切にしていて
くれたのだと思うと泣けてきてしまった。
母の日に反対に大きなプレゼントをもらった気がしたという。


そんな自分が、今は父親になった。
先日のことだ。会社に着くとコートのポケットが膨らんで
いることに気づいた。


手を入れると、みかんと一通の手紙が出てきた。
それは小学4年と1年の娘からのものだった。


それぞれに「お仕事がんばってね。みかん食べて
風邪ひかないでね」「パパ大好き」。


残業続きで午前さまが続いているのを心配してくれたのだった。
その手紙は小栗さんの宝物になっている。


母の日に、小栗さんから母親へのメッセージ。
「生んでくれてありがとう」。
そして、娘さんたちへのメッセージ。
「生まれてくれてありがとう」 ・・・・


author:中日新聞







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